淳熙三年(1176)職を免じられた陸游は、成都の郊外に家を借りて寓居し、引退生活に入った。そんな陸游のために范成大はなにかと心配してくれて、祠録を領するように取り計らい、生活の基盤をととのえてやった。ここで陸游は約二年間悠々自適の生活を送ることになる。
東郊飲村酒大酔後作は淳熙4年の作はそんな引退生活の一端を歌ったものだ。
東郊に村酒を飲み、大酔して後の作(壺齋散人注)
丈夫無苟求 丈夫はかりそめに求むる無く
君子有素守 君子はもとより守る有り
不能垂竹帛 竹帛に垂るる能はずんば
正可死隴畝 正に隴畝に死す可し
邯鄲枕中夢 邯鄲枕中の夢
要是念所有 要は是れ所有を念ずればなり
持枕与農夫 枕を持して農夫に与ふれば
亦作此夢否 また此の夢をなすや否や
今朝櫟林下 今朝櫟林の下
取酔村市酒 酔を取る村市の酒
未敢羞空嚢 未だ敢て空嚢を羞じず
爛漫詩千首 爛漫たり詩千首
丈夫は一時の利得のために齷齪せず、君子には守るべき大義がある、歴史に名をとどめることができねば、田野に死んでも良い(苟求:一時の利得を求める、竹帛:竹と絹布、展じて書物、ここでは歴史書)
邯鄲で盧生が見たという夢は、所有することへのこだわりの現れだろう、その枕を農夫に与えてしまえば、また同じ夢を見ることがあるだろうか(邯鄲枕中夢:唐の沈既済の小説「枕中記」にある夢のこと、盧生がみたこの長い夢の物語も実は飯を焚く間の短い時間の出来事だったというもの)
今朝クヌギ林の下で、村で買ってきた酒を飲む、袋が空になっても気にはしない、中にはまだ詩が千首も醸されているから
関連サイト:漢詩と中国文化
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