盲目物語:谷崎潤一郎の女性崇拝

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「盲目物語」について谷崎潤一郎は、「実は去年の"盲目物語"なども始終御寮人様のことを念頭に置き自分は盲目の按摩のつもりで書きました」と根津松子(後の谷崎婦人)宛書簡に書いているとおり、これは新たな思慕の対象となった一婦人にたいするオマージュのような作品ということができる。以後谷崎は松子夫人をテーマにした作品を次々と手掛けていくが、この「盲目物語」は、それら松子ものともいうべき作品群の嚆矢となるものである。

この作品は盲目の按摩が自分の思慕する夫人について第三者に語りかけるという体裁をとっている。スタイルの点ではだから「卍」の延長にあるものだが、語り手はこの場合は男の按摩であり、語られる内容は自分がかつて思慕した一人の女性の身の上についてである。男である按摩は、この女性の美しさに感嘆し、その女性を思慕しつづける、そしてその女性が子どもを残して死んだ後は、思慕の対象をその女の子に移すのであるが、女の子からは拒絶されて、悲しい後半生を送るというものである。

盲目の按摩が憧れている女性とは織田信長の妹で、不幸な生涯を送ったお市の方である。按摩はふとしたきっかけで近江の大名浅井長政に仕えることになったのであるが、そこに信長の妹市が長政の妻として嫁いでくる。按摩はこの市の方に大層気に入られ、始終お傍につきそうようになる。按摩は市の方の柔らかい肉をもみほぐしたり、三味線を弾き語りしたりして、慰め申し上げる。そうこうするうちに、この女性に恋心を抱くようになるのだが、如何せん身分も違うし、境遇も異なる。そこで按摩はせめてお傍にゐられることに喜びを感じようと自らに言い聞かせるのだ。

やがて浅井長政は信長と対立するはめに陥り、ついには亡ぼされてしまう。其の際に市の方は夫の云いつけに従って城を逃れ信長に保護を求める。按摩もその市の方母娘と一緒に信長の清州の城で暮らすようになるが、それは按摩にとっては、生涯でもっとも幸せなときであった。というのも、市の方は夫に死に別れた未亡人であり、かつ世の中から身を引いてひとり静かに暮らしている。按摩はそのお傍に仕えて、いわば市の方を独占できるような立場にいられることができたからである。といっても、按摩は市の方の肉を揉むことができるだけで、その肉を自らのものにできるわけもない。その女性はあくまでも、心の中での思慕の対象でしかないのだ。それ故にこそかえって、その思慕はすさまじいほどの怨念に彩られるわけである。

市の方が未亡人になったのは20歳ころのことと設定されているが、それから10年ほど後に本能寺の変が起きる。弔い合戦に勝利した秀吉はかねて市の方に懸想しており、信長亡き後その思いをとげんとして市の方に迫るのであるが、市の方は秀吉が嫌いなので、柴田勝家に再縁することを選ぶ。ところがこの再縁は半年しか続かない。勝家は秀吉と対立し、ついに亡ぼされてしまうのである。その際に市の方も夫と運命を共にすることを選ぶのだ。

按摩もかねてから市の方と生死をともにする決意でいたが、土壇場になって市の方の長女お茶々の命を助ける役をひきうけることになる。茶々を背中に負って、落城する城を落ち延び、秀吉の保護を求めに赴くのだ。その際按摩は、茶々の尻を両手で抱えながら、その肉の柔らかさが、母親の若い頃の肉の柔らかさを思い出させるのを感じ、狂おしいほどの欲念に囚われる。その欲念が、かつて思慕した女性の娘とともにもう一度生き直したいという欲望を起こさせるのである。

その部分をちょっと引用しておこう。「せなかのうへにぐったりともたれていらっしゃるおちゃちゃどののおんゐしき(臀)へ両手をまはしてしっかりとお抱き申しあげました刹那、そのおからだのなまめかしいぐあひがお若いころのおくがたにあまりにも似ていらっしゃいますので、なんともふしぎななつかしいここちがいたしたのでござります・・・お茶々どののやさしい重みを背中にかんじてをりますと、なんだか自分までが十年まへの若さにもどったやうにおもはれまして、あさましいことではござりますけれども、このおひいさまにおつかへ申すことが出来たら、おくがたのおそばにゐるのもおなじではないかと、にはかに此の世にみれんがわいて来たのでござります」

この部分を読むと、書かれている内容の妖艶さはともかく、表現のスタイルまでもが艶っぽく感ぜられる。谷崎は文章をただ音節の連続としてのみならず、視覚的なイメージとしてもとらえていたのがわかる。

ともあれこの物語は、美しい女性とその娘の母子二代にわたって仕えた按摩のあわれな片恋の物語なのである。その片恋を按摩は必死になって生きる。按摩にとって生きることとは、自分が思慕する女性と一体であるという感覚を得られることなのである。つまり按摩は女性に自分の存在を捧げることで、その女性によって生き直させてもらっているという安心感を抱くのだ。その安心感と言うか、女性に対する思慕の情は、これを書いている間に谷崎が松子夫人に対して抱いていた感情そのものだというのであるから、この作品が、作家による自画像のようなものだといわれる所以である。

ところで谷崎は小説の末尾で、いくつかの史実に言及している。それらの史実を持ち出した理由は、市の方の傍らに按摩が付き添っていたとしても不自然とはいえないこと、またこの作品で按摩は三味線を弾いているが、三味線が天正時代にはすでに普及していた形跡があるなどといいたいためのようだ。そうすることで谷崎は、この作品が荒唐無稽なものなのではないと云いたかったのかもしれないが、それはいらぬつけたしのように見える。


関連サイト:日本文学覚書 





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