2013年3月アーカイブ

金正恩の挑発:「北南関係は戦時状態」発表

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北朝鮮の挑発がエスカレートしている。3月30日には、「北南関係は戦時状態に入り、すべての問題は戦時に準じて処理される」と発表し、「朝鮮の尊厳と主権を侵害するいかなる挑発行為に対しても、予告なしに物理的行動を取る」と宣言した。この「行動」には、ハワイやグアムなどの米軍基地や韓国大統領府への核攻撃も含まれている。つまり北朝鮮は、いつでも米韓を相手に戦争するつもりだと言っているわけである。

日本維新の会が昨日(3月30日)結党以来初の党大会を開き、党の綱領なるものを採択したそうだが、そこには「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正する」と書かれているそうだ。そうだ、というのは、筆者はまだその原文を読んだわけではなく、今のところ新聞報道等で知ったに過ぎないからだ。

エミリー・ディキンソンの詩から「わかってるわ あの人がどこかに(I know that he exists)」(壺齋散人訳)

  わかってるわ あの人がどこかに
  隠れてらっしゃてるってことは
  あの人は わたしたちの
  下品な目を避けてらっしゃるのよ

金錯刀行:陸游を読む

嘉州在任中に詠んだ詩のひとつに「金錯刀行」がある。錯刀とは象嵌をあしらった刀の意であるから、この刀には黄金の象嵌があしらわれていたのであろう。これは、その刀を振り回しながら歌ったものと思われる。「行」は楽府のひとつで、音楽に合わせて歌うものだ。

箱根彫刻の森美術館2:水彩で描く東京風景

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彫刻の森美術館のエントランスのトンネルをくぐると、正面に犀の像が見え、その左隣にこのような作品が見える。プールに横向きに浮かんだ巨大な顔の像だ。頭には髪の毛のかわりに蔦の葉が生えている。

衆議院選挙無効判決の意味

昨年12月の衆議院選挙をめぐる「一票の格差」訴訟が全国16の裁判所で提起され、今日(3月27日)すべての判決が出そろったが、いずれも「違憲」ないし「違憲状態」を指摘するもので、厳しいものとなった。今回とりわけ注目すべきなのは、選挙を無効とする判決が初めて出たということだ。そのうち、広島高裁では、一定期間経過後(この場合11月26日)に判決の効力が出るとし、同岡山支部では、この判決が確定した時点で無効になるとした。

カントの道徳哲学

「実践理性批判」の中でカントは、理性の実践的使用を制約するものとして「道徳法則」なるものを持ち出した。道徳法則とは、すべての人間の道徳的な行為を制約する普遍的な基準のことを言う。それに対して、個々人が自分の良心に照らして自分に課す道徳的な基準を格律と言った。カントの関心は、この個人的な格律を普遍的な道徳法則に一致させるところにあったわけであるが、道徳法則そのものがどのような内実を持っているかについては、「実践理性批判」の中では詳細に触れることがない。というのもカントは、これに先立つ論文「道徳形而上学原論」のなかで、道徳法則を巡る議論を展開しており、したがって、改めて詳細を語る必要はないと、考えたのだろう。

春琴抄:谷崎潤一郎の世界

谷崎潤一郎の作品「春琴抄」を評して川端康成は「ただ嘆息するばかりの名作で、言葉がない」と絶賛しながら、ただひとつ難癖をつけるとすれば、鶯と雲雀であるといっている。それらを語った部分が薄手に感じられる、「もし、鶯や雲雀の奥儀を極めた人が読めば、さう感じるであらうと、想像される」というわけである。

Enough Food for Everyone IF キャンペーン

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写真(ロイターから)は、先日ロンドンの国会議事堂前広場で行われたデモの様子。参加者たちは皆一様に、大蔵大臣ジョージ・オズボーン(George Osborne)の仮装をして整然と行進している。彼らのスローガンは「食の平等(Enough Food for Everyone IF)」だ。今年の6月にイギリスで開催されるG8で、このテーマが取り上げられるように訴えているのだという。

解凍されたアイスマン

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1991年にアルプス山中で発見され、これまで冷凍保存されてきたアイスマンのミイラが、初めて完全解凍された。その様子をNHKが放送していたのを興味深く見た。(NHKスペシャル:完全解凍!アイスマン~5000年前の男は語る~)

後衛の位置から:丸山真男の同時代批判

丸山真男の論文集「後衛の位置から」は、「現代政治の思想と行動」の英訳版の刊行がきっかけとなってできた本であると丸山自身が言っている通り、英訳版へ寄せた序文のほかに二篇の論文を収めている。

ベレゾフスキーの変死

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ロシアでは、プーチンの敵は天寿を全うできないとささやかれているらしいが、そのプーチンの敵の中で生き残ってきた最後の大物、ボリス・ベレゾフスキー(Борис Вади́мович Березо́вский)が死んだ。それもロンドン近郊の自宅の風呂場で、不可解な死に方をしたという。早速イギリスの警察機関が操作に入ったというから、この変死の裏には、謀略の動きがあるのかもしれない。

宇宙の年齢は138億歳

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これまで、宇宙の年齢は137億歳と考えられてきたが、あたらしいデータをもとに解析した結果一億年遡って、138億歳であることがわかったという。

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1494年の秋から翌年の春にかけてのイタリア旅行は、デューラーの画業に大きな転機を与えた。デューラーはイタリア、とりわけヴェネチア派の絵画に接することで、技術的にも表現の上でも各段の進歩を遂げたのである。その進歩の過程は、デューラーがこの旅に携えて行った水彩画のスケッチブックを見るとよくわかる。往路に描いた風景スケッチと、復路のそれとでは、非常な格差が認められるのである。

西武と投資ファンドの戦い

西武鉄道などを傘下にもつ西武ホールディングズの大株主たる米国の投資ファンド、サーベラス・キャピタル・マネジメント(Cerberus Capital Management, L.P.)が西武に対して敵対的TOBを仕掛けているそうだ。目的は経営への関与を強め、できれば経営権を握ることも視野に入れているという。

エミリー・ディキンソンの詩から「好きよ、それが何マイルも駆けゆき(I like to see it lap the miles)」(壺齋散人訳)

  好きよ、それが何マイルも駆けゆき
  谷底を舐めるように進み
  貯水池に立ち止まって渇きをいやし
  そして勢いよく山々の

習近平の冷戦思考

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習近平が国家主席就任後に最初に選んだ外遊先はロシア。プーチン大統領との友好的な関係を内外にアピールしたが、それは日米を強く意識したものだとの見方が有力だ。アメリカに対してはミサイル防衛システムを強く牽制するとともに、日本に対しては尖閣諸島が中国にとっての核心的な利益だと匂わせるような発言を行った。

陸游は、蜀の内部を転々とした二年ばかりの間に、戦いを詠んだ歌を多く作っている。そこが金との前線に近かったことを反映しているのだろう。「九月十六日夜夢駐軍河外遣使招降諸城覺而有作」は乾道9年(1173)嘉州にあっての作。南宋が金と戦って勝つ夢を見た。その夢の内容を書いたものだ。

キプロス危機のわかりにくさ

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地中海の小島国キプロスを舞台に起きた経済危機騒ぎが世界の耳目を集めた。金融危機に陥ったキプロスに対してEUが救済に乗り出したが、その条件としてキプロスの銀行預金について特別の課金をするように求めたところ、当然のことながらキプロス国民が大反対、与党がEUの意図を受けて提案した法案はあっさり否決された。そこで、キプロスの経済危機は解決の目途がたたなくなったばかりか、銀行預金は一部機能を除いて閉鎖されたままという異常な事態に陥っている。銀行機能を再開すれば、大量の預金引き出し騒ぎが起こるほか、外国からの資本の流出に拍車をかけるという理由からだ。

箱根彫刻の森1:水彩で描く日本の風景

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先日懇意にしている婦人たちと箱根に遊んだ際、彫刻の森美術館を訪ねた。湯本から登山電車に乗り込んだ頃は雪をみることはなかったが、宮ノ下を過ぎるころからうっすらと雪を被った景色を見るようになり、彫刻の森美術館に入ると一面が雪景色だった。

理性の実践的使用:カントの実践理性批判

純粋理性批判の目的は、理性の限界を定めることであった。それは、神や自由や魂の不死といった形而上学的な理念について、認識の対象としては語り得ないということを証明することで、理性が不毛な議論を展開することに待ったをかけた。しかし、だからといってカントは、こうした理念そのものの存在意義を否定したわけではなかった。こうした理念は、理性の理論的な対象とはなりえないとしても、実践的な対象とはなる。カントはこのように考え、神や魂の不死といった理念を救い出すのである。

芦刈:谷崎潤一郎の世界

谷崎潤一郎の小説「芦刈」は「吉野葛」、「盲目物語」に続いて書かれた作品だが、そのためというのでもなかろうが、この先行する二つの作品を足し合わせたような体裁を呈している。前半部分では「吉野葛」を思わせるような紀行文的なスタイルを用いて古の日本を回顧するというやり方をとり、それに続いて後半部分では、ふと作品世界に紛れ込んできた一老人の口を借りて、盲目物語におけるような女性賛美をするのである。賛美される女性のモデルが、その頃に谷崎がぞっこんであった松子夫人であるのはいうまでもない。
先日、NHKテレビのインタビュー番組の中で、安倍総理大臣が気になる発言をした。民主党政権時代に損なわれたアメリカとの同盟関係を回復できたので、日本の安全保障環境は強化された。アメリカの若者が命を懸けて我国を守ってくれるだろう、と言う趣旨の発言だ。

丸山真男の日本ファシズム論

丸山真男の小論「超国家主義の論理と心理」は、終戦後間もない昭和21年3月に書かれ、その年の5月に刊行された雑誌「世界」の創刊号に載るや否や大変な反響を呼んだ。8.15以前における日本の全体主義体制の本質を論じたこの論文は、続いて書かれた「日本ファシズムの思想と運動」(昭和22年)、「軍国支配者の精神形態」(昭和24年)とともに、日本ファシズム研究の古典的な業績とされるようになった。

全人代は何を代表しているか

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中国の国会と言われる全人代(全国人民代表大会)が、約2週間の日程を終えて、習近平以下のあらたな指導部が登場した。この指導部は今後10年間にわたって中国をリードしていくと考えられるので、日本としても長い付き合いになることを覚悟して、今後の対応に努めていかねばなるまい。

 

デューラーの妻

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デューラーは1494年の5月に、4年間にわたった遍歴を終えニュルンベルグに戻ってきたが、その7週間後に父親の計らいで結婚した。相手はニュルンベルグの大商人ハンス・フライの娘アグネスであった。アグネスは婚資として200グルデンを持参してきた。この金で、デューラーは一回目のイタリア旅行に行くのである。

二つの戦後・ドイツと日本

ドイツと日本は、ともに第二次世界大戦の敗戦国として壊滅的な打撃を蒙りながら奇跡と言われるような復興を成し遂げてきた。その復興の過程には共通する面も多いが、相違する点も多い。ともあれその結果としての、両国の今日の世界における立ち位置を比べてみると、かなりな違いが認められる。その違いとはどんなもので、どんな要因によってそうなったのか。国際政治学者大嶽秀夫氏の著作「二つの戦後・ドイツと日本」は、そんな疑問に答えようとして書かれたものである。

エミリー・ディキンソンの詩から「恍惚の一瞬には(For each ecstatic instant)」(壺齋散人訳)

  恍惚の一瞬には
  苦悩で支払わなくちゃならない
  それもとびっきり
  身のよだるような歩合で

夜讀岑嘉州詩集:陸游を読む

乾道九年(1173、49歳)夏、陸游は嘉州に赴任するが、そこはかつて岑参の赴任したところであった。そこで陸游は、これも何かの縁と思い、岑参の詩を集めて一冊とし、それを公刊した。

花は咲く

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NHKが東北復興支援ソングとして流している「花は咲く」が、いまや国民の広い範囲で歌われているという。昨年末のNHKの歌番組「紅白歌合戦」でも、西田敏行さんら東北ゆかりの人たちが中心になって歌っていた。それぞれが一枚のガーベラを手にしながら歌い継いでいった歌声は、それを聞く者の心を癒したに違いない。

浄智寺の布袋尊:水彩で描く日本の風景

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浄智寺の奥は横に広く、その先の方が墓地になっている。墓地の一部はやぐら形式で、中には結構大きな洞窟もある。その洞窟の入り口に、絵にあるような石像が立てられていた。布袋尊の像だ。

人間の理性は、理念を持つだけでなく理想を持つこともできる。たとえば、ストア派のいう「賢人」がそれである、とカントはいう。賢人は、完全に純粋な徳と人間の知恵という理念を体現したものとして、人間の行動の基準となるものである。人間は自分自身をかかる理想と比較し、これを基準として判定し、自らを向上させる。我々はこれらの理想の客観的な実在性を認めるわけにはいかないが、だからといって、かかる理想を単なる想像力によって作り上げた幻像と見做すべきではない。理想は、理性にとっては欠くことのできない基準なのだ。そう、カントは強調するのである。

春の嵐に蛙も寝ぼける

今日(3月13日)は、東京近辺では春の嵐ともいうべき強風が吹き荒れた。そのせいで交通機関にも大きな影響が出たようだ。筆者もその影響の一端を蒙った口で、午前中にお茶の水の大学病院で治療を受けた帰りに、千葉方面の電車が強風のために運休となり、代替交通手段を時間をかけて乗りついで、やっとの思いで帰宅できた次第だった。強風だけが原因でこんな目にあったのは、長い人生の中でも初めてではないか。

火星に生命誕生の条件が存在

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火星探査期キュリオシティが採取した岩石から生命誕生に不可欠な六つの元素(硫黄、窒素、水素、酸素、リン、炭素)を検出したと、NASAが発表した。このことからNASAは、「火星にはかつて微生物の生存に適した環境があった」とつけくわえた。

何故いま主権回復の日か:安倍政権の深謀遠慮

4月28日を「主権回復の日」に定め、天皇皇后両陛下をお迎えして盛大な記念式典を開催する旨、安倍政権が閣議で決定した。4月28日とは、1952年のこの日、サンフランシスコ条約が締結されて日本が独立を回復したとともに、旧日米安保条約が合わせて締結され、日本がアメリカの保護下に入ることとなった日だ。

盲目物語:谷崎潤一郎の女性崇拝

「盲目物語」について谷崎潤一郎は、「実は去年の"盲目物語"なども始終御寮人様のことを念頭に置き自分は盲目の按摩のつもりで書きました」と根津松子(後の谷崎婦人)宛書簡に書いているとおり、これは新たな思慕の対象となった一婦人にたいするオマージュのような作品ということができる。以後谷崎は松子夫人をテーマにした作品を次々と手掛けていくが、この「盲目物語」は、それら松子ものともいうべき作品群の嚆矢となるものである。
日本人の発想の根底には、人間の意思よりも物事のなりゆき、筋道や道理よりもその場の勢いを重んじる傾向がある、そう丸山は考えていたようだ。言ってみれば、主体性が乏しいということだ。その主体性の乏しさが政治の場で作用すると、政治的な無責任がはびこるようになる。丸山が日本ファシズムと名づけた戦時中の全体主義的な体制は、そうした無責任が生み出したものなのだ。そしてこの無責任さをもたらした根本的な要因こそ、なりゆきやいきほひを尊重する日本人の思考の枠組みなのだ。その思考の枠組みを丸山は歴史意識の古層と名づけ、これが記紀の時代から今日までの、日本人の思考を制約してきた、そう考えるのである。

デューラーの母

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この絵は、1490年に描いた両親像のうちの、母親のほうである。(板に油彩、47×38cm、ニュルンベルグ、国立美術館)

山口昌男氏死す

山口昌男氏の著作の中で初めて読んだのは「道化の民俗学」だった。読んで早速とりこになった。以来その著作を次々と読んだ。当時はレヴィ・ストロースらを中心とする構造人類学が世界的に流行っていたが、山口氏の著作も基本的にはその流れに掉さしたものだったように思える。

エミリー・ディキンソンの詩から「希望は羽の生えた生き物(Hope is the thing with feathers)」(壺齋散人訳)

  希望は羽の生えた生き物
  止まるところは魂のなか
  言葉のない調べを歌い
  決してやめることがない

三月十七日夜酔中作:陸游を読む

乾道八年(1172、48歳)秋、王炎幕府の解散に伴って興元府を離れた陸游は、その年の末に成都に到着した。陸游を待っていたのは、成都府路安撫使司参議官という職であった。これは単に名目上の職であり、王炎幕府の解散によって職を失った陸游をとりあえず処遇しようとする腰掛のポストだったと考えられる。

浄智寺:水彩で描く日本の風景

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北鎌倉から鎌倉市街に通じる街道を歩いていくと、東慶寺の先に、浄智寺がある。街道から少し入ったところだ。山のふところの森に囲まれた一角で、森閑たるたたずまいだ。

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写真(Newsweek から)は、1月14日から3月10日までの55日間、ガンジス川のほとりなるアラハバードで行われているヒンドゥー教の祭典「クンブ・メーラ(Kumbh Mela)」の様子。夥しい数の人々が、バラモンの聖職者に先導されてガンジス川に飛び込んでいく様子である。殆どの人が一糸まとわぬ姿で聖なる川の水を浴びている。

ニュートンとライプニッツの形而上学論争

カントが取り上げた四つのアンチノミーは、伝統的な形而上学のテーマと密接な関係がある。それらはいずれも理念的なものを巡る問題なのだが、これらの問題は、プラトンがイデアを発見し、アリストテレスがそれを形而上学の中心テーマに据えて以来、ヨーロッパの形而上学にとっての主要課題であり続けてきたのである。

私設拘留所が大繁盛:中国の請願者排除対策

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中国の国会に当たる全人代が開催中だが、こうした大規模イベントが開かれると、中国全土から請願者たちが集まってくる。彼らは、地方政府による不当な行為を直接中央の実力者に訴えようとして集まってくるのだ。しかし彼らには多くの場合、過酷な運命が待っている。その始まりが、拘留所への収容だ。

吉野葛:谷崎潤一郎の世界

日本の伝統文化に対する谷崎潤一郎の関心は、「蓼食ふ蟲」で人形浄瑠璃を取り上げたあたりから本格化するが、ほぼそれを前面に出して小説を構成したのが「吉野葛」である。吉野の山奥を舞台にしたこの小説は、謡曲二人静や国栖、それに吉野朝の最後の王子たちの伝説を材料にして、言い伝えの世界と目の前に展開する自然とを一々対応させながら、そこに登場人物の母への思慕の感情をからませる。古の伝統的な世界と今に生きる人間の生き様とが混然と溶け合った美しい作品である。

人の使い捨てを議論する産業競争力会議

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安倍政権が設置した「産業競争力会議」なるものが、「解雇ルールの明確化」について議論を始めたそうだ。「成長産業への人材の移動が円滑になるよう、企業が社員に再就職の支援金を支払うこととセットで解雇できるようにする」などと意義を歌っているが、要するに従業員の解雇をしやすくするための議論である。

筆者は時折「三粋人経世問答」と題して、時評を問答形式で述べることがあるが、これが中江兆民の「三酔人経綸問答」の影響を受けてのこととは、題目からして容易に連想してもらえるだろう。その「三酔人経綸問答」を巡って、丸山真男が面白い話をしている。「日本思想史における問答体の系譜」と題した講演だ。

ユニクロに見る社員の使いつぶし

先日社員を使いつぶす「ブラック企業」について取り上げた。ネットで調べると、そういう企業は結構多く、居酒屋を全国展開しているさる有名企業を始め、サービス業や小売業を中心に広がっているようだ。筆者なりにそうした企業の共通点をあげると、成長企業とよばれるものが多いということだ。それらの企業は、従業員の多大の犠牲の上に急速な成長を遂げてきた。どうもそういえる面があるようである。

デューラーの父

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アルブレヒト・デューラーの父親は、やはりアルブレヒトという名前だった。そのアルブレヒトは自分の家族や生涯の出来事についてメモを残していたらしく、息子のアルブレヒトはそのメモに基づいて「家譜」を書いた。それによれば、父親はハンガリーの小さな町で生まれ、家業の金細工を習い覚えて後、ドイツへ来て、長らくネーデルラントの芸術家たちのもとにいたが、1455年にニュルンベルグにやっていた。息子のアルブレヒトは、このニュルンベルグで生まれ、そこで一生を過ごすことになる。

唐亮「現代中国の政治」

本書は、現代中国の政治を「開発独裁」と位置付け、政治体制の構造的特徴や政治変動のダイナミズムをとらえるものだと、著者自身「はじめに」の中で述べているように、中国がソ連型の社会主義でもなく、また欧米型の近代化路線とも異なった第三の道を歩んできたことの意義について考察している。しかして、それが急速な近代化に成功する一方、社会の民主化と言う面では様々な課題を抱えているということを抉り出している。現代中国論として、非常に参考になる本だ。

エミリー・ディキンソンの詩から「憎んでる暇(I had no time to hate, because)」(壺齋散人訳)

  わたしには憎んでる暇はなかった
  死がそのことを妨げたから
  それにわたしの人生は憎しみを
  極めるほど充実してはいなかった

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イタリアの総選挙で、ベルルスコーニの中道保守が大健闘し、新興政党「五つ星」が躍進した。どちらもモンティが主導してきた緊縮路線を批判し、ベルルスコーニに至っては、減税と財政出動の組み合わせを約束している。これを前にして欧米の批評家たちには、無責任な政治家がイタリアを牛耳れば、一人イタリアの破滅のみならず、ユーロの破滅につながると心配する者が多い。「エコノミスト」誌などは、ユーロが日本の二の舞を舞って、第二の日本になるだろうと警告している。

劍門道中遇微雨:陸游を読む

四川宣撫使王炎は、金との戦いに備えて準備に怠りなかったが、乾道8年(1172)10月、中央政府の役職である枢密使に転じてしまった。和平派が勢力を盛り返し、王炎の主戦論を退けた結果である。首領がいなくなったことで、王炎の部隊は解散。陸游も成都府安撫使司参議官に転ずることになった。

存在感を増すドイツ軍

国際舞台におけるドイツ連邦軍(Bundeswehr)の存在感が増しているようだ。ドイツ軍はアフガニスタンに4000人以上派遣されているのを始め、コソヴォ、レバノン、スーダン、ウガンダ、コンゴといった国々に、国連の平和維持活動の一環として派遣されており、海外派遣の総数は6000人に達する。これに加え、マリにおけるフランス軍の活動を支援することを目的に、新たに80人を派遣する計画がある。

東慶寺:水彩で描く日本の風景

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鎌倉の東慶寺の正式名称は東慶総持禅寺という。もともとは独立した禅宗の尼寺であったそうで、徳川時代には縁切り寺としてその名をとどろかせた。夫との絶縁を願う妻がこの寺の険しい石段を登って山門をくぐれば、何人と雖も手を出すことは許されなかった。

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