2013年5月アーカイブ

世界を股にかけてビジネスを展開する多国籍企業。彼らにとって最大級の関心事は、いなに税金を少なく支払うかということだ。そのために、様々な工夫をしている。本社をタックス・ヘブンと呼ばれる国や地域に置くなどは、イロハのイだ。

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2005年に描いた浅草の町屋の風景画をもとに、描きなおしたのが上の絵。下は、その際に付した小文だ。

先般安倍政権の産業競争力会議を舞台にして解雇規制の緩和が論じられたことは記憶に新しい。その際には、金銭でもって解雇ができるようにとの議論が有力になったが、結局安倍首相自らの判断で、この議論は打ち切りになった。経営側のあまりにもえげつない意図に寄り添っているとして、広範な批判を呼んだことに、安倍首相が、彼独特の臭覚で反応した結果である。

ところが、同じような議論が今度は、規制改革会議を舞台に論議されている。こちらは、産業競争力会議の時とはちょっと違った切り口で、解雇規制を容易にしようとする議論が進行しているらしい。

サリンジャーの小説「ザ・キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、村上春樹にとって特別の小説だったらしい。彼はそれを高校生の頃に野崎孝訳で読んで以来、ずっとこだわり続けてきたというようなことを言っているし、また、できたら翻訳もして見たかったともいっている。その宿願がかなって晴れて翻訳できた。そこで翻訳の協力者柴田元幸と、この小説の不思議な魅力について語り合った。それが「サリンジャー戦記」である。「翻訳夜話」の続編ということになる。
以上の考察を通じて筆者は、自民党改憲草案が、立憲主義を排して国権主義を復活させようとするものであり、基本的人権よりも公益や公の秩序を優先させるものであり、平和国家であることをやめて、アメリカ並みに年中戦争をしているような国をめざすものだと言った。それを第三者から見れば、筆者は自民党が明治国家の精神に戻ろうとしている、すなわち彼らの改憲案には復古思想がまとわりついている、と判断している、と見えるかもしれない。しかし、自民党の改憲草案は、復古思想一点張りではない。その中には、将来をにらんだグローバルな視点も含まれている、と筆者は考えている。そうした視点からは、単なる国民国家の回復ではなくて、日本という国がグローバルな世界で生き延びていくための戦略も含まれている。つまり、グローバル時代の国家像のようなものを、自民党の改憲草案は想定している、と考えているのである。

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「風の中の牝鶏」は昭和23年に作られた、小津安二郎の戦後第二作である。小津はこの映画で、戦争がいかに人々の生活に破壊的な影響をもたらすかについて淡々と描いている。あまりに淡々として、戦争を正面からは問題にしていないほどだ。問題にしているのは、罪を犯した女性とその夫の心の風景である。それがあまりにも当たり前のように描かれているので、見ている者はやるせない気持ちになる。実に悲しい映画なのだ。

平和主義は、立憲主義及び基本的人権の尊重と共に、現行憲法の三大理念の一つとされている。それは具体的には、戦争の放棄と戦力の不保持という形を取って現れており、したがってそれを定めた第9条が、常に議論の中心となってきた。改憲を主張する人々は9条規定するところの非現実性を批判し、護憲を主張する人々は、9条を守りぬくことが護憲の神髄なのだと言い続けてきたわけである。

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NHKスペシャル「病の起源」第二集は脳卒中の特集だ。脳卒中は人類だけに見られる病だという。人類の兄弟分たるチンパンジーには、野生状態では見られない。ということは、これは人類が進化の代償として背負った病気の代表格ともいってよい。

「古話にその土特有のものと、他邦より伝来のものとあり、また古く各民族いまだ分立せざりし時代すでに存せしと覚しく、広く諸方に弘通されをりたるものあり。一々これを識別するは、十分材料を集め、整理研究せる後ならでは叶はぬことなり」
基本的人権の尊重は、立憲主義と並んで民主主義の根幹をなす理念である。それは、人間が生まれながらにして自由かつ平等な存在であって、いかなる権力もそれを侵すことはできないということを、法的に宣言したものである。そんなところから天賦人権説と呼ばれることもある。人間の尊厳があらゆる政治的・社会的関係に先立つということに着目した表現だ。
日本維新の会の橋下代表の発言をめぐる騒動がなかなか収まらないのは、橋下代表自身の往生際の悪さによるようだ。代表は一方では、日本軍の従軍慰安婦制度が当時は必要だったといっておきながら、それは現在の自分の認識ではないなどと開き直るばかりか、そんなふうに世間に伝わったのは誤報に基づくものだと、自分の責任を他人に押し付けようとしている。

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「ヨハネ黙示録」第五・第六の封印の場面に続いて、第7章では「刻印を押されたイスラエルの子ら」の場面が展開される。その場面はテクストでは次のように書かれている。

安倍政権が改憲に前のめりになっている。今のところ、改憲の手続き要件の緩和に的を絞っているようだが、これが思惑通りに進んで改憲へのハードルが低くなったところで、一気に全面改憲を、という意図がひしひしと伝わってくる。そこで彼らがいったいどのような方向に改憲しようとしているのか、気になるところだが、その判断材料は示されている。自民党が昨年の4月に発表した改憲草案だ。

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東京を描く市民の会が立教大学で撮影会を催すというので出かけてみた。池袋の駅で降りて、すさまじい混雑の中を歩き、集合時間の1時ちょっと前に正門前についてみると、数名の人が立っていた。結局筆者を含めて8人と云う小規模な撮影会になった。その中には先日小石川でお世話になった村田女史もいる。

エミリー・ディキンソンの詩から「わたしは美のために死んだ(I died for beauty, but was scarce)」(壺齋散人訳)

  わたしは美のために死んだ
  そして墓に横たわるや否や
  真実のために死んだ人が
  隣りの部屋に横たえられた

臨安に召喚されて天使との謁見を賜った陸游だが、彼に用意されていたポストは「提挙福建路常平茶塩公事」というものであった。これは経済官庁のひとつで、茶や塩の専売を監督するものである。今の福建省に当たる領域をカバーする官庁の長官であるから、格としては決して低くはないが、陸游にとっては満足できるものではなかったろう。それでも陸游は不満をいわず、いったん郷里に帰って休養した後、その年(1178)の暮に任地の福建省に赴いた。
このところ株価の乱高下が注目を集めているが、長期金利の上昇傾向も見逃せない。むしろこちらの方が、実体経済に及ぼす影響は大きい。それもマイナスの影響だ。長期金利の上昇は債権の価格の低落を意味するが、それは国債を多く買い込んでいる金融機関の損失につながるし、国の財政負担の増大にもつながる。長期利回りが上がりすぎると、その利払いのために莫大な費用がかかるようになり、国家財政が火の車になって、日本もギリシャ化しないともかぎらないのだ。民間の設備投資意欲も低くなるし、個人の住宅購入意欲にも水を差す。悪いことずくめだ。

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2004年の10月に西銀座の外堀通りの風景を描いたことがあったが、このたびそれを描き直してみた。以下はオリジナルの絵に添えた短文である。

京都大蔵流の狂言師で人間国宝の茂山千作翁が亡くなった。93歳と云うから大往生といってよい。千作翁は京都を拠点としていたので、関東人である筆者には、他の狂言師ほど身近ではなかったのだが、それでも時折拝見する芸は、まことに心あたたまるものがあった。千作翁はなによりも笑顔が素敵な人だった。その笑顔で、太郎冠者や山伏などを心憎いように演じる。その姿が狂言好きの筆者の瞼の底に焼き付いている。
村上春樹、柴田元幸の両氏が翻訳について縦横に語った「翻訳夜話」という本を面白く読んだ。村上春樹は小説を書くかたわら膨大な量の翻訳をしており、それがまた読みやすいことで定評があるのだが、そんな彼の翻訳を縁の下で支えてきたのが柴田元幸ということらしい。というのも柴田自身がいうように、「熊を放つ」以来、村上の翻訳を英文解釈レベルでチェックし続けてきたらしいのである。それゆえ柴田は村上にとって翻訳の同志のようなもので、大いに信頼感を抱いている、そんな雰囲気がこの本の行間から伝わってきた。

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NHKスペシャル「病の起源」第一集は「がん」の特集だ。がんは多細胞生物の宿命と言われており、人間以外の動物でもかかる。そのひとつの証拠として、1億5千万年前に生きていた恐竜の化石からもがんの痕跡が見つかった。しかしその発病率は、人類の場合飛躍的に高い。兄弟分のチンパンジーと比較しても、チンパンジーのがん死亡率が2パーセントなのに対して、人類(日本人)のそれは実に30パーセントである。何故、人間はこんなにもがんになりやすいのか。その秘密は人間の進化にある。人間は進化の代償としてがんになりやすい宿命を背負ったというのだ。

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「長屋紳士録」は小津安二郎の戦後第一作だ。上映されたのは昭和22年4月、東京を始め日本中の町にまだ瓦礫の山が残っていた頃だ。それなのにこの映画で展開されたのは、瓦礫の山ならぬ、別天地のような長屋を舞台に演じられる人情劇だ。人情劇であるから伝統的な人間関係がテーマであるかのように思わせるところがある。いってみれば時代を超越しているのだ。だから戦後の東京の殺風景な風景など問題にならない。当時の批評のなかには、これを時代錯誤も甚だしいとこき下ろすものもあったそうだが、それはこの映画の脱時代性に着目してのことだったのだろう。

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ガン、糖尿病、腰痛、アレルギーなど、人類は様々な病気に悩まされているが、こうした病気の中には、人類特有といえるものがある。たとえば腰痛。これは人類の兄弟分たるチンパンジーには殆ど見られないのに対して、人類では実に四人に三人の割合で悩んでいる。これは、人類が二足歩行したことによってもたらされたものだ。このように、人類の進化の代償としてもたらされた病気が沢山ある。そうした病気のメカニズムを解く学問を進化医学というが、この医学によって病気に新しい光があてられ、ついては今後の予防につながっていく可能性があるのではないか。そんな期待を込めて、NHKが進化医学の現状を紹介していた。NHKスペシャル「病の起源」シリーズがそれだ。その第一回目が先日(5月18日)の夜放送され、筆者は興味深く見た。

南方熊楠の小論「巨樹の翁の話」は、巨樹にまつわる伝説や不思議譚を世界中から集めて比較したものである。まずは熊楠の地元紀州に伝わる伝説の一つとして、次のような話が紹介される。谷の奥に齢数千年の巨大な欅があって、これをやむを得ず伐ることになったが、九人かかって切っても一日では切りきれぬ。そこで翌日行ってみると、木の切口が塞がって、木はもとのようになっている。不思議だと思って夜中に様子をうかがっていると、坊主がやってきて木の切屑をもとに戻して木を継ぎ合わせているのがみえた。そこで、木を切ったあとに切屑を焼き払ったところ、さすがの坊主も致し方が無く、木はついに倒された、という話である。
このブログの先日(5月17日)の記事で、筆者は安倍首相が自衛隊の訓練機に試乗したエピソードを紹介しながら、その訓練機に付されていた731というナンバーの持っているシンボリックな意味合いについて言及した。この番号は、日本の歴史のみならず、北東アジアの歴史の中でもとびきりシンボリックな意味合いを持っているものだ。それは、日本軍が北東アジアの人々に対して行った残虐行為の中でも、とびぬけて残虐な行為として、いまだに記憶されているからだ。

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国連食糧農業機関(FAO)が、将来予想される食糧危機への対策として、昆虫を食べるように推奨しているそうだ。昆虫は栄養価に富んでいる。グラム当たりの蛋白質は牛肉に匹敵するし、魚と同じ量の脂肪酸を含有し、その他ビタミンや繊維質も豊富だ。一番の強みは、牛や豚などの家畜類に比べ、繁殖が容易なことだ。広いスペースも必要としないし、排せつ物から発生するメタンガスが環境を汚染する心配もない。いいことづくめだ。本格的な栽培が実現すれば、人類にとっての貴重な食料となるに違いない。

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四つの封印が解かれて黙示録の四騎士が呼び出された後、子羊は続けて第五、第六の封印を解く。その結果現れたのは、最後の審判の舞台となる場面であった。その場面を、ヨハネの黙示録は次のように書いている。

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英誌エコノミストの最新号が、カバーストーリーにアベノミクスを取り上げている(Abe's master plan :Shinzo Abe has a vision of a prosperous and patriotic Japan. The economics looks better than the nationalism)。この記事は、アベノミクスの三本の矢のうち、一本目の金融政策が効を奏して日本経済が俄に活性化したことを評価する一方で、二本目の矢である財政出動には限界があること、また三本目の矢である成長戦略としての構造改革には農業や医療分野からの根強い抵抗が予想されるなど前途には厳しいものがあるともいっているが、全体としてはうまいスタートを切ったと評価している。

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能「求塚」は観阿弥、世阿弥親子の合作といわれる。観阿弥によって作られた曲に世阿弥が手を入れたというが、たしかに前半部分には世阿弥らしい優雅ささが伺えるのに対して、後半部分は荒々しさが溢れているところが、観阿弥らしさを感じさせる。

エミリー・ディキンソンの詩から「アラバスタ―(Safe in their alabaster chambers)」(壺齋散人訳)

  アラバスターの部屋でやすらかに
  朝にも邪魔されず 昼にも邪魔されず
  復活を待つ柔和な人々が眠っている
  サテンの垂木 石の屋根の下で

カシミール地方を巡る中印間の対立は、双方が紛争の現場から退却することで大事にならずに済んだ。この事件は中國側の現地指揮官の判断によるもので、中央政府が関知していない局地紛争だという位置づけで、双方の政府が表沙汰にすることを避けた結果だといわれる。

陸游の五言絶句「楚城」(壺齋散人注)

  江上荒城猿鳥悲  江上の荒城 猿鳥悲し
  隔江便是屈原祠  江を隔つれば 便ち是れ屈原の祠
  一千五百年間事  一千五百年間の事
  只有灘聲似舊時  只だ灘聲の舊時に似たる有り

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一枚の写真がまた大きな騒ぎを巻き起こしそうだ。この写真(AFPから)は、宮城県松島市にある航空自衛隊を視察中の安倍首相が、ブルー・インパルスの訓練機に試乗しているところを映したものだ。自衛隊の制服らしい物を着て、右手の親指を突き立て、得意そうな表情をしている。

日本維新の会の橋下代表の「従軍慰安婦」を巡る発言が各方面から厳しい批判にさらされているが、この問題のインパクトの強さは、あの読売でさえ尻馬に乗って橋下代表を批判していることでもわかる。読売は5月16日付の社説でわざわざこの問題をとりあげ、「公人としての見識と品位が問われる発言だ」と批判し、「戦時中、旧日本軍以外にも類似した存在があったという指摘は、その通りだろう」といいつつも、「軍に慰安婦が必要だったと声高に主張することが、女性の尊厳を軽んじるものと受け止められても仕方あるまい」と断罪している。

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船橋の長津川調整池は洪水による水害防止のために作られた。船橋市の北部を流れる長津川が山林地帯から平地に出てくる丁度分岐点に作られている。川に沿って大きな溜池が掘られ、その周囲に散策路のようなものが設けられている。溜池は普段は乾燥しているが、大雨が降って川が溢れると、一転してちょっとした湖になる。

村上春樹は1991年の始めから2年半をアメリカ、ニュージャージー州のプリンストンで、その後の2年間をマサチューセッツ州のケンブリッジで暮らした。そのうちプリンストンでの暮らしについて書き綴ったものが「やがて哀しき外国語」だ。「やがて哀しき」などといっているのは、自分は外国語の習得に向いていないと謙遜しているからなのだが、どうしてどうして、村上春樹は優れた翻訳者としても知られているから、あくまでも謙遜でしょう。
日本維新の会のツートップの片割れたる橋下共同代表が、戦時中の旧日本軍の従軍慰安婦は必要だった発言し、世間をあっと驚かせたかと思ったら、もう一方の片割れである石原共同代表が援護射撃よろしく、「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもの」と発言した。この人たちはいったいどういうつもりでこんなことをいったのだろう、というので、マスコミは是非を問わず大騒ぎになった。

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「生れてはみたけれど」は、小津安二郎のサイレント映画の中でも、もっともすぐれた作品だということになっている。サイレント映画というのは、複雑な物語性や微妙な感情表現には向いていない反面、映像の抒情性や様式的な身体表現と言った点に優れている。つまり、トーキーではうまく表現できないようなことを、自然に表現できる利点がある。そうした利点を生かしたことで、この作品は独特の輝きを持つに至ったのだろうと思われるのだ。

「建築土工等を固めるため人柱を立てることは今もある蕃族に行われ、その伝説や古跡は文明諸国に少なからぬ」南方熊楠はこう切り出して、世界中から人柱の例をあげていく。インドなどではいまでも人柱が行われおり、またヨーロッパの文明国でも15世紀ころまでは行われていた。日本も例外ではなく、徳川時代まで行われていたことは間違いない。先日も皇居の二重橋の櫓下から白骨が出てきたが、これも人柱の跡に違いない。こういって、南方の例証は留まるところがない。南方の学問の特徴は、とにかく世界中に類似の現象を求めて列挙し、それらを相互に比較することにある。
岸信介が昭和史を跋扈した妖怪だとしたら、その弟の佐藤栄作は何といったらよいのか。そんなことを考えていたら、面白い言い方に出会った。佐藤栄作は道化だというのである。

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「黙示録の四騎士」は、「ヨハネの黙示録」第六の前段の部分で、子羊が七つの封印のうち最初の四つの封印を解いた時に出現したということになっている。それらは、戦い、殺戮、審判、死の象徴だとされ、世界の終末に出現する光景をそれぞれシンボライズしたものだと信じられてきた。テクストからそれぞれの部分を書きだすと、次のようである。

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今年(2013年)は、日本が世界に誇る映画監督の一人小津安二郎の生誕110周年ということで、松竹を中心に様々なイベントが計画されているという。中でもその目玉は、小津の代表作をデジタルで再生し、それを劇場上演することだ。いまのところ、今週から始まるカンヌ映画祭に、小津の最後の作品「秋刀魚の味」が特別上演されるほか、ヴェニス映画祭では「彼岸花」の上映が予定されているという。また国内では、11月以降に東京神保町シアターで小津作品の集中上映が予定されているそうだ。

エミリー・ディキンソンの詩から「宝石(I held a jewel in my fingers)」(壺齋散人訳)

  宝石を握りしめながら
  わたしは眠ったの
  その日は暖かく 風も穏やかだった
  わたしはいった 離さないわと

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プーチンの側近中の側近として知られるヴラヂスラフ・スルコフ(Владислав Сурков)が副首相の職を解かれ、政治の表舞台から去ることとなった。スルコフと言えば、ナーシなど社会運動体の組織者として行動的な面を持つとともに、国家民主主義を唱えるなどイデオローグとしての側面も持つ。物理的にも理論的にもプーチンを支える懐刀だったわけだ。その男が何故権力の座から追われたか。

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北京東部のビジネス地域に面白い形をしたビルが建ちあがってきたというので、中国のネット社会でちょっとした話題になっているそうだ。というのも、その形が何かを連想させるからだという。その何か、とは何か?さよう、御察しのとおりである。人間の男根のことなのである。

淳熙五年(1178年、54歳)、陸游は皇帝孝宗の命によって臨安に召喚される。陸游はそれを、政務への登用の機会ととらえたが、孝宗の本意はそうではなかった。孝宗は詩人としての陸游の才を愛でて、直に話し合いたいと願って、陸游を呼び寄せたのである。これは「召対」といって、天使が親しく臣民と向き合う特別な機会なのである。

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上の図は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)という病気を治すための手術を受けた場合に、患者が医療機関から請求される医療費の額の、医療機関ごとの分布を表したものである。連邦メディケア&メディケイド・センターの公表データをもとに、ハフィントン・ポストのスタッフが作成した。

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筆者の家の近くに長津川調整池公園と言うのがあって、その散策路沿いにソメイヨシノが植えられている。それが春ごとに見事な花を咲かせるので、付近の人にとっては格好の花見どころとなっている。

岸信介は日本の政治家の中でも最もスケールの大きな人物の一人だったと言える。そのスケールの大きさは、いまだに日本の政治に対して大きな影響力を及ぼしていることからも測られる。なにしろ孫にあたる人が総理大臣となり、彼の政治思想の枠組を実現しようとしている。そればかりか、今や日本の保守勢力のプロパガンダの中身は、まさに岸信介が生前主張していたものの延長に過ぎない。今の日本には、岸信介の亡霊が跋扈しているといってもよいほどだ。
村上春樹作品の魅力のひとつに、メイン・プロットのほかにサブプロットがいくつかあって、それらが物語の展開に重層的な厚みを加えているということがある。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にもそんなサブプロットが嵌め込まれている。ひとつは灰田と云う名の青年との交流、ひとつは六本指をめぐる話だ。そしてこれらの話は、物語の展開の中で互いに絡まり合う。
8日付の中国共産党機関紙「人民日報」が、「歴史的な懸案で未解決のままの琉球(沖縄)問題を再び議論できる時が来た」と主張する論文を掲載したそうだ。党・政府の見解を反映する同紙が、沖縄の主権を云々し、中国に領有権があるかのようにいうのは極めて異常に見えるが、中国側の理屈によればごく当たり前のことなのかもしれない。
安倍政権の経済財政諮問会議が、首都高の莫大な改修費用を賄う財源として、首都高の上部空間(空中権)を売ることを考えているそうだ。安倍総理大臣も乗り気で、早速国土交通省に検討を命じたという。国土交通省のことだから渡りに船だろう。だが、果たしてそんなことが簡単にまかり通っていいのか。もうすこし真面目に考えてもらいたいものだ。

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「父ありき」は親子関係のひとつのあり方を描いている点で「一人息子」とよく似ている。「一人息子」では母子関係であったものが、この映画では父子関係になっている。どちらも親一人子一人の関係だ。そしてどちらもたった一人の息子のために、自分のすべてを犠牲にして、それを怪しまない親の生き方を描いている。その挙句、母親は息子が期待したほど出世できなかったことに、裏切られたような無念さを感じる一方、息子が気持ちのやさしい人間に育ったことに深い満足も感じる。父親の方は、息子が期待通りに育ったことに満足する一方、その気持ちが優柔なことを叱責するのである。こうしてみれば、この二つの作品は、面白い対照をなしているのがわかる。

南方曼荼羅

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この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。

安倍政権が「女性手帳」なるものの導入を考えているそうだ。現在は、妊娠した女性を対象に「母子手帳」を交付しているが、これは母子の健康管理のための手帳であって、出産奨励を目的とはしていない。ところが人口の崩壊現象と言われるような事態を前にして、なんとしても女性の出産率を上げたいという立場から、出産奨励を主な目的として、「女性手帳」を交付するということらしい。

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「ヨハネの黙示録」連作のスタートは、黙示録の最初のエピソード「天井におられるキリストの姿」である。「序文と挨拶」の直後に置かれ、黙示録の始まりを物語る部分である。その部分のテクストは以下のようになっている。

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銃規制を巡って揺れているアメリカで今度は、5歳の男児が2歳の妹を射殺するという事件が起こった。地元の検視当局は「常軌を逸した事故の一つにすぎない」といっているそうだが、問題なのは、この事故で使われていた銃が、男児の所有する銃であったことだ。アメリカではいま、児童向けの小型ライフル銃が公然と売られており、ウオルマートへ行けば、一丁110-140ドルで買うことが出来る。今回男児が使ったクリケットという児童向けの銃は、2008年の一年間に6万丁販売したということだ。まさに銃社会アメリカだ。

エミリー・ディキンソンの詩から「嵐の夜よ!(Wild nights! Wild nights!)」(壺齋散人訳)

  嵐の夜! 嵐の夜よ!
  あなたと一緒なら
  嵐の夜もすてきな
  ひと時にかわる

ボストン・マラソンを襲った爆弾テロについて、村上春樹氏が雑誌「ニュー・ヨーカー(電子版)」にメッセージを寄せた。その中で氏は、自分が過去6回ボストン・マラソンに参加したことを引合いにだし、ボストン・マラソンがいかに素晴らしい催しであるかについて述べた後で、このテロによって傷ついた人たちや、亡くなった人の家族の感情に深い同情を寄せている。
カシミール地方における中印国境紛争は長い歴史があるが、なかなか解決の目途はたたない。そんななかで、これまでインド側が実効支配していた地域に中国軍が入り込み、軍事拠点さえ築こうとしているとして、インド側が反発。互いに軍が睨みあう状態が2週間以上続いているという。いまのところ軍事衝突に発展する可能性は弱いというが、それはインド側が自制しているためだと見られている。

陸游の七言古詩「浣花の女」(壺齋散人注)

  江頭女兒雙髻丫  江頭の女兒は雙髻丫(きつあ)
  常隨阿母供桑麻  常に阿母に隨って桑麻に供す
  當戶夜織聲咿啞  戶に當って夜織れば 聲咿啞たり
  地爐豆秸煎土茶  地爐の豆秸 土茶を煎る
  長成嫁與東西家  長成すれば嫁與す 東西の家
  柴門相對不上車  柴門相ひ對して 車に上らず
  青裙竹笥何所嗟  青裙 竹笥 何の嗟する所ぞ
  插髻燁燁牽牛花  髻に插すは 燁燁たる牽牛花
  城中妖姝臉如霞  城中の妖姝 臉(かほ)霞の如し
  爭嫁官人慕高華  爭ひて官人に嫁し 高華を慕ふ
  青驪一出天之涯  青驪 一たび天之涯を出づれば
  年年傷春抱琵琶  年年 春を傷みて 琵琶を抱く

中国が軍事力で日米をしのぐ、そんな日が遠からずやって来る。米国の外交・安保専門家グループが、中国がいまの勢いで軍事力を増強し続けたら、2030年の時点で日米の軍事力をしのぐだろうと予想しているそうだ。(5月3日朝日新聞朝刊の記事)
労働法学者の濱口桂一郎氏は、雑誌「世界」5月号所収の論文(「労使双方が納得する」解雇規制とは何か)の中で、安倍政権の中で議論されている解雇規制の緩和について、それが日本の雇用の歴史的な経緯を無視した乱暴な議論であり、国際的な解雇規制のあり方からしても問題が多いと指摘していたが、その論旨は労働法制にあまり詳しくない筆者などにも非常にわかりやすかった。そこで氏の論理の背景となっている考え方をもう少し詳しく知りたいと思って、「新しい労働社会~雇用システムの再構築へ」(岩波新書)を読んでみた。

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日比谷通り沿いに威容を誇る増上寺山門は三門ともいい、また三解脱門ともいう。三解脱とは、貪、瞋、痴の三煩悩を解脱するという意味だそうである。

 

憲法96条を改正し、改憲の提案に必要な衆参両院の議員の賛成を現行の三分の二から過半数に改めようとする自民党の主張について、朝日新聞が全国世論調査を行ったそうだ。その結果、反対が54%、賛成が38パーセントとなったという。また9条の改正についても意見を聞いたところ、「変えない方がよい」が52パーセント、「変える方がよい」が39パーセントだったという。
ワシントン・ポスト紙が4月27日付の社説(Shinzo Abe's inability to face history)で、村山談話見直しをめぐる安倍総理大臣の国会発言を取り上げ、それが歴史を直視しないもので、近隣諸国との友好関係を損なうものだと強く批判したことについて、駐米日本大使の佐々江氏が、当該ワシントン・ポスト紙に反論の文章を寄せた。以下が、その文章の全文である。
この題名に初めて接した時、筆者はまず意味がわからなかった。「つくる」を文字通り「作る」とよんで、多崎がなにを「作る」のか、訳が呑み込めなかったからだ。その多崎が色彩を持たないというのも、訳が分からなかった。わかったのは巡礼の年ということだが、それが何故「多崎」の作るものと結びつくのか、それもわからなかった。つまりわからないことだらけの題名に映ったわけである。

日本人が陸上短距離走に弱いのは体質的な宿命だと嘗てはいわれていたものだ。長い間陸上短距離走は、黒人選手たちの独壇場であり、白人でさえもなかなか及ばなかった。まして日本人を含めた所謂黄色人種にとっては、体力の壁が厚すぎるといわれたものだ。 

4月29日に行われた安倍・プーチン会談の席上、領土問題の解決策として、面積を等分に分け合う二等分方式に、プーチンが言及した、と各メディアが伝えている。プーチンは2008年に、ウスリー川の中州にある大ウスリー島について二等分することで中国との国境画定の合意をした事例や、2010年にはノルウェイとの間で係争海域を二等分した例を持ちだしたうえで、「両事例は第二次大戦に起因するものではないという点で、難しい話ではなかった」といったそうだ。

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小津安二郎の映画「戸田家の兄妹」は、ある家族が一枚の記念写真を撮るシーンから始まる。家族の母親の還暦祝いの記念写真だ。そのお祝いのために家族全員が集まって、家族の絆を確かめ合い、其れを一枚の記念写真に残す。ところが、その写真は家族の絆の最後の証しであるとともに、家族の崩壊を暗示するものともなる。この映画はそんな家族の崩壊するさまを残酷に描き出したものなのだ。

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