歌舞伎座こけら落し公演で勧進帳

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歌舞伎座こけら落し公演の様子を昨日(4月2日)のNHKニュース番組が紹介していたが、その中でとりの番組の最後の部分が実況中継されていた。出し物はご存じ勧進帳、松本幸四郎演じる弁慶の「飛び六方」が画面に映し出されていた。

これを見て筆者は、能と歌舞伎とを思わず比較しないではいられなかった。というのも最近読んだ谷崎潤一郎の「所謂痴呆の芸術について」という小文の中で、谷崎は歌舞伎が「痴呆の芸術だ」と喝破した正宗白鳥の論に同意を表しながら、歌舞伎や義太夫はどちらも能を取り込んで成り立っているが、能が幽玄の美をかもし出しているのに比べれば、ずっと下品である、といったような事を述べていたのを思い出したからである。

歌舞伎の「勧進帳」は、いうまでもなく能の「安宅」を下敷きにした作品である。安宅の関で関守の富樫に誰何された義経主従一行が、弁慶の機智に助けられて窮地を脱するという内容だが、その機智というのが、勧進帳を読み上げることなのだった。弁慶は富樫に向かって、自分らは東大寺の勧進のために諸国行脚をしているものであるといって、その証拠に勧進帳を読んで聞かせるのだが、その勧進帳と言うのは実体のない偽物で、ただの白紙なのである。

弁慶から勧進帳を読み上げられた富樫は、その心意気に感じて、一行に酒を振る舞った上で見逃してやる、というのが能「安宅」のあら筋であるが、その見せ場は、弁慶がカムフラージュのために義経を打つ場面と、勧進帳を読み上げるところである。

歌舞伎のほうもほぼ同じような筋書きになっており、見せ場もやはり勧進帳を読むところであるが、それだけにはすませず、弁慶に「飛び六方」を踏ませるところが歌舞伎らしい演出となっているわけだ。正宗白鳥は、歌舞伎のこうした部分がわざとらしくて興を削ぐといって非難し、谷崎もそれに一定の理解を示すのであるが、筆者のように、能にも歌舞伎にも素人たるものは、両者にはいずれもよいところがあると思っているので、この「飛び立方」なども、あながち排斥せずともよいのではないかと、感じている次第だ。

そんなわけで、昨夜テレビで見た幸四郎の「飛び六方」は、歌舞伎座のこけら落しを飾るのにふさわしい、きびきびとして威勢の良い演技であった。


 





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