元符三年(1100)の夏、海南島から海を超えて廉州に到着した蘇軾は、今度は永州(湖南省)に移住するように命じられた。そこで蘇軾は、広州で家族と落ち合い、皆で湖南省へ向かおうとした。
広州では、蘇軾は様々な人から大歓迎を受けた。蘇軾はどんな招待も断らず、また求められれば嫌な顔をせず、詩を書いたり書画を描いたりした。
広州を離れる直前に、蘇軾は居住の自由を認めるという通知を受け取った。そこで、晩年をどこで暮らそうかと、散々に迷った挙句、結局常州で暮らすことにした。常州には、聊かの家産が残っていたからだ。
元符四年の正月、蘇軾の一行は大庾嶺を超えた。七年前には、ここを超えて嶺南へと追放されていく身分であったものが、いまや自由を回復して懐かしい江南の地へと戻っていく。その時の深い感慨を、蘇軾は一片の詩に託した。
嶺を過ぐ
七年来往我何堪 七年来往 我何ぞ堪へん
又試曹渓一勺甘 又試む 曹渓一勺の甘きを
夢裏似曽遷海外 夢裏 曽て海外に遷るに似たり
酔中不覚到江南 酔中 覚えず江南に到る
波生濯足鳴空澗 波は濯足に生じて 空澗に鳴り
霧繞征衣滴翠嵐 霧は征衣を繞って 翠嵐を滴らしむ
誰遣山鶏忽驚起 誰か山鶏をして忽ち驚起せしむる
半巌花雨落参参 半巌の花雨 落ちて参参たり
七年ぶりにこの嶺を超えるのは感慨に堪えない、七年前と同じように渓の水を汲んで飲む、七年間海外にあったことがまるで夢のようだ、その夢のように知らぬ間に江南に帰るのだ
足を洗っていると波が立ってしぶきとなり、霧が衣にまとわりついて滴となる、何の音に驚いたかヤマドリが羽ばたき、岩には花びらが雨のように落ちてきた
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