正法眼蔵第四十一は「三界唯心」の巻。三界唯心とは華厳経のなかに出てくる言葉で、文字通りには世界のすべては心の中にあるという意味だ。世界の根拠を心の中に求めるというのは、唯心論的な発想で、のちにその考え方を唯識派が体系化した。道元には、唯識派への傾向がうかがえるので、この巻は、かれの唯識派的な思想を展開したものかといえば、そう単純ではない。かれは、一方では、三界は心というのではないと繰り返し述べているからである。基本的には、三界を心の所産としながらも、その心を普通の意味での人間の心としてではなく、仏の心の世界というふうに捉えていたようである。仏の心の中に展開されるもの、それが三界なのだというのである。仏という言葉には、具体的な人間ではなく、抽象的な原理という面もあるから、その抽象的な原理としての世界のあり方を、三界唯心という言葉で表現したのであろう。
日本文化考
正法眼蔵第四十は「栢樹子」の巻。栢樹子は趙州眞際大師の有名な公案「庭前の栢樹子」を踏まえたもの。ある僧が大師に向かって「如何ならんか是れ師西來意」と問うたところ、大師は「庭前の栢樹子」と答えた。僧は、自分はそんな外面的な答えを期待したわけではないと疑義を呈し、重ねて「如何ならんか是れ師西來意」と問うと、大師はあいかわらず「庭前の栢樹子」と答えた。このやりとりについて、その意義を道元は考察するのである。
正法眼蔵第三十九は「嗣書」の巻。嗣書とは、嗣法の正統性を証明する書類のこと。嗣法とは、師から弟子へと仏教の教えが伝達されることを意味する。そういう意味での嗣書は、すでに取り上げた「伝衣」と似ている。伝衣は、教えの伝授にともない、法衣の付与がなされることを意味した。嗣書は、嗣法を書類の形で証明するものなので、伝衣より強いインパクトをもつ。
正法眼蔵第三十八は「葛藤」の巻。葛藤という言葉は、現代日本語では心の揺れを意味するが、道元はそうした意味では使っていない。文字どおり、からまりあった葛や藤の蔓という意味で使っている。仏教の伝授をその言葉で意味するのである。そう使うのではあるが、蔦や藤の蔓が絡まりあった様子を、否定的に捉えるものが、道元の時代にもあった。道元はそうした捉え方を否定して、葛藤という言葉を肯定的な意味合いで捉えようとしたのである。
正法眼蔵第三十七は「春秋」の巻。正法眼蔵の各巻は、基本的には、冒頭で巻の題名の趣旨を説明するのであるが、この巻については、春秋という題名の趣旨への言及はない。この巻は寒暑についての、洞山の言葉を中心に展開する。だから「寒暑」と名付けてもしかるべきところ、なぜ「春秋」にしたのか。道元の意図を知ることはむつかしい。題名ばかりではない、書かれていることの内容もなかなかむつかしい。

先日NHKの能楽番組で、狂言「文蔵」を放送したのを見た。これは大名狂言の一つで、シテの長々とした語りが売り物の曲である。そのシテを人間国宝の山本東次郎が演じていた。

能「忠度」は、一の谷で戦死した平家の武将忠度の和歌へのこだわりと、壮絶な戦死をテーマにした作品。申楽談義には、「通盛、忠度、義経三番、修羅がかりにはよき能なり。このうち忠度上花か」とあるので、世阿弥にとって自信作だったのだろう。またの名を「薩摩守」ともいう。そこから「ただ乗り」を薩摩守というダジャレが生まれた。
正法眼蔵第三十六は「阿羅漢」の巻。阿羅漢とは小乗の聖者のことをいう。大乗では伝統的に小乗を軽視し、その小乗の聖者である阿羅漢も、大乗の菩薩と比較して下に見るというのが普通であるが、道元はそうは見ない。阿羅漢も仏教の修行者としてそれなりに評価している。もっとも阿羅漢を以て、修行者の究極的な姿とは見ない。だが道元は、仏になったからといってそれに安住することをいましめ、仏の先の境地(仏向上事)を目指せといっているくらいだから、阿羅漢もその境地に安住していては堕落する、一層先の境地を目指すべきだと言いたいのだろうと思う。
正法眼蔵第三十五は「神通」の巻。神通は神通力ともいわれ、超自然的なことを行う能力というような意味で受け取られることが多いが、道元はそれを、仏教者にとっての日常茶飯事だという。この巻は「かくのごとくなる神通は、佛家の茶飯なり、諸佛いまに懈倦せざるなり」という言葉で始まっている。その意味は、これから取り上げる神通とは、仏教者にとっては日常茶飯事なのであり、仏たちが懈怠なく行ってきたものだということである。
正法眼蔵第三十四は「仏教」の巻。仏教という言葉を道元は、ここでは三乗十二分教という形をとった具体的な教義の体系という意味で使っている。それを巻の冒頭で次のように表現している。「諸佛の道現成、これ佛教なり」。諸々の仏の言葉が実現したもの、それが仏教だというのである。諸々の言葉が実現したものは、三乗十二分教というかたちで表されている。だから仏道を学ばんとするものは、三乗十二分教を学ばなければならぬ。
正法眼蔵第三十三は「道得」の巻。この巻を理解するためには「道得」という言葉の意味を分かっていなければならない。「道」は「言う」を意味する。だから「道得」は「言うことができる」という意味である。何を言うかといえば、真理をである。真理を言うことができる、それが「道得」である。これを名詞形にすると、真理を言うこと、真理の表現ということになる。

令和5年6月博多座の歌舞伎公演から、尾上菊之助が左官長兵衛を演じた「人情噺文七元結」と中村鴈治郎と片岡愛之介共演した「太刀盗人」を、NHKが放送したのを見た。
正法眼蔵第三十二は「伝衣」の巻。伝衣とは仏衣の伝承という意味だが、同時に仏法の正伝を意味する。仏衣が仏法の象徴として捉えられているのである。その仏衣は、ひとつには釈迦牟尼以来代々の仏祖の間で直接伝えられてきたものと考えられる一方で、普通の庶民が着るべきものとも思念される。前者は国の宝といわれ、後者は修行者を導く働きを持つと考えられる。
正法眼蔵第三十一は「諸悪莫作」の巻。七仏通戒の偈にある「諸惡莫作、衆善奉行、自淨其意、是諸佛教(惡を作すこと莫れ、衆善奉行すべし、自ら其の意を淨む、是れ諸佛の教なり)についての解釈を示したもの。これは普通には、「諸悪をなすなかれ、衆禅を行いなさい」というふうに読めるが、じつはそんなに単純なものではない、もっと深い意味があると説く。じっさい、白居易はそのように解釈して厳しく批判された、と言って、この言葉の深い意味を説くのである。
正法眼蔵第三十は「看経」の巻。看経とは経を読むことをいう。経を読むことの修行上の意義は何か、また、実際に看経の儀式をするときはどのように行うべきかについて説かれる。道元は、看経そのものにはたいした意義を認めていないというふうに、普通は受け取られている。しかしそれは、お経の字面だけを読んでも意味がないので、お経の真に意味するところを感得すべきだということを意味している。お経に込められた仏祖たちの真の教えを体得することが看経の意義だというのである。
正法眼蔵第二十九は「山水経」の巻。その趣旨は、さとりの境地を山水にたとえたもの。さとりを自然にたとえたところは「渓声山色」に通じる。冒頭で「而今の山水は、古物の道現成」なりと言って、われわれを取り巻いている山水つまり自然こそ、仏道が現成した姿であると説く。
正法眼蔵第二十八は「礼拝得髄」の巻。礼拝得髄とは、礼拝して髄を得るということだが、これは禅宗の二祖慧可の斷臂得髓の故事にもとづく。善き師を求めることの大事さを説いたものである。慧可が達磨を礼拝し、かつ斷臂して髄を得たように、我々修行者も師を礼拝して髄を得るべきだというのである。髄とは神髄のことで、仏教の神髄すなわちさとりの境地をいう。

昨年の十月に、国立能楽堂開設四十周年を記念する演能が催され、金剛流の能「檜垣」が演じられた。その様子をNHKが先日(二月二十五日)に放送したのを見た。シテは昨年人間国宝になった金剛永謹、ワキは、これも人間国宝の宝生欣哉だった。
正法眼蔵第二十七は「夢中説夢」の巻。夢中説夢とは文字通りには「夢の中で夢を説く」という意味だが、これを証中見証と言い換えているので、さとりを夢にたとえているのがわかる。ではなぜさとりを夢にたとえるのか。夢はふつう非現実的なものと思われているので、その夢にさとりをたとえることは、さとりを非現実的なものと考えることになるのではないか。そういう疑問が当然おきるが、道元は、この場合の夢とは「大夢」であって、ふつうに思われているような夢ではない、「夢然なりとあやまるべからず」というのである。
正法眼蔵第二十六は「佛向上事」の巻。仏向上の向上とは、その先という意味。だから仏向上は、仏の更にその先の境地ということになる。人は仏になることを修行の目的とするが、仏になったらなったで、更にその先を求める、それが仏向上という言葉の意味である。この巻は、そうした意味での「仏向上事」について説く。
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