高橋英夫「友情の文学誌」

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高橋英夫氏が雑誌「図書」に連載している荷風に関する記事が面白くて、ずっと楽しみにしている。フランス語の弟子になった阿部雪子との淡い師弟関係や、晩年になって荷風に近づいてきた相磯凌雪との交友が、興味深く描かれている文章からは、「断腸亭日乗」を丁寧に読み込んだもののみが発見できる、荷風独特の心象風景が浮かび上がってくる。一荷風ファンとしては、答えられない贅沢だ。

そんなことから、氏の著作の中から友情を取り扱った本を読んでみようという気になった。題して「友情の文学誌」。「図書」の記事が、荷風の交友関係を描いたのと同じく、文人たちの友情が同じような筆致で暖かく描き出されているのではないか、そのように期待したわけなのであった。

ここで著者が取り上げているのは、明治以降の日本の近代文学者たちの間で展開された友情についてである。子規と漱石に始まって、鴎外と賀古鶴処、芥川とその周辺、志賀直哉と白樺派、小林秀夫と川上徹太郎といった具合だ。

ここに展開されている友情のありようについては、筆者もまたかねてから感ずるところがあったので、それなりに同感する部分があり、またそうではないところもあった。

同感する部分の最たるものは、子規と漱石を巡る氏の視点だ。子規が漱石にとってほとんど唯一の友人であったといってよいことは、だんだんと定説になりつつあるが、その子規にとっても漱石は特別の存在だった。子規は漱石と違って大勢の友人を持っていたが、本当に心を許したのは漱石だけだったのではないか、その証拠に子規は、死の直前まで漱石のことを気にしていたのである。漱石もまたそのことを感じとって、「猫」の序文で子規への思いを吐露したわけであったのだろう。そんなことを、氏の文面から改めて感じとったのであった。

鴎外と賀古鶴処の関係は、鴎外のあの有名な遺書からも察せられるが、実はこの二人は年齢が7歳も離れていたのだということを、改めて知らされた。そのことは鴎外の交友関係の特色のひとつを表しているのではないかと、氏はいうのだ。というのも、鴎外には同年輩の友人がほとんどおらず、近しい関係になったものは皆、年齢の離れた人たちだったという。そのことはもしかしたら、鴎外に同性愛(少年愛)の傾向があったことを示唆しているのではないか、そんなことを暗示させる書き方になっている、そこのところが面白かった。

同性愛という点では、あの菊地寛にその気があったことを、氏は教えてくれる。菊地寛には一高退学事件というのがあったが、それは同僚の犯した窃盗の罪を自分が代って被ったというものだった。身代わりになった佐野文雄とは、菊地は同性愛の関係にあったというのだ。

その菊地の親友であった芥川には、同性愛の傾向は見られないが、意外と社交的な側面があって、漱石、鴎外の両大家に押しかけ弟子入りしたほか、同年代の友人との交友も広く、文壇の誰彼となく幅広く付き合っていた、そんな光景が浮かび上がってきた。芥川に対する筆者のイメージには、それとは相違したものがあったので、裨益するところがあった。

芥川があまり人見知りをしなかったと言えるのに対して、志賀直哉は人見知りが激しかったようだ。また倨傲なところもあり、鴎外を軽んじるようなことも平気でした。そんな男だから、武者小路のような能天気な男でなければ、付き合いがもたなかったということだろう。

小林秀夫と川上徹太郎は、筆者の記憶のなかでも、一対の存在だといったイメージに包まれている。この二人は、筆者の年代の文学好きには大いに影響を与えたのだが、筆者もそれに違わず、高校時代にこの二人の文章をよく読んだものだ。また、彼らの間に成立していた友情のことも、一つの理想形ではないかと思ったりしたものだ。

そんな彼等だから、ただ一緒にいるだけでも、友情が深まったらしい。その点、一人の女を巡って、小林と中原中也が修羅場を演じたのに比べれば、小林と川上の関係は幸福なものでありえたようだ。それは、二人が似ている点よりも相違している点が多かったことによるのかもしれない、そんなことを氏は仄めかしてもいる。

こんな具合で、この本は明治、大正期の文学者たちの友情を描いているわけだが、それらの友情が、「文壇」という特殊日本的なサークルを舞台にして成立していたという点については、あまり語るところはない。

それでも、男同士の、しかも日本人の友情のあり方を見るには、この本は適当な手がかりになると思う。


関連サイト:日本文学覚書 





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