宝塚歌劇団の台北公演

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宝塚歌劇団の台北公演(於国立劇場)が好調だそうだ。初日の6日に満席となったのを始め、15日間にわたるすべての公演について、入場券(合計24000席)を既に完売したという。

劇団では1938年に初めて海外公演を行って以来、これまで17か国で24回にわたる公演を重ねてきたが、台湾での公演は初めてだそうだ。今回の成功を踏まえ、劇団では今後東南アジアでの市場の開拓に望みをかけたいと考えているようだ。

というのも、日本では人口の減少傾向などの影響もあって市場の拡大は望めないからだ。来年にデビュー百年記念を迎える劇団としては、次の100年を支えてくれる市場を海外に求めざるを得ないということだろう。

ところで、デビューして間もない頃の宝塚劇団(当初は宝塚唱歌隊といった)は、少女だけによる歌劇を標榜したことで、大いに世間の関心をかったということだが、それ以外にも世間に向けてユニークなアピールを発信していたようだ。宝塚劇団のそんなユニークさの一端について、作家の谷崎潤一郎が、次のような観察を残している。

「で、阪急電車に乗ると、銘仙の衣類にオリーブ色の袴を、裾から脚が二、三寸覗くくらいにつんつるてんに穿いて、白足袋に、大概は下駄で、(たまには草履もあるが、靴を履いたのは一人もない)お下げ、もしくは束髪に結って、若いのは十六、七歳、年をとったのは三十歳近くの、女工とも、女学生とも、さればといって令嬢ともつかない一種異様な婦人たちが、二、三人あるいは四、五人づつ連れ立っているのに乗り合わせることがしばしばある。あの沿線に居住する者は誰でも知っていることだが、これが歌劇の生徒の外出時における征服であって、今では阪急電車情景の一要素となっている」(私の見た大阪及び大阪人)

谷崎は冷やかし半分でこの文章を書いたのだと思うが、当時の彼女らの行動は、御愛嬌といえなくもない。今では無論銘仙の衣類にオリーブ色の袴など穿くことはないだろうが、それでも形を変えた制服に身を包み、やはり群れをなして行動しているのであろうか。関西に疎い筆者などには伺いようもない。

もっとも、谷崎がもうひとつの冷やかしの種としている芸名の垢抜けのしないところは今でも健在のように見える。今回の公演のトップスターの名は、柚希 礼音とか夢咲ねねとかいって、谷崎の時代のスターの名称とほとんど同じ感覚のものである。例えば天津乙女とか紅千鶴とかいった当時の宝塚スターの芸名を、谷崎は源氏名のような、千代紙のような、有職模様のようなといって、その上っ調子ぶりを大いに排撃していたものだ。(写真は共同通信から)


 





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