蓼食ふ蟲と卍の共通性

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かつて丸谷才一は「卍」と「蓼食ふ蟲」とを一双の屏風に譬え、このふたつの作品が、形式的にも内容的にも深い関連を有していると指摘したが、筆者もまた同じ感を抱いてきた。筆者がこの二つの作品を相次いで読んだのは、かなり昔のことだが、以来、この二つを姉妹作品のように思いなしてきたのである。

最近読み返してみて、あらためてその感を強くした。というのも形式的な類似性はともかく、内容においても響きあうものを感じたのである。外見的な姿は無論かなり異なる。一方は同性愛を中心にして、背徳的な男女が愛憎を繰り広げるドラマチックな小説であるのに対して、他方は、破たんした夫婦関係を淡々と描きながら、その合間に、文楽の鑑賞やら、淡路の人形浄瑠璃の話やら、日本の伝統芸能に関する作者の薀蓄が語られる。片方は動的な印象を与え、もう片方は非常に静的である。こうしたことからして、両者は一読して非常に異なった印象を与えるのであるが、しかしよくよく考えると、底の方で深く響きあっているのである。

そこでこの二つを深く結びつけている絆とはどんなものなのか、筆者なりに分析してみた。

まず、両者とも関西の同じような場所を舞台にして、関西人の生き様と言うようなものにこだわった書き方をしているということ。それも東京人の立場からする批判的な書き方をしていながら、その批判の対象となる関西風な生き方が淡々として描かれていくということだ。「卍」のほうは主人公が一人称で語るという形を取っているのだが、それでも、ときおり作者の意見が出てきて、その中で作者は関西人のいやみったらしさを、東京人の立場から非難している。「蓼食ふ虫」においても、妻の父親とその妾との関西風の生活ぶりが、東京人の要の目からみると異様な風に受け取られている。それでいながら両者ともに、物語の世界は関西風の色彩を帯びたまま展開していくのである。その色彩みたいなものの共通性が、この二つの作品を、ムードの次元で、深く結びつけているのではないか、そんな風に受け取れるのである。

二つ目は、女を崇拝しているということ。女を崇拝するのは、ある意味で谷崎文学の核心と言える傾向なのだが、この二つの作品ではそれが素直に出ている。これらは女の素晴らしさを男の目から描いた小説なのである。その素晴らしさは、「卍」の場合には光子観音とうかたちで形象化される。「卍」という小説は、この観音様のような女性像を巡って繰り広げられる、女の崇拝の物語なのである。一方「蓼食ふ蟲」においては、女の素晴らしさは岳父の妾の人形のような美しさとして形象化される。当初要はこの女を他人の妾としか思っていないのだが、いつしか気持ちをそそられる自分を感じる。それは女のもつ美しさが、男をして崇拝させずには止まない強い引力をもっているからだ、と言わんばかりなのである。

三つ目は、夫婦だけが男女関係の唯一のモデルではないという主張である。「卍」においては、女同士の同性愛が夫との夫婦愛をしのいでいき、その夫もまた、光子観音と背徳的な結びつきに走っていく、かくして夫婦関係はもろくも崩れ去り、その廃墟の上に新たな背徳の愛が成長してくる。「蓼食ふ蟲」においては、主人公の夫婦関係は物語の始めから崩壊している。主人公の夫妻は互いに離婚を考えており、妻の方は須磨に愛人を持ち、夫の方は神戸の売春宿に足しげく通って性欲をなだめている。しかし、「卍」においては、夫婦関係が崩壊した後に新しい愛が仄めかされているのに対して、「蓼食う蟲」にあっては、そのような愛の形は保障されていない。それ故夫婦関係が崩壊するだけで、その後にはなにも残らないかもしれない。そうした点では、こちらのほうがストレートに夫婦愛を否定しているのだと捉えることもできる。

谷崎は何故、この二つの小説において、夫婦愛のあり方にかくも強烈な攻撃を加えたのであろうか。それを理解するカギは、これらを執筆していた当時の谷崎の事情にあると考えてよい。

この二つの小説が書かれたのは昭和3年前後だが、その時期の谷崎は一家をあげて関西に移住してきたものの、妻千代との関係は冷え切ったままだった。千代の方は他に男を愛人に持つようになり、谷崎は谷崎で、それを黙認した挙句、昭和5年には、千代を離婚、佐藤春夫に譲るといういわゆる「細君譲渡事件」に発展している。こうした生活上の背景が、とくに「蓼食ふ蟲」の方には色濃く反映されているのだろうと思う。

一、 美佐子は当分世間的には要の妻であるべきこと
一、 同様に阿曽は、当分世間的には彼女の友人であるべきこと
一、 世間的に疑いを招かない範囲で、彼女が阿曽を愛することは精神的にも肉体的にも自由であること

に始まる覚書は、主人公の要が、妻とその愛人阿曽をめぐる関係のあり方について、自分から持ち出した条件と言うことになっているが、この段を読むと、細君譲渡事件にあたって谷崎が関係者に出した挨拶状の文言を彷彿させる。

こんなとことから「蓼食ふ蟲」という小説は、谷崎が当時生きていた生活感情を、かなり忠実に盛り込んだ作品だと考えられるわけなのである。


関連サイト:日本文学覚書 





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