2012年9月アーカイブ

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日本の安倍化などというと奇異に聞こえるが、逆に言うと、こんな言葉が飛び出してくるほど、今日の日本の政治状況が異様だということなのだろう。

常州に向かう船の中で、大病(おそらくアメーバ赤痢)にかかった蘇軾は、やっとの思いで常州に到着すると、ついに臨終の床についてしまった。そこへ親友の銭世雄が一日おきに蘇軾を見舞った。蘇軾は晩年に書き溜めた文章(論語、書経、易経の注釈書など)を銭に託し、自分の死後三十年たったらそれらを公刊するようにと指示した。
中国共産党系のメディア「環球網」が、「中日国交正常化40周年に、日本政府と国民を評価」という趣旨で中国のネット利用者を対象にアンケート調査を実施したそうだ。アンケートは17の項目からなり、現在進行形の尖閣(釣魚島)問題を念頭に置きながら、日本文化の中国への伝播、野田首相の対中姿勢、中日の相互依存度、中日関係の将来などについて聞いたという。3万4000人が答えたその内容とはどんなものだったか、気になるところだ。

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二つめの星には、自惚れ男が住んでいた。その人は、王子をみるやいなや
「や や ファンが 来たぞ」 といった。というのも、その人にとっては、自分以外はみな、自分のファンだったのだ。

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先日ニホンカワウソの絶滅が宣言されたというニュースがあった。1979年に四国で目撃されたのを最後に目撃例がないことから、すでに絶滅したのではないかと考えられてきたが、環境省によって正式に絶滅が宣言された次第だ。昭和まで存在が確認された哺乳動物で絶滅したのは、これが初めてのことだという。

山折哲雄氏は、安井良三氏の研究(天武天皇の葬礼考)を引きながら、天武天皇の葬礼が、天皇家の伝統であった殯と新しい仏教的な観念とが融合した最初の壮大な実験だったのではないかとしている。天武天皇の葬礼を境にして、天皇家伝来にして日本固有の儀式である殯による壮大な祭礼は影をひそめ、持統天皇以降は火葬を伴った仏式の葬祭儀礼が次第に前面に立っていく。天武天皇の葬祭儀礼はだから、時代を画したものだったと考えるわけである。

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尖閣諸島をめぐる大騒ぎに台湾も加わってきた。9月25日、40隻ばかりの台湾漁船と当局の監視船が尖閣の領海に侵入してきたのだ。それに対して日本の海上保安当局の巡視船が警告を発し、従わない台湾漁船に放水をしたところ、台湾側の監視船がその間に割り込んで、日本側に放水するという騒ぎになった。

ドン・キホーテは狂人としての資格において中世の遍歴の騎士のパロディである。パロディであるから、形式上は中世の騎士の内実を体現しているように見えなければならない。騎士とはなにか、どんなイメージに映るべきかは、ドン・キホーテの同時代の人々には良くわかっていた。そのもっとも重要な側面は、高貴な女性への愛と奉仕である。そしてその愛には、エロティックな匂いがあってはならない。それはあくまでも、プラトニックな愛でなければならない。

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自民党総裁選の結果、安倍晋三氏が総裁に選ばれた。一度総裁を務めてやめた人物が再び総裁になるのは、自民党の歴史においては初めてのことである。しかも辞任した時の辞め方が物議をかもし、党の内外から散々批判を浴びた人間の返り咲きである。どうなっているのかと首をかしげているのは筆者のみではあるまい。自民党もついに野党ボケをして、リーダーの人材にも事欠くようになったのだろうか。

「いたはし」「いたまし」「いとはし」「いとほし」などの語はいずれも、心の痛みを表す言葉であるが、「いた」を共通の語基としている、と言語学者の阪倉篤義氏はいう。(「いと」は「いた」が母音交代したものである「日本語の語源」)。

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尖閣諸島問題で燃え上がった中国人の反日デモ、そこには反日のスローガンを書いたプラカードが多数登場したが、その中でひときわ目を引くものがあるというので、中国のネット世論の話題になっているそうだ。「釣魚島(尖閣)は中国のもの、蒼井そらは世界のもの(釣魚島是中国的、蒼井空是世界的)」と書いてあるのがそれだ。

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中国がウクライナから買い入れて修理していた空母ワリャーグを実戦配備したようだ。名を遼寧と改め、中国国防の切札として、国民の熱い視線を浴びているという。

明治22年2月の明治憲法発布にあたり、日本各地で祝賀式が行われたが、その際に儀式を荘厳なものに盛り上げるセレモニーがいくつか導入された。日の丸の掲揚、君が代の斉唱、御真影への拝礼、そして万歳である。(牧原憲夫「民権と憲法」)

尖閣諸島問題で日中関係がきしんでいるが、そのことがもとで日中両国民間の相互イメージも悪化しているようだ。それも極端に。

朝日新聞が9月24日付紙面で紹介した世論調査結果のレポートは、「日中関係 深まる溝」と題して、そんな状況の変化を分析している。

九月十五日(土)晴。早朝六時に起床す。ホテル内の食堂にて朝餉をなし、八時半にバスにて出発、三十分ほどして香港国際空港に到着す。帰国便は午前十一時三十分発成田空港行HX六百十八便なり。

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ボスのトリプティック「悦楽の園」の外翼には「天地創造」のイメージが描かれている。これが内翼の三枚の絵とどのような関係にあるのか、それは見る者の想像力次第なのだろう。

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夕刻ピーターパン迎へに来る。これより食事をなし、香港の夜景を楽しまんといふなり。

ちびっこ王子がいた星は、小惑星325、326、327、328、329、330などがある領域だった。それで王子は、これらの惑星を順に訪ねて、自分に相応しい仕事を見つけようと思ったんだ。
尖閣問題を巡っての日中対立について、アメリカのメディアはこれまで大きくは取り上げてこなかった。アメリカにとっては、アラブ圏で起きている反米運動や大使殺害といった事件の方がずっとショッキングで重要な問題であったというのがひとつ、もうひとつは、日中対立にかかわる中国側の意図がなかなかわからなかったということがあったらしい。権力の交代を前にした中国の情勢について、下手な論評をして悪い影響力を行使することは慎もう、という配慮が働いていた可能性がある。

死にかけているドジョウは使えない。ドジョウはイキが良くないといけない。これはドジョウ料理店にとって、イロハのイなのだそうだ。

そうえいば筆者が小さかった頃、筆者の母親もピンピンとしているドジョウを豆腐と一緒に鍋に放り込み、ぐずぐずと煮立てていたものだ。ドジョウは熱に悶え、少しでも冷たいところを求めて豆腐の中にもぐり込む。こうするとドジョウの味が一層ひきたつ。死にかけたドジョウなど使い物にならん。筆者の母親もそういっていたものだ。

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九月十四日(金)晴。早朝六時起床す。ホテル内にて朝餉を喫し、八時バスにて港へ移動し、そこより高速船に乗りて香港に向かふ。昨日の船と異なり、揺るること甚だし。余俄に船酔に苦しむ。

元符三年(1100)の夏、海南島から海を超えて廉州に到着した蘇軾は、今度は永州(湖南省)に移住するように命じられた。そこで蘇軾は、広州で家族と落ち合い、皆で湖南省へ向かおうとした。

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昼食後澳門半島より橋を渡って対岸の島に至り、マカオタワーに上る。高度338メートルの塔にて、展望台よりは澳門とそれに接する中国側の市街を含めて一望しうるなり。香港程にはあらざれど、ここにも高層ビル林立し、それなりに活気を感ぜしめたり。

山折哲雄氏は、日本書紀の「孝徳記」に記されている大化2年(646)の勅、いわゆる「大化の薄葬令」を取り上げて、そこに古代日本人の葬儀に関する考え方を読み解こうとしている。(日本人の霊魂観)

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米共和党大統領候補ミット・ロムニーが政治資金パーティーで発言したという内容が論議を呼んでいる。その中でロムニーは、「アメリカ人の47パーセントは全く所得税を払っていないから、私の減税政策は彼等には縁がないし、私も彼らのことを気にかけるつもりはない」と発言した。更に、「彼等は、"自分たちは社会の被害者であって、政府はそんな自分たちの面倒を見る責任がある"と考えている」とも発言した。

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九月十三日(木)晴。早朝六時半に起床、七時半に朝餉をなし、九時にホテルを辞す。澳門行の船の発着場はホテル近くにあり、そこまで歩みて至り、通関手続きを為して後、船に乗り込みぬ。

甲冑に身を固め、槍をかざして名馬ロシナンテに跨り、颯爽とラ・マンチャの草原を行くドン・キホーテ。いかにも英雄的なこの姿は、騎士物語を読んだあげく脳みそがからからになり、自分を憧れの騎士であると思い込んだ不幸な老人の自画像なのだ。

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自民党総裁選がたけなわだ。町村、石破、石原、安倍、林の五氏が立候補してしのぎを削っている。なにしろ野田民主党の不人気のおかげで、次の総選挙では自民党のタナボタ勝利が期待でき、場合によっては自民党総裁即総理大臣になれる可能性もでてきたとあって、各候補者の意気込みは並大抵ではない。

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昼食後紅勘なる鉄道の駅に至る。そこより電車に乗りて深圳に行かんとするなり。駅前広場人々雑踏し、ビラを配る者の姿あり。立て看板には「法輪功邪教」、「江沢民流亡集団」などと書かれてあり。ガイド決してビラを受け取ることなかれといふ。若しビラを携へて深圳に至らば、必ず官憲に拘束せらるべし。何故ならビラには中国共産党を批判する文言溢れをるなればと。

「やさしい」という言葉の意味を国語辞典で調べると、①様子が上品で美しい、②他人に対して思いやりがある、③性質が温和で好ましい感じがする、④身が痩せ細る思いがする、恥ずかしい、⑤つつましやかである、⑥けなげ,殊勝である、といったことが書かれている。(以上は大辞泉を参考)

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NHK・Eテレの「日曜美術館」が安野光雅さんを取り上げた。日頃から安野さんの大ファンである筆者は夕食を早めに切り上げて、午後8時からの画面に食い入った次第だ。題して<「雲中一雁」の旅>

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九月十二日(水)晴。早朝六時過起床す。窓より外を見るに香港の市街パノラマを見るが如し。眼下には九竜半島の高層ビル群林立し、正面奥手には香港島の市街地を臨む。右手に見ゆるは青衣島にて、九龍半島との間に数本の橋架りてあり。余らの乗れるバスは最も手前の橋を渡りて九龍半島に来れるなるべし。

牧原憲夫「民権と憲法」(岩波書店)は、明治維新後に近代日本の骨格が形成されていく過程で、明治天皇が重要な役割を果たしたと評価している。明治天皇は薩長が自分たちの旗印として、あるいは権力の源泉として利用したという側面が強いが、薩長藩閥勢力のたんなる傀儡ではなかった。時に自分の意思を明確に表示し、国の方向に強い影響を及ぼすこともあった、と見ているわけである。

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筆者が9月11日から5日間の中国旅行を終えて日本に帰ってきたのは9月15日の土曜日のこと。すると早速目に飛び込んできたのが、中国各地で反日デモが吹き荒れているというニュースだった。帰国当日の15日には、筆者らが旅行した香港や深圳を含め数十都市で反日デモが発生。北京では日本大使館を大勢のデモ隊が囲み、上海では日本人が危害をうけたという話もあった。

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旧知今子とともに中国嶺南地方を旅せんと欲す。香港より深圳、澳門を周遊せんとするなり。これに広州を加へたらんには嶺南の主要都市を踏破すべしといへど、各旅行会社のツァー・プランに適合するものを見ることなし。よって、上記三都市を周遊することとせしなり。成田より飛行機にて香港に至り、そこより陸路深圳に至り、深圳より海路澳門に至り、再び船に乗りて香港に戻るといふプランなり。旅程は四泊五日なり。

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愛の園における鳥たちは、愛の歌を歌っているが、地獄における鳥は人間を貪り食う。「悦楽の園」右側パネルの右下に描かれている巨大な鳥の化け物がそれだ。愛の園の歌う鳥と違って、この化け物は、頭部は鳥だが胴体と四肢は爬虫類のそれを思わせる。

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渡り鳥が飛んでいくのをみて、自分も渡り鳥に乗って、他の星に移動しよう、王子はそう思ったんじゃないかな。

翌9月11日から15日までの5日間、筆者は中国華南地方に旅行します。その間当ブログを休止しますのでご了解ください。なお、帰国後は旅の印象などを文章にして、アップロードしたいと考えています。

前衆議院議長河野洋平氏が、雑誌「世界」のインタビューに答える中で、最近の政治について批判している。

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この写真は、雑誌ニューヨーカーが紹介していたフォトアートの一枚。先日プーチンがハング・グライダーに乗ってシベリア白鳥とともに空を飛んだが、それを材料にした一種のジョークだ。筋骨隆々たるプーチンは、この写真の中では、鳥に乗って大空を飛び廻っている、というか、プーチン自身が鳥になりきっている。

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ボスのトリプティック「悦楽の園」の右側画面は地獄を描いている。ボスの地獄のイメージは、炎と洪水からなるが、この絵でもそうである。後景で火災が、中景で洪水が描かれている。火災の炎は真っ赤に輝き、その赤い色合いが手前の水に反射している。洪水の方は途中で氷結し、薄い氷の状態を呈している。そして前景では、炎と洪水に慄きつつ、地獄に落ちた人間たちが、奇妙な生き物たちの手によって、責め苦を負わされているところだ。

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ヴラヂ・ヴォストークでのAPECの場を利用して、野田総理大臣とロシアのプーチン大統領が会談し、北方領土問題を議題にしたそうだ。その中で野田総理は、北方領土問題を解決して平和条約を締結したいとする日本政府の立場を説明し、「双方が受け入れ可能な解決策を見つけるべく、首脳、外相、事務次官レベルの議論を進めたい」と提案。プーチン大統領も、「世論を刺激せず、静かな雰囲気のもとで解決したい」と答え、日露間で協議を行うことに合意したという。

 やがて、この花のことが、よくわかるようになったんだ。

 もともと王子の星には、花びらが一重で、場所をとらず、人の迷惑にもならない花が咲いていた。その花は、朝、葉っぱに包まれて咲き、夕方には、散ってしまうんだ。

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先日、一緒に尾瀬に遊んだ仲良しの熟女たちを描いた水彩画を、このブログにアップしたところだが、今度は雄大な尾瀬の湿原を描いたものをお見せしたい。

蘇軾は海南島で一匹の犬を飼っていた。海南島を出るとき、蘇軾はこの犬も連れて行った。一行が澄邁駅を過ぎたとき、川の流れがあった。そこには長い橋が架かっていたが、犬はその橋を渡らずに、川を泳いで渡った。その様を見て、駅の人々はみな驚いたという。

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万事目立ちたがり屋で露出狂のプーチンが、またひとつパフォーマンスを演じて、ロシア人たちの耳目をそばだたしめた。シベリアの空をハング・グライダーで飛んで、白鶴たちがシベリアから中央アジアの草原へと渡っていくのをエスコートしたのだ。

山折哲雄氏は「日本人の霊魂観」という著作の中で、「日本霊異記」を取り上げながら、古代日本人の霊魂観の変遷を分析している。それは基本的に言えば、日本古来のシャーマニズム的な霊魂観と、仏教的な世界観とが融合していく過程としてとらえられることになる。

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日朝会談に意欲を見せるなど、最近の北朝鮮には変化の兆候らしきものが感じられる。まず金日成時代には先軍政治一点張りだったものが、最近では経済の立て直しと、国民の生活向上が、金正恩自らの口から発せられるようになった。日本との関係改善の試みも、日朝間の懸案を少しでも解決して、日本から経済的な援助を引き出そうとする意思が働いているものとみえる。

ジェルジ・ルカーチは筋金入りのマルクス主義者だから、彼の文学理論も革命的リアリズムを基調にしたものだろう、と誰もが思っていることだろう。だが、この革命的リアリズムというのがいまひとつ明確ではない。スターリンの仲間たちが喧伝した社会主義リアリズムは論外として、レーニンの文学理論は輪郭がいまひとつ定かではない。エンゲルスはハイネを熱愛したが、ハイネは文学史上ロマンティシズムの巨匠ということになっている。ところがロマンティシズムほど、リアリズムの対極にあるものはないとされている、という具合に。
会期末まで時間を残して休眠状態に入った政局で、話題はもっぱら自民・民主両党の総裁選に移った。そんななかで、自民党の谷垣総裁が再選に向けて意欲を示しているものの、再選は難しいとの憶測が強まっている。これまで谷垣氏の再選に理解を示していた派閥の長老たちが、谷垣では選挙は戦えないとして、谷垣外しに走っているせいだ。昨日は、谷垣氏が属する派閥のボス古賀氏までが、谷垣氏への協力を拒んだ。

春の語源

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言語学者の阪倉篤義氏は、春の語源は動詞の「晴る」だと推測している(日本語の語源)。古代の日本人にとっては、季節の巡り変りのうちで、冬が去って万物が晴れやかに開けるときを、「はる」とよんだのではないか、そう推測するわけである。

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空中を飛ぶ蛙は幾種類かあるそうだが、その中でも最も大きいのがこのワラストビガエル(Wallace's Flying Frog)だ。体長が10センチもあり、四肢の指の間に水かきのようなものがついている。飛ぶときにはこの水かきを広げて羽根の代わりにするほか、指先には吸盤がついていて、どんなところでも素早くしがみつくことができる。

本書(牧原憲夫「民権と憲法」岩波新書)がカバーしているのは、西南戦争の終了から明治憲法下で日本的立憲体制が確立されるまでの期間である。明治維新を演じた主役たちが退場して、その後に残された脇役たちを中心に、いかにして日本という国家の形を作り上げていくか、その歴史的な課題を巡って、様々な勢力がせめぎ合い、その中から日本的な立憲体制が確立されていく過程をフォローしているわけである。

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今年の夏も九州や紀伊半島では記録的な豪雨に見舞われ、大規模な山津波が各地で発生した。深層崩壊と呼ばれる現象だ。これは長い事件をかけて雨が降り続いた結果、地層に水がたまって浮力がはたらき、山の斜面が根こそぎ崩れる現象だ。

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ボスのトリプティック「悦楽の園」中央画面には、世界の美術史上例を見ない、豊かで官能的なイメージが展開されている。それを幻想的と言うべきではない。イメージそのものに確固とした物質性があるからだ。この物質性ゆえに、イメージは逆らい難い力を以て見る者の目を釘付けにするのだ。

 五日目にも、やはり羊のおかげで、ちびっこ王子の秘密が、またひとつわかったよ。王子は、いきなり、だしぬけに、長い間黙って考えていた問題に、答えを見つけようとするように、こう聞いてきたんだ。
「羊が灌木を食べるとしたら、花も食べる?」
「目にするものは、なんでも食べるんだ」
「トゲのある花でも?」
「ああ、トゲのある花でも食べるよ」
「じゃあ、トゲって何の役にたつんだろう?」

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 この夏、仲良しの豊穣たる熟女たちと尾瀬を散策したことについては、このブログでも紹介したところだが、その折の熟女たちの様子を、あとで水彩画に描いてみた。この絵がそれである。

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前ニューヨーク州知事のエリオット・スピッツァーが、米共和党の副大統領候補ポール・ライアンを大ウソつきだと罵ったうえで、それにも拘わらず国民から多くの支持を集めていることについて、ニューズウィークWEB版に投稿した文章の中で大いに嘆いて見せた。

元符三年(1100)正月、哲宗が死んだ。哲宗の後は弟の徽宗が継ぐことになるが、権力交代の半年ばかりの移行期の間、徽宗の母向氏が摂政として統治した。この期間は、蘇軾ら旧法党のメンバーにとって、わずかな間ながらも、幸運な時期になった。というのも、向氏は章敦ら新法等の指導者のやり方を日頃から憎んでいて、摂政になるや否や、彼らを追放してしまったからである。

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