マーガレット・サッチャー死す

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マーガレット・サッチャーほど評価の別れる政治家はいないだろう。イギリスにおいてさえ、彼女への評価は一筋縄ではいかない。保守的なサークルでは、イギリスを「老人病」から救い出し、若々しく再生させたとする評価がある一方、階層間の対立を一層深刻化させ、イギリスを不寛容な社会にしたという批判もある。しかしどちらの方も、彼女がイギリスに限らず世界の政治史上に巨大な存在感を主張していることは認めている。その所以は、彼女が保守主義を再生させということにある。実際、彼女が活躍した1980年代と言うのは、アメリカではレーガン、日本では中曽根の時代であり、それらの国で一斉に沸き起こった保守主義の旋風は、サッチャリズムと言われる独特の哲学と同じ地盤に立っていたものである。

サッチャリズムを一言でいえば、自主自尊の強調と言うことだろう。彼女が登場した時、イギリスは福祉政策が行き過ぎ、その結果「依存の社会」に陥っていた。人々はまず自分で努力する代わりに、社会による支援を求めるのが当然だと考えるようになった。それでは、国は衰退するばかりだ。人の懐をあてにし、自らは努力しないような国民からなる国が、発展できるわけもない。そこでサッチャーは、国民に自主自尊の精神を再生させるために、あらゆる努力を惜しまなかった。

サッチャリズムを思想的に支えたのは、ハーイェックだといわれる。ハーイェックの経済思想は徹底した自由主義であるが、これをサッチャーは自分の政策の柱とした。雇用のあり方をも含んだ広範な規制緩和と国有企業の民営化などがそれである。こうした彼女の経済政策は、保守主義にとっての新たな政策軸とされ、レーガンのアメリカや中曽根の日本でも採用された。

しかし、彼女の政治家としての成功は、自由主義的な経済政策よりも、外交の成功からもたらされたといってよい。1982年におきたフォークランド戦争は特に彼女の名声を高めることに寄与した。この紛争が起こる前の時点では、彼女への国民の支持率は非常に低かったものが、この戦争に勝利したことで、劇的に上昇したのである。(先般公開された伝記映画では、フォークランド紛争が主なテーマになっていた)

その後、経済政策における効果も徐々にあらわれたが、それがもたらしたのは、製造業の後退と金融業の勃興といった事態だった。21世紀を迎えた時点でイギリスは世界でもっとも金融に依存した経済を持つ国になっていたが、そうした体制がリーマンショックの影響に最もセンシティブに反応した原因となった。それ故、経済政策をめぐる彼女の評価にはまだブレがある。

いずれにしても、彼女は現代の保守主義的政治のスタイルを確立した人物だと評価してよいだろう。小さな政府を基本にし、国民に自立自尊の精神を求める一方、対外的には軍事的な成功を重視するというものである。

その彼女が死んだ。87歳だった。すでに何年も前から認知症に陥り、自分の子どもも識別できなくなっていたことは、上記伝記映画でも触れられていたところだ。おそらく、死を恐怖することなく、静かに昇天していったのだと思う。(写真はWPから)

(参考)マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 





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