日本文化考

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「山姥」は世阿弥の作品。すでに行われていた曲舞を取り入れて再構成した曲である。「申楽談義」に「山姥、百万、名誉の曲舞なり」とあるから、かなりの人気曲だったことがうかがわれる。

仏教の思想

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角川書店から昭和40年代に刊行された「仏教の思想」シリーズ全12巻は、仏教を思想として解明するものである。これは哲学研究者の梅原猛が中心になって、哲学研究者と仏教研究家が協力しながら仏教の思想的な内容を解明したものだが、その動機を梅原は第一巻の序文の中で言及している。仏教は、嘗ては日本人の心を捉えていたが、近代に入ると忘れられてしまった。それは近代の日本人が西洋の思想にかぶれるあまり伝統的な日本の思想を顧みなくなったためである。ところがその西洋の思想は、いまやその有効性に疑問が突きつけられている。西洋の思想を以てしては、今後の世界の方向性を導くことは出来ない。それが出来るのは仏教である。梅原はそうした問題意識から、仏教を改めて思想として捉えなおし、日本の全国民がそれを理解してほしいと考えて、このシリーズを発案したという。いかにも梅原らしい発想といえよう。

普賢菩薩は、文殊菩薩と並んで釈迦仏の脇侍として仕え、いわゆる釈迦三尊を構成する。通常は、文殊菩薩は獅子に乗った姿、普賢菩薩は白象に乗った姿で表される。文殊菩薩と獅子の結びつきは維摩経などに見え、普賢菩薩と白象の結びつきは、法華経の「普賢菩薩勧発品」において具体的な形で語られる。その法華経のなかでは、文殊菩薩は冒頭の序品から登場して、経全体にわたって随所で重要な役割を果たす。一方普賢菩薩は、最後の章である「普賢菩薩勧発品」に登場して、法華経全体を締めくくる役割を果たす。

「妙荘厳王本事品」第二十七は、子が異教徒の父親を教化することを説くものである。法華経には、父が子を、目上の者が目下のものを教化する話は多く出て来るが、目下のもの、それも子が父を教化するという話は、この「妙荘厳王本事品」だけである。その意図は、法華経の教えは肉親の絆よりも深いということを説く所にあると考えられる。肉親の絆は一代限りであるが、法華経の功徳は世代を超えた深い因縁を通じて人々を結びつける、と説くのである。

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一昨年(2019年)に行われた京都薪能の一部をNHKが取り上げて放映していた。出し物は観世流の半能「絵馬」。半能というのは、文字通り能の曲目のうち半分だけを演じるもので、たいていは後半部である。こうした形式は、それ自体が独立した曲に転化する場合もある。「金札」とか「菊児童」といった曲は、もとの曲の後半部だけが切り離されて再構成されたものである。

陀羅尼とは、サンスクリット語のダラニという言葉に漢字を当てはめたもので、総持とも訳される。意味は、教えを心にしっかりと保持することを言う。具体的には、呪文のような形であらわされるので、神呪とも言われる。「法華経陀羅尼品」第二十六は、そうした呪文を集めた章である。呪文はいずれも、法華経を受持する人を守護することを目的としたものである。だから、法華経受持者のための呪文集といってよい。

観音様への信仰は、地蔵信仰と並んで日本の庶民にもっとも馴染の深いものだ。その観音様について説いたお経が、法華経の「観世音菩薩普門品」第二十五である。このお経は、単に「観音経」とも呼ばれ、独立した経典としても、よく読まれて来た。今日でも、各宗派にわたって読まれている。

薬王菩薩の前身たる一切衆生喜見菩薩は、現一切色身三昧という霊力を得ることができた。現一切色身三昧とは、相手に応じて姿を現し、相手に相応しい教えを与える霊力のことである。法華経の核心的な思想に方便というものがあるが、現一切色身三昧はその方便の具体的な現れであると言ってよい。「妙音菩薩品」第二十四は、現一切色身三昧の体現者としての妙音菩薩の業績について説く。同じような業績をあげた菩薩として、観音菩薩がある。妙音菩薩は三十四身に現じて衆生を救うのに対して観音菩薩は三十三身に現じて衆生を救う。また、妙音菩薩が東方浄土に住むのに対して、観音菩薩は西方浄土に住むとされる。この二人の菩薩は対照的なものとして捉えられているのである。

法華経の教えを説いた本体部分は「嘱累品」第二十二で完結し、「薬王菩薩本事品」第二十三以後は、法華経の教えを実践した具体例が説かれる。これらを読むことによって、教えを頭で理解するだけでなく、体で受け止めるように意図されているわけだ。信者はこれらの具体例に、自分自身の宗教的実践の手本を見るのである。

「嘱累品」第二十二は、法華経本体の最後の部分である。これを以て法華経の教えとその功徳の説明が完了する。「薬王菩薩本事品」第二十三以後は、法華経の教えを実践した人(菩薩)の業績が具体的に説かれる。その部分は、法華経本体が成立した以降、順次付け加えられていったものと考えられる。

「如来神力品」第二十一は、如来の神力すなわち仏の超能力を説く。その目的は、法華経を受持し広める菩薩たちに超能力を示すことによって、かれらを激励することにある。その上で、法華経の功徳について改めて説き、仏の滅後に衆生を教化するよう励ますのである。

「分別功徳品」以下で、仏の教えである法華経を受持し、それを他人に広めることで、どんな功徳が得られるのかについて説かれた後で、実際にそれを実践して、功徳を得た人の話が説かれるのが「常不軽菩薩品」第二十である。いわば理論編に対する実践編といったところだ。

「法師功徳品」第十九は、「随喜功徳品」第十八に続いて、仏の滅後に仏の教えたる法華経を受持することの具体的な功徳について説く。このお経では、法華経を受持しその教えを他人に説く者を法師と呼んでいる。かならずしも脱俗した僧のみならず、法華経を教え広める人はすべて法師と呼ばれている。その法師が、法華経を教え広めることで得られる具体的な功徳を説いているのである。

「分別功徳品」第十七と「随喜功徳品」第十八とは、総論と各論の関係にあるといえる。「分別功徳品」は、法華経が仏の教えを記したものであることを前提にして、仏の滅後に法華経を受持することによる功徳を総論的に説いたのであるが、それを踏まえてこの「随喜功徳品」は、その功徳を具体的に説いたものである。題名から推察される通り、ここで説かれる功徳は、末後の五品のうちの初随喜である。

法華経の伝統的な解説では、「分別功徳品」第十七から流通分が始まるとする。流通分とは、原理論を踏まえた実践論というべきもので、正しい信仰を持てばどのような功徳があるか、また、正しい信仰を得るにはどのような実践をなすべきかを説いたものである。

「如来寿量品」第十六は、「従地湧出品」第十五の続きである。「従地湧出品」では、釈迦仏はわずか八十年の間生きただけなのに、無数の菩薩を教化したのはどういうわけか、弥勒菩薩が釈迦仏に問うた。無数の菩薩を教化するには無量の時間を要する。だが釈迦仏が生きて存在したのは八十年間であり、さとりを開いて以降は四十年あまりである。その短い時間に無量の菩薩を教化することができるとは、とても考えられない。弥勒菩薩のこういう疑問に、釈迦仏が答えた内容を記すのが、「如来寿量品」である。

天台智顗は、法華経二八章を二分し、前半を迹門、後半を本門とし、それぞれをさらに序分、正宗分、流通分に細分して、全体を二経六段で構成されているとした。前半は「序品」から「安楽行品」まで、後半は「従地湧出品」から「普賢菩薩勧発品」までである。「従地湧出品」第十五は、本門全十四章の序文としての位置づけである。

「安楽行品」第十四は、直前の「勧持品」とは一体の関係にある。「勧持品」では、授記された弟子たちが、菩薩として生きる決意を語るのであるが、「安楽行品」は釈迦仏が、菩薩としてのあり方を説諭するのである。どちらも、菩薩がもっとも依拠すべきは法華経だと説いている。「勧持品」は、菩薩の立場から法華経への忠誠を誓い、「安楽行品」は、釈迦仏の立場から法華経への勧めのようなものが説かれる。

「勧持品」第十三は、もともと「見宝塔品」第十一の直後に置かれていたものである。「見宝塔品」は、すべての仏の教えが法華経に集約されていることを教え、釈迦仏の滅後においても法華経を受持することの大切さを強調しながらも、それがいかに大きな困難をともなうかを力説していた。そうした困難を跳ね返しながら、法華経の教えを広め、衆生をさとりに導くのが菩薩の役割であると説かれる。

「提婆達多品」第十二は、法華経が全二十七章として成立した後、かなりな年を経て追加されたものである。法華経本体の成立は二世紀の頃、提婆達多品が追加されたのは天台智顗の頃だと思われるから、四百年ほどの時間差がある。そのため、この章を法華経本体に含めるべきではないという意見もあり、また偽経ではないかとの疑問も出た。確かに、そんな疑問を抱かせるようなところがある。お経の様式が法華経本体のそれとは違っているし、盛られている内容もユニークなものだ。

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