雷電:菅原道真の怨霊

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能「雷電」は菅原道真の怨霊をテーマにした能である。藤原時平らの陰謀によって失脚し、大宰府に流された道真が、死後怨霊となって都にあらわれ、時平らを呪い殺したり、自然災害をもたらして人々を恐れさせる。それは道真に不実の罪を着せたことへの報復だと考えた朝廷は、道真に天神の称号を贈り、厚く遇することで、怨霊の怒りを鎮めた。こうした道真にまつわる伝説を作品化したものが「雷電」である。

雷電とは字の如く雷や稲妻のことをいうが、それは道真の荒ぶる魂が形として現れたもので、怨霊のシンボルのようなものである。太平記では、道真の怨霊が雷電となって宮中を襲い、時平らを呪い殺すところが語られている。

この作品では、道真は比叡山延暦寺の座主法性坊のもとに現れ、これから雷神となって暴れまわると宣言するところから曲が始まる。そしてその言葉通り宮中で暴れまわることになった道真の怨霊を、法性坊が法の力によって取り鎮め、最後には宮中から天神の称号を贈られた道真の怨霊が、感謝しながら去っていくという結構になっている。

作者や製作年代は不明だが、そんなに古い能ではないらしいことは、複式能の形をとっていることから伺われる。

前段では、道真の怨霊と法性坊とのやりとりが行われ、後段では雷電となって暴れまわる道真の怨霊を法性坊が呪文を唱えながら取り鎮める。そして最後に天神の称号を贈られた道真は、天空の彼方へと飛び去っていく。

非常に単純なストーリーで、劇的展開には乏しいが、雷神のおどろおどろしい舞が怨霊のすさまじさを表現している。どちらかというと、視覚的効果に富んだ作品といえよう。

ここでは先日NHKが放送した宝生流の番組を紹介する。シテは宝生和英、ワキは森常良だった。

舞台にはまず、比叡山延暦寺の座主法性坊が二人の従僧を伴って現れる。(以下テクストは半魚文庫から)

ワキサシ「比叡山延暦寺の座主。法性坊の律師僧正にて候。
詞「偖もわれ天下の御祈祷のため。百座の護摩を焚き候ふが。今日満参にて候ふ程に。頓て仁王会を取り行はゞやと存じ候。
サシ「げにや恵も新たなる。影も日吉の年古りて。誓ぞ深き湖の。漣寄する汀の月。
地「名にしおふ。比叡の御嶽の秋なれや。比叡の御嶽の秋なれや。月は隈なき名所の都の富士と三上山。法の燈火自ら。影明らけき恵こそ。人を洩らさぬ誓ひなれ。人を洩らさぬ誓ひなれ。

法性坊は天下祈祷の胡麻を焚き終わり仁王会を行っているところだが、そこへシテ(道真の亡霊)が現れ、中門の扉を叩く。

シテ「ありがたや此山は。往古より仏法最初の御寺なり。げにやかりそめの値偶も空しからず。我が立つ杣に冥加あらせてと。望を適へ給へとて。満山護法いちれつし。中門の扉を敲きけり。
ワキ詞「深更に軒白し。月はさせども柴の戸を。敲くべき人も覚えぬに。いかなる松の風やらん。あら不思議の事やな。
シテ詞「聞けば内にも我が声を。怪め人の咎むるぞと。重ねて扉を敲きけり。

不思議に思った法性坊が物の隙よりよくよく見ると、それは死んだはずの道真。法性坊はとりもあえず中に入るよう道真に呼びかける。

ワキ「あまりの事の不思議さに。物の隙よりよく/\見れば。これは不思議や丞相にてましますぞや。心騒ぎておぼつかな。
シテ詞「頃しも今は明け易き。月にひかれてこの庵の。樞を敲けば内よりも。
ワキ「不思議や偖は丞相か。はや此方へと。
シテ「夕月の。
地「影珍しや客人の。影珍しや客人の。稀にあふ時は。なか/\夢の心地して。いひやる言の葉もなし。上人の丞相も。心解けて物語。世に嬉しげに見え給ふ。あはれ同じ世の。逢瀬とこれを思はめや。逢瀬とこれを思はめや。

中に入った道真と法性坊は、対面して互いになつかしみあう。というのも、道真と法性坊は子弟の間柄なのだ。法性坊は道真を師と仰ぎ、道真も法性坊を可愛がり、なにかと目をくれてやり、おかげで法性坊は、ついには天台宗の高僧にまで出世することができた。

ワキ詞「さて御身は筑紫にて果て給ひたるよし承り候ふ程に。種々に弔ひ申して候ふが届き候ふやらん。
シテ「なか/\の事御弔悉く届きてありがたう候。秋に後るゝ老葉は風なきに散り易く。愁を弔ふ涙は問はざるにまづ落つ。されば貴きは師弟の約。
ワキ「切なるは主従。
シテ「睦しきは親子の契なり。是を三悌といふとかや。
シテ「中にも真実の志の深き事は。師弟三世に若くはなし。
地「忝しや師の御影をばいかで踏むべき。

次いで居グセでは、二人のなれそめを道真が語る。

クセ「いとけなかりし其時は。父もなく母もなく。ゆくへも知らぬ身なりしを。菅相公の養ひに。親子の契いつの間に。有明月のおぼろけに。憐み育て給ふこと真の親の如くなり。さて勧学の室に入り。僧正を頼み奉り。風月の窓に日を招き。蛍を集め夏虫の。心のうちも明かに。
シテ「筆の林も枝茂り。
地「詞の泉尽きもせず。文筆の堪能上人も。悦び思しめし。荒き風にもあてじと御志の今までも。一字千金なりいかでか忘れ申すべき。

やがて道真は、自分はこれから鳴雷となって宮中に飛び入り宿敵どもを殺すつもりだが、ついては宮中から厄払いに召されるかもしれない。そのときはかまえて応じないようにと道真が言うと、法性坊は、一度や二度ならともかく、三度も勅使を追い返すわけにはいかないと応える。するとその言葉に道真は怒り、本尊の前に備えられていたザクロをかみ砕くと、それを炎に変えて口から吐きだしながら、行方も知らず消え失せてしまう。

シテ詞「われ此世にての望は適ひて候。死しての後梵天帝釈の憐を蒙り。鳴雷となり内裏に飛び入り。われに憂かりし雲客を蹴殺すべし。其時僧正を召され候ふべし。かまへて御参り候ふな。
ワキ「縦令宣旨はありといふとも。一二度までは参るまじ。
シテ「いや勅使度々重なるとも。かまへて参り給ふなよ。
ワキ「王土に住める此身なれば。勅使三度に及ぶならば。いかでか参内申さゞらん。
シテ「其時丞相姿俄に変り鬼のごとし。
ワキ「をりふし本尊の御前に。柘榴を手向け置きたるを。
地「おつ取つて噛み砕き。おつ取つて噛み砕き。妻戸にくわつと。吐きかけ給へば柘榴忽ち火焔となつて扉にばつとぞ燃え上る。僧正御覧じて。騒ぐ気色もましまさず。灑水の印を結んで。鑁字の明を。唱へ給へば火焔は消ゆる。煙の内に。立ち隠れ丞相は。ゆくへも知らず失せたまふ。ゆくへも知らず失せたまふ。

(中入)中入では間狂言として法性坊の従者が現れる。従者は、これまでの主人と道真とのやりとりを反復した後、道真の怨霊が宮中で暴れているので、宣旨を蒙った主人がこれから宮中に赴き、祈祷をするところだと宣言する。

後段では、台座の作り物二台が正面に据えられ、そこに法性坊が現れて台座の一方の上に乗り、祈祷を始める。

ワキ「偖も僧正は紫宸殿に坐し。珠数さらさらとおし揉んで。普門品を唱へければ。
地「さしも黒雲吹き塞がり。闇の夜の如くなる内裏。俄かに晴れて明々とあり。
ワキ詞「さればこそ何程の事のあるべきぞと。油断しける所に。
地太鼓頭「不思議や虚空に黒雲覆ひ。不思議や虚空に黒雲覆ひ。電四方にひらめき渡つて。内裏は紅蓮の闇の如く。山も崩れ。内裏は虚空に溯るかと。震動ひまなく鳴神の。雷の姿は。現れたり。
ワキ詞「其時僧正雷に向ひて申すやう。卒土四海のうちは王土に非ずと云ふ事なし。況んや菅丞相昨日までは。君恩を蒙る臣下ぞかし。内恩外忠の威儀未練なり静まり給へ。あらけしからずや候。

法性坊が祈祷しているところへ道真の怨霊が雷電となって現れ、おどろおどろしく舞いまわる。それへ向かって法性坊が数珠を押しもみながら祈祷の言葉を浴びせかける。祈祷が効を奏し、道真の怨霊は静まる。そこで朝廷に天神の位を贈られて、喜んだ道真は黒雲にうち乗って虚空に舞い上がっていく。

シテ「あら愚や僧正よ。われを見放し給ふ上は。僧正なりとも恐るまじ。われに憂かりし雲客に。
地「思ひ知らせん人々よ。思ひ知らせん人々とて。小龍を引き連れて。黒雲にうち乗りて。内裏の四方を鳴りまはれば。いな光電の。電光頻りにひらめき渡り。玉体危く見えさせ給ふが。不思議や僧正の。おはする所を雷恐れて鳴らざりけるこそ奇特なれ。紫宸殿に僧正あれば。弘徽殿に神鳴する。弘徽殿に移り給へば。清涼殿に雷なる。清涼殿に移り給へば。梨壷梅壷。昼の間夜の殿を。行き違ひ廻りあひて。われ劣らじと祈るは僧正。鳴るは雷。もみあひ/\追つかけ/\互の勢たとへんかたなく恐ろしかりける有様かな。千手陀羅尼をみて給へば。雷鳴の壷にもこらへず。荒海の障子を隔て。これまでなれやゆるし給へ。聞法秘密の法味に預かり帝は天満自在。天神と贈官を。菅丞相に下されければ。嬉しや生きての怨死しての悦これまでなりやこれまでとて。黒雲にうち乗って虚空にあがらせ給ひけり。


宝生流では、雷電は「来殿」と言う題名で、長らく異なった形で上演されてきた。後段での雷電のおどろおどろしい舞のかわりに、天下泰平をことほぐ祝祭的な舞が挿入されていたのである。

宝生流は加賀の前田侯の庇護を受けていたが、前田氏は菅原道真の子孫を名乗っていた。そんなところに、徳川時代の末に菅公九百五十年忌を記念した催しがあった際に、メインの曲目としてこの「雷電」が選ばれたが、もともとの形では、道真公の雰囲気に相応しくないと言うので、後段のおどろおどろしさを省いて、その代わりに祝祭的な舞を持ち込む小書を作ったわけである。

宝生流が、上記のような古来の形にのっとった演出をしたのは昨年が初めてのことだという。


関連リンク: 能楽の世界:能・狂言・謡曲





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