四川宣撫使王炎は、金との戦いに備えて準備に怠りなかったが、乾道8年(1172)10月、中央政府の役職である枢密使に転じてしまった。和平派が勢力を盛り返し、王炎の主戦論を退けた結果である。首領がいなくなったことで、王炎の部隊は解散。陸游も成都府安撫使司参議官に転ずることになった。
南鄭での勤務はわずか半年でしかなかったが、陸游の生涯にとっては特別の意味を持つこととなった。彼はこの時期の体験をもとに、後々まで数多くの詩を書くのである。ただし、この時期に作られた詩の数は、そう多くはない。
この時期の詩の一つである「劍門道中遇微雨」は、漢中から四川へ向かう途中、劍門を過ぎたときの作品である。剣門は蜀の北の入り口。よって蜀の別名を剣南と言う。
劍門道中微雨に遇ふ(壺齋散人注)
衣上征塵雜酒痕 衣上の征塵 酒痕を雜じゆ
遠遊無處不銷魂 遠遊 處として魂を銷さざる無し
此身合是詩人未 此の身 合(まさ)に是れ詩人なりや未(いな)や
細雨騎驢入劍門 細雨 驢に騎って劍門に入る
我が衣には旅の塵と酒の汚れとが雑じっている、長旅の途中どこでも意気消沈してばかりいた、一体自分には詩人であることが相応しいのだろうか、細雨の中ロバに跨ってここ劍門に入ろうとは
細雨の中ロバに跨ってここ劍門に入るイメージは、まさに詩人を彷彿させるものだ。しかし陸游の本心はそんなところにはない。気持はあくまでも金との戦いに傾いている。この詩は、そんなアンバランスな気持を歌ったものだろう。
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