日本文化考

仏教の書物は、お経はそれとして、理解に苦しむものが多い。とりわけ道元の「正法眼蔵」は難解極まりない。小生などは、何回か挑戦してみたが、その度に跳ね返された。これは、仏教の知識が欠けているためかといえば、そうでもないらしい。鈴木大拙のような仏教の専門家でも、「 正法眼蔵」は難物だと言っている。「『正法眼蔵』は難解の書物、不可近傍である」と言って、半分お手上げの状態である。

禅問答といえば、頓珍漢で訳の分からぬ言葉のやりとりだと、だいたいは思われている。それには理由があるので、禅者自身が禅問答とはそんなものだと認めているフシがある。禅問答は、禅の体験を語るものだが、その体験というのが、「禅行為」のところで述べたように、無分別の分別、無作の作といったもので、要するに普通の言葉ではなかなか説明できないものなのである。その説明できないものをあえて説明しようとするから、わけの分からぬ言い方になる。でもそれはそれでよいのだと、禅者自身は言っている。禅の体験は、言葉による合理的な説明にはなじまない。というか、言葉による説明で伝えられるようなものではない。実際に禅の境地を体験したものでなければ、どんなに言葉をつくしても、それが何であるかを理解することはできない。それは、生まれてから一度も石というものを見たことのない人に、いくら言葉を尽くして説明しても、石についての明瞭な観念を持てないのと同じことである。石を見たことのある人なら、簡単な言葉、たとえば岩のかけらだとか、砂よりも大きいものだとかいうことができる。だが、石や岩や砂を、一度も見たことのない人に、そんな説明をしても無駄である。禅問答も同じである、禅の体験をしたことのない人に、それが何かについて、いくら言葉で説明しても、明確な観念は持てない。ところが、実際に禅を体験した人にとっては、ちょっとした言葉がきっかけで、それが何かについて、それなりの観念を持つことができる。禅問答というのは、そうした禅体験をしたもの同士のコミュニケーションなのである。それが日常のコミュニケーションと異なるのは、禅体験そのものが、日常を超越しているからである。

鈴木大拙が「禅の思想」を書いたのは昭和十八年(1943)、大拙七十三歳のときのことだ。後に自身のもっとも会心の著作はなにかと問われて、この「禅の思想」と「浄土系思想論」をあげたというから、大拙が禅について書いたおびただしい文章のうちで、これをもっとも納得できるものと思っていたのだろう。要するに禅についての自分の考えを、もっとも要領よく書けたということと思われるが、だからといって決してわかりやすい読み物ではない。

ちくま文庫から出ている「禅」は、鈴木大拙が英文で書いた文章を工藤澄子が日本語に翻訳したものだ。序文にあたる第一章の短い文章が1963年に書かれたほか、本体をなす第二章以下の文章は1954年から1956年にかけて書かれた。それらの文章を一冊にまとめる際の選択については、大拙自身の意向も働いていたようである。

「仏教の大意」は、昭和二十一年すなわち敗戦の翌年の四月に、鈴木大拙が昭和天皇に進講した話に多少の手直しを加えて文章にまとめたものである。テーマは、タイトルにある通り、仏教の大意あるいは仏教概論といったものである。敗戦の直後に、大拙がなぜ昭和天皇にこのような講義を行ったか。天皇の意を受けた宮中サイドから、大拙に依頼があったと考えるべきだろう。敗戦の混乱の中で、昭和天皇としては、自身の戦争責任を含めて、さまざまに思い悩んでいたことであろう。そんな昭和天皇の胸中を察したのであろう。大拙は、仏教というものがいかに、人間の心をなぐさめてくれるものか、それを昭和天皇に悟ってもらえるように、丁寧に語っている、そんな雰囲気がこの著作からは伝わってくる。

さとりにはいろいろな呼び方があるが、大拙は究極のさとりを「無上正覚」と呼んでいる。その無上正覚の成就こそ、大乗でも小乗でも、およそ仏教の究極の目的である。もっとも小乗はさとりを個人の問題としてとらえるのに対して、大乗はこれを世界全体の問題としてとらえるという相違はある。だが、輪廻を解脱して涅槃の境地をめざすという点では同じである。その境地を、仏教全体としてさとりとか無上正覚とか呼んでいるわけである。しかして、その無上正覚への願いを発することを発菩提心という。

菩薩の住処とは、菩薩が達したさとりの境地をいう。華厳経入法界品では、それは「毘盧遮那荘厳楼閣」という言葉で表現される。その楼閣に、善財童子が立ち入ることを許される。かれをその楼閣に案内するのは弥勒菩薩である。弥勒菩薩は、釈迦の次に娑婆に仏陀として現れることを約束されている。通常は兜率天の内院に住んでいるとされるが、華厳経入法界品においては、毘盧遮那荘厳楼閣において、善財童子を迎える役を果たす。

鈴木大拙は、華厳経の三つの重要概念として、菩薩道、発菩提心及び菩薩の住処をあげている。菩薩道とは、声聞や縁覚といったいわゆる小乗の行者と比較した大乗の行者としての菩薩の道をいい、発菩提心は、衆生を救済すべく菩薩たらんとする決意をいい、菩薩の住処とは菩薩が到達した境地をいう。これら三つの重要概念の詳細な説明が、第二篇以下の課題である。

鈴木大拙は自分自身を禅者として認識している。その禅者としての立場から華厳経を研究したものが「華厳の研究」である。大拙が華厳経を禅と結び付けて考えるようになったきっかけは、二つあるように思える。一つは、禅そのものが体験本位のあまり文字を軽視する傾向がはなはだしい結果、ある種神秘主義に陥りがちになるので、その神秘主義が極端に陥らぬよう、ある程度文字による哲学的な支えが必要になる。華厳経は、その支えになる資格があると大拙はみた。もう一つは、大拙自身の禅の体験を、文字によって他人に知らせようとする場合、華厳経に描かれた世界の描写が非常に頼りになる。大拙は、禅定によってある種のさとりの境地に達するのを感じるのだが、そのさとりの境地を言葉で表せば、華厳経の描写する世界となるのではないか。つまり華厳経が描いた世界は、禅者が禅の境地として体験する世界なのではないか。そのように大拙は考えて、華厳経を禅と強く結びつけて考えたようである。

一遍聖絵は、成立後京都の歓喜光寺に伝わってきたが、現在は神奈川県藤沢の清浄光寺(通称遊行寺)が所蔵している。全十二巻のうち第七巻は、東京の国立博物館にある。遊行寺のものには、第七巻の後補物が含まれている。東京国立博物館では、全巻をデジタル映像にして、ネットで公開しているので、誰でも見ることができる。一部保存の状態が悪く、文字が判読できない部分があるが、それについては、複写本で補わねばならぬ。岩波文庫から出ている全文のテクストは、複写本を参照しながら足りないところを補なったものである。

中論第二十五章は「ニルヴァーナの考察」である。ニルヴァーナとは、漢訳で涅槃ともいわれ、釈尊が最終的にさとりを開いたところの境地をさして使われる言葉である。仏教では輪廻を解脱した世界というのが、だいたいの共通理解となっているが、その積極的な内容については、かならずしも明確ではない。中論をそれを明確にしようとするのであるが、しかしその説明の仕方はあいかわらず雲をつかむようであり、今一つ判然としないところがある。

「中論」第二十四章は「四つのすぐれた真理の考察」である。四つのすぐれた真理とは、四諦とか四聖諦とかいわれるもので、釈迦の初転法輪のなかで説かれた仏教の根本真理である。したがって、大乗のみならず、いわゆる小乗もこれを根本真理としている。だが、その解釈が微妙に違う。その違いを明らかにして、空の立場から四諦をとらえることの重要性を説いたのがこの章の内容である。

中論第二十三章は「転倒した見解の考察」である。ここで転倒した見解というのは、誤った見解をさす。その誤った見解のために、貪欲とか嫌悪とか愚かな迷いというものが生じる。したがって、そうした誤った見解が消滅すれば、貪欲以下の煩悩の原因もなくなる。煩悩こそは人間の苦悩の原因であり、その苦悩があやゆる存在を流転のうちに放り投げるのであるから、さとりを得て涅槃に至るためには、苦悩から脱却しなければならない。そう説くのが、この章の目的である。

原因と結果との考察についての中論の議論は、一見して論理的なものである。論理的に考えると、原因と結果の関係は、すでに原因が結果を含んでいる場合にのみ成り立つということになる。これは普遍的なことなので、いかなる場合にも成り立つ。それは、ある特定の原因が与えられればそれに対応する結果もすでに与えられているというふうに表現される。因果関係はしたがって、カントの言葉を用いれば、アプリオリなものである。アプリオリというのは、論理必然的に成り立つと言う意味である。

アートマンとは我とか自我と訳されるように、主として心の担い手としての主体をさす。中観派の思想は、その我について、「我(アートマン)なるものはなく、無我なるものもない」と説く。これを形式論理学の言葉でいえば、Aなるものはなく、非Aなるものもない、ということになる。一見して論理の破綻のように見えるが、中観派とは、形式論理の否定の上になりたつのである。形式論理を中観派は分別の作用だとする。しかし分別の作用から得られるのは戯論であるというのが中観派の思想である。

中論第十七章は、「業と果報との考察」と題して、業とその果報について論じている。業と果報との関係は、原因としての行為とその結果としての報酬との関係のことであり、通常因果関係とか因縁とか呼ばれている。この章は、前半部で説一切有部の「法有」説(実念論)を批判しつつ、後半部で業と果報とはいずれも実在しないという空の思想を展開している。

中論第十三章「形成されたものの考察」及び第十五章「それ自体の考察」は、自性と無自性とについての考察である。自性というのは、それ自体として存在しているもので、他に原因を持たないものをいう。それに対して無自性というのは、別のものによって形成されたもので、それ自体のうちに原因をもたないものをいう。自性は、基本的には不変である。無自性には生起・存続・消滅の相がある。ここでナーガールジュナが自性と呼んでいるのは、永遠不変の概念のようなもので、したがって人間の思考の産物である。それに対して無自性は、具体的な存在物であって、たえず生成変化していると考えられている。そのように抑えたうえで、自性も無自性も成立しないと断ずるのが、この二つの章の目的である。

中論第九章「過去の存在の考察」及び第十章「火と薪との考察」は、第八章「行為と行為主体との考察」における議論のバリエーションみたいなものである。第九章では、「見るはたらき・聞くはたらき・感受作用」などについて、それらのはたらきそのものとその働きの主体との関係について論じられ、第十章でははたらきとしての火とその主体あるいは担い手としての薪との関係について考察される。

中論の第七章は「行為と行為主体との考察」と題して、表向きは行為・作用とその主体との関係についての議論のように見えるが、本当の論題は、概念的な存在の空虚さをめぐる議論である。概念的な存在の空虚さをめぐる議論は、有為と無為の関係をめぐる第六章においてもなされていたが、それを別の形で言い換えたものと言ってよい。

中論第七章は、「つくられたもの(有為)の考察」と題して、「つくられたもの(有為)」と「つくられたものでないもの(無為)」についての考察である。ここで「もの」としてテーマになっているのは「生」である。その生が「つくられたもので」であるとは、なんらかのかたちで原因をもっているという意味である。原因のないものは生じないからである。それを「有為」という言葉であらわす。一方、「無為」は「有為」の反対であって、それは「つくられたものではない」。どういうことかというと、その存在に原因がないということである。原因がないとは、その存在がそれ自身の本性に基いてあるようなことをさす。具体的には、抽象的な概念のことである。抽象的な概念は、因果の連鎖から離れて、個々の概念がそれ自体で存在している。つまり抽象的な概念は自性をもつ。

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