瘋癲老人日記:谷崎潤一郎を読む

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「瘋癲老人日記」は昭和36年11月から翌年の5月にかけて雑誌に連載されたというから、それを書いていた、というより口述していた谷崎は、小説の主人公と同じく77歳だったわけだ。その当時の谷崎は主人公の老人同様に手がマヒして筆をとることがままならなかったので、口述筆記の形で創作を行っていたのである。その創作ぶりというのは、作中の老人が女性の足の裏の拓本をとるのに夢中になったのと、ある意味同じような意味合いの行為だったのかもしれない。谷崎は沸き出づる想念を形にすることに、老いの生きがいを感じたのではあるまいか。

77歳と言うのは半端な年ではない。まず肉体の衰えはどうしようもない。実際谷崎も筆を操ることが出来なくなった。知的な能力だって衰えたことだろう。この作品にもそんな衰えを感じさせるところがある。文章にたわみと言うか、締りのなさを感じさせるところが散見される。それでもひとつの作品としての体裁をなしているのは、作家の情熱の賜物なのだろう。この年まで作家としての情熱の火を絶やすことがなかったことは、谷崎の最も偉大な所以であろう。

谷崎がこの小説を日記体で書いたのには、それなりの理由がありそうである。日記体というのは、いうまでもなく一人称であるから、主観的な世界を展開するのに適している。無論結構(筋書きやスタイルといったもの)も意味を持つが、客観形式の小説に比べれば、エクリチュールの自由度はずっと高い。老人の取り留めもない内面世界を表現するには、おあつらえ向きの形式と言える。

谷崎はもともと一人称で書くことを好んだ。中期を代表する作品「痴人の愛」はその典型である。そして「盲目物語」、「芦刈」、「春琴抄」へと続く一連の一人称ものの中で、谷崎は人間の心の内面を、ひとつの同じ視点から展開してみせたのであった。その視点とは、物語を語る主人公の目線のようなものだ。物語はこの目線の先に展開することによって、同じ色調に染まるのである。

谷崎は「鍵」で初めて日記体を用いたが、それはちょっと変わったやり方だった。夫婦の交換日記といった体裁をとったのである。そうすることで、描き出される世界は、単眼的な世界ではなく、二つの視点からなる複眼的な世界となった。そこには互いの目を意識しながら、縺れ合い戯れ合う視線の動きが揺らめいていたのである。

これに対して「瘋癲老人日記」は、老人の書いた日記だけからなっている。完全に単眼的な世界である。老人の個人的な日記と言う体裁をとっているので、そこでは老人の心の中の動きが、誰の目もはばからず、のびのびと展開されているのである。

77歳になり、肉体的に衰え、また精神的にもボケかかった一人の人間の心の動きが何憚ることなく自由に語られる。老人が日記を通して語るという行為は、生きることの代償行為だともいえる。老人は無論、現実の生活の場においても、性欲だとか食欲だとかに執着しているのであるが、それを日記の中でも繰り返すことで、必ずしも意のままにならない生活の不足する部分を取り戻そうと、貪欲になっているふうなのである。

この日記の中で、老人の最も重要な関心事は息子の妻颯子である。老人はこの女性に性的に執着する。颯子の方もコケティッシュな小悪魔として描かれていて、老人をなにかと挑発する。老人は一緒にシャワー室に入って、颯子の足の指を口にくわえこんだり、ネッキングと言って首にくらいついたりして、歪んだ性的欲望を満足させる。老人にとってはいまや、この女性へ執着することが、生きることそのものと同義になる。

この辺は、谷崎の若い頃からの性癖であるフェシティズムの集大成といったところだろう。谷崎のフェティシズムが女の足に執着していることは「刺青」以来の古いことであったが、それが此の日記の中では全面的に花開いている。それが颯子の側からの応答によることはいうまでもない。この老人は老いての後に、貴重な伴侶を得ることが出来た次第なのであった。もっともその代償に高額な宝石を交わされるはめにはなるが。

老人がこの女性を相手にする性的な遊戯は健康にとっては危険な面がある。血圧が異常に上がるのだ。そこで老人は、颯子の足を舐めながら、自分はこのまま死んでしまうのではないかと恐れるのだが、だがそれならそれでもよい。恍惚のうちで死んでいけるなら、これほど良いことはないと開き直る。

実際老人は興奮の余り倒れてしまうのである。だが九死に一生を得たのは、老人の強運のためか、生きんとする妄念の賜物か。生き返った老人は、自分のための墓地を作ろうと思って、颯子を伴って京都へ行く。そしてある浄土宗の寺に墓地を作ることとする。そこでどんな墓が良いか、石屋を呼び寄せて相談するうちに突如いいアイディアが思い浮かぶ。それは、愛する女性の足跡の拓本をもとに仏足石をつくり、それを墓石の代わりにして立てさせ、自分はその下に埋めてもらう。そうすれば死んだ後でも自分は愛する人の足に踏まれ続けていることが出来る。こんなにありがたいことはない。

「彼女が石を踏みつけて、アタシハ今アノ老耄爺ノ骨ヲコノ地面ノ下デ踏ンデイル、ト感ジル時、予ノ魂モ何処カシラニ生キテイテ、彼女ノ全身ノ重ミヲ感ジ、痛サヲ感ジ、足ノ裏ノ肌理ノツルツルシタ滑ラカサヲ感ジル。死ンデモ予ハ感ジテミセル。感ジナい筈ガナイ・・・泣キナガラ予ハ痛イ、痛イト叫ビ、痛イケレド楽シイ、コノ上ナク楽シイ、生キテイタ時ヨリ遥カニ楽シイ、ト叫ビ、モット踏ンデクレ、モット踏ンデクレ、ト叫ブ」

この辺りは、谷崎のマゾヒズム趣味の真骨頂ともいえるところだろう。

颯子の方は老人の計画に理解を示し、ホテルの一室で終日床に寝そべり、老人が自分の足の裏の拓本をとるのを自由にさせていたが、やはり気味が悪くなり、翌日黙って東京へ帰ってしまう。それを追いかけた老人であったが、無理をしたことが災いして、そのまま倒れてしまう。そして老人の日記もそこで終わってしまうのである。

「鍵」の場合と違って、老人が死ぬことはないのだが、しかし日記を書き続けられなくなったというのは、死んだも同然だ。この老人にとっては、日記の中の世界を生きることが、現実に生きることとパラレルの行為だったのだから。

なお、この日記の中には、食べ物のこととか、こまごまとした薬の名前とか、東京と言う街の味気なさとか、日本の古典芸能とかについての、谷崎の日頃の感想が挟まれている。そのひとつひとつは何とも云うことのない瑣事ではあるが、それが集まって塊になると、そこから谷崎の人格の片鱗が浮かび上がっても来る。

此の日記体小説は、性をめぐる人間の欲望のおぞましさと、世界に対する生活態度とでもいったものとが、渾然と融合しあった独自の世界を展開することに成功している。谷崎老いてなおうるわしい生を生き得た、といえるのではないか。


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