谷崎の細君譲渡事件:瀬戸内寂聴「つれなかりせばなかなかに」

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谷崎潤一郎と佐藤春夫との間でなされたいわゆる「細君譲渡事件」は、大方の人にとっては、どちらかというと佐藤の方が谷崎の妻に横恋慕して、挙句の果ては略奪したのであり、谷崎は被害者だったのだと思っているのではないか。筆者なども一時はそう思っていた。しかし、実際にはそうではなく、これは何から何まで谷崎が意図的に仕掛けたことなのであり、谷崎の妻千代夫人も佐藤も、谷崎に振り回されたのだということが明らかになってきた。その辺を明らかにするとともに、千代をめぐる第三の男の存在についてもとりあげて追及したのが瀬戸内寂聴尼の「つれなかりせばなかなかに」という本である。

この本によれば、まず小田原事件の背景として、谷崎が千代の妹セイ子との結婚を考えていたことがあげられる。小田原事件とは、谷崎が妻の千代を佐藤に譲渡する約束をしたにもかかわらず、それを破ったことで、佐藤が絶縁状を叩きつけたというものであるが、谷崎が約束を破ったのは、セイ子に拒絶されたからだと寂聴尼はいう。

このセイ子という女性は非常に魅力的だったらしく、谷崎は彼女がまだ15歳の時に自分の手元に引き取って溺愛したそうだ。「痴人の愛」のナオミはこのセイ子がモデルだという。谷崎は自分好みに育て上げたこのセイ子を自分の妻にしようとして、姉の千代の方を虐待し、その挙句、友人の佐藤春夫に押し付けようとしたのであるが、セイ子に拒絶されて目が覚め、千代と縒りを戻そうとしたらしいのである。

細君譲渡事件は小田原事件の9年後(1930年)に起きている。この事件の前後における谷崎の行動にも不可解なものがある。1926年に、和田六郎と言う青年が押しかけ弟子として谷崎の家に居候をするようになるが、この青年が千代に夢中になり、谷崎もその愛を認めて千代と結婚させようとまでしたというのだ。このことは、寂聴尼が明らかにするまで、文壇では問題にされてこなかった。ところが、「蓼食ふ蟲」は、千代と和田との恋愛関係をテーマにした小説だというのである。

その辺の事情を寂聴尼は次のように書いている。「二人の恋をモデルにした"蓼食ふ蟲"は実に現実の恋愛事件と同時進行形で新聞に書かれていたという事実である。潤一郎は千代に六郎との恋を認めるかたわら、千代から六郎との恋の成行を詳細に報告させていたらしいことである。"蓼食ふ蟲"は実に恐ろしい小説である」

結局この二人の恋は成就せず(千代は六郎の子を妊娠・堕胎したこともあった)、六郎が姿をくらました後に、あの細君譲渡事件が起きるのである。

谷崎は結局千代を愛せなかったらしい。そこで今度は改めて千代を佐藤に譲渡する気になった。佐藤もそれを受け入れた。この二人は小田原事件後長く絶交状態にあったが、譲渡事件の起きる数年前には仲直りしていた。佐藤は千代と和田との関係も知っていたと思われるが、それにもかかわらず千代を受け入れた。よほど千代に惚れていたのである。

事件が起きた前後に谷崎の心をとらえていたのは、後に妻となる松子であるが、何故か谷崎は、千代と離婚した後すぐ松子と結婚する努力をせず(松子は他人の妻であった)、一旦古川丁未子と結婚する(1931年)。そして翌々年には丁未子と早々と離婚し、やがて松子と同棲を始めるようになる。彼らが正式に結婚するのは1935年、谷崎は48歳になっていた。

事実をひとつひとつ点検しながら、寂聴尼の視線は千代にやさしく、谷崎には厳しい。谷崎はあまりにも身勝手すぎる。その身勝手さを妻の千代は忍従した。被害者は一貫して千代の方であったのだ。だから千代が谷崎と別れて佐藤と一緒になったのはよいことだった。千代は圧制者から解放されて本当に自分を愛してくれる男と一緒になることができたのだというわけである。そんな千代の傍らでは佐藤の影は薄い。佐藤は愛する女を進んで獲得することもできないぼんくらで女々しい男というふうに扱われている。まあ、例の「秋刀魚の歌」などを読む限りは、そういう女々しい男という印象は伝わってくる。

付録として、未亡人となった松子と、セイ子との対談が収録されている。セイ子のほうは91歳になっているが、年齢を感じさせないほど生き生きしていると寂聴は言っている。スタイルが抜群で顔は鼻筋が通っている、とても千代の妹とは思われない、もしかしたら種が違うのではないかと寂聴尼は言っている。ともあれナオミのモデルといわれるだけあって、奔放な生き方をしてきたらしい。谷崎から結婚を申し込まれた時には、いやだよといってあっさり断ったそうだが、それは谷崎がちびで醜男だったからだそうだ。

一方松子夫人のほうは、しゃきしゃきとした受け答えで、知性のあることを感じさせる。その夫人が最初谷崎に抱いた印象は異常さだったというから面白い。

なお題名の「つれなかりせばなかなかに」は千代への気持を歌った佐藤の詩の一節である。


関連サイト:日本文学覚書 





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