何故いま主権回復の日か:安倍政権の深謀遠慮

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4月28日を「主権回復の日」に定め、天皇皇后両陛下をお迎えして盛大な記念式典を開催する旨、安倍政権が閣議で決定した。4月28日とは、1952年のこの日、サンフランシスコ条約が締結されて日本が独立を回復したとともに、旧日米安保条約が合わせて締結され、日本がアメリカの保護下に入ることとなった日だ。

今年は1952年からは61年目にあたり、いわゆる「節目の年」でもない。それにこの日は沖縄では、本土から切り離されてアメリカの施政権下に繰り入れられたことから、「屈辱の日」として記憶されている。そんなこともあって、安倍政権の今回の決定には懐疑的な反応が多い。沖縄のことを考えれば、日本中でいまさらこの日を祝う気にはなれないというのが、大方のマスコミの意見であるし、沖縄県の仲井真知事も、安倍総理の意図がまったく理解できないと言っているようだ。

だが筆者などには、安倍総理の意図は、透けてみえるようにわかる気がする。安倍さんの最大の政治課題は憲法改正だ。その課題を達成するためには様々な露払い行為が必要になるが、今回の「主権回復の日」も、そうした露払いの一環として位置付けているのではないか。

安倍さんを始め日本の右翼勢力が憲法に敵愾心を持っていることは良く知られている事実だ。彼らがその理由としているのは、この憲法が、いわゆる「押し付け憲法」だからということだ。この憲法は、日本が敗戦国として主権を失っていた時に、アメリカによって押し付けられた。だからそれは日本国民の正当な意思にもとづいたものではない。そんな憲法は廃棄して、新しい憲法、つまり日本国民自身による自主憲法を作り直すべきだ。こういう議論に基づいて、彼等は憲法改正を声高く訴えているわけである。

こうした文脈からすれば、主権回復の日というのは立派な意味をもつのである。いままで日本の国民は主権を回復して独立国家になったことの意義を本当に考えたことがなかったのではないか。もし本当に考えたのであれば、占領時代にアメリカから押し付けられた憲法をやめて、自主憲法を制定しようと動いたはずだ。だからいまからでも遅くはない。毎年この日の意義を国全体で考えることで、日本人の独立意識を高め、ひいては日本国の独立の象徴としての憲法のあり方を考える。そうすれば自主憲法制定に向けての国民の機運も自ずから高まるのではないか。どうも安倍さんらはそのように考えている、と筆者には思えるのだ。

憲法改正も主権の日の制定も、先の総選挙での自民党の公約である。だから今回の措置は安倍政権が突然言い出したことではなく、自民党が選挙前からの約束を果たしたということに過ぎない。安倍政権は、憲法改正に向けての動きを胸を張って前進させていこうとするだけの話だ。

まず主権の日の意義を国民に考えさせることで、現憲法が主権を失われた状況下で押し付けられたということを改めて理解せしめ、その理解の上にたって、自主憲法の制定に向けての国民の支持を集めていく。それが憲法改正と言う難事業を達成する王道だ。安倍政権はそのような認識に立って、ひとつづつ布石を伸ばしているというわけなのだろう。

しかし安倍さんのいうことで筆者が理解できるのはここまでで、その先がどうもわからない。というのは、安倍さんは押し付け憲法といいながら、押し付けた当のアメリカに批判的であるわけではない。それどころかアメリカさんに今後も日本の防衛をお任せしたいと考えているふしがある。

本当に自主憲法と云うのなら、日本の防衛をアメリカに全面依存している今の状態を考え直し、日本の未来像を描きなおす必要があるのではないか。ところが安倍さんにはそんな意図は感じられない。安倍さんが考えているのは、せいぜいアメリカとの間で成立している現状を改め、両者の役割の双務性を高めることくらいだ。たとえば今の憲法では集団的自衛権は認められていないから、日本は真の意味でアメリカの対等なパートナーになれていない。だから憲法を改正してでも、アメリカともっと仲良くなれるようにしようではないか。安倍さんが考えているのはせいぜいそんなことだ。そんなことくらいのためなら、何も大袈裟になることはない。


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