戸田家の兄妹:小津安二郎

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小津安二郎の映画「戸田家の兄妹」は、ある家族が一枚の記念写真を撮るシーンから始まる。家族の母親の還暦祝いの記念写真だ。そのお祝いのために家族全員が集まって、家族の絆を確かめ合い、其れを一枚の記念写真に残す。ところが、その写真は家族の絆の最後の証しであるとともに、家族の崩壊を暗示するものともなる。この映画はそんな家族の崩壊するさまを残酷に描き出したものなのだ。

戸田家は実業家らしい父親を中心に、子どもが5人いるほか、大勢の使用人を抱えた大家族である。子どものうち長男は独立して自分の家庭を持ち、長女と次女も結婚している。次男(佐分利信)と三女(高峰三枝子)は独身だ。そんな妻子を残して父親が突然死ぬ。記念写真を撮ったその日のことだ。父親は膨大な借金を残したことがわかる。そこで子どもたちが相談して、父親の遺した財産をすべて売り払って借金の返済に充てることと決まる。家を失うことになる母親と三女は、とりあえず長男の世話になることになる。次男は母親たちの面倒を兄たちに託して単身中国の天津に別天地を求めて去る。こうして母親と三女とが他の子どもたちの家をたらいまわしされたあげくに、見捨てられるというのがこの映画の筋だ。

母親たちはまず長男の家の厄介になる。その家はたいそう広いようだが、母親と三女は二人で一部屋をあてがわれ窮屈そうに暮らす。部屋が窮屈なだけではなく、暮しも窮屈だ。長男の妻はこの母子を露骨に厄介者扱いするのである。恐らくその妻に唆された長男が、長女のところに母と妹を押し付ける。母親にとって長女は自分の血肉を分けた存在だから、少なくとも気分のうえでは楽かというとそうではない。主に長女の子どもの教育方針を巡って、長女は母親を責めてやまない。母親はいたたまれず長女の家を出ることにするが、別の子供である三女のもとへやっかいになることをやめて、処分せずに残していた鵠沼の別荘で暮らすことにする。次女の許に厄介になっても結局同じことだと観念したのである。次女もまた厄介な荷物を背負わずにすんでほっとする。

やがて父親の一周忌がやってくる。久しぶりに家族が集まる。天津にいる次男も駆けつけてきた。そこで母親と次女の逆境を知った次男が大いに憤る。お浄めの席上、二女、長女、長男の順に、母親を虐待したことの責任を大いに追及するのである。その挙句、二人を天津に連れて行くと宣言する。母親と次女も一緒についていくと誓う。女中までもが一緒に行きますという。

そんな兄(佐分利信)に向かって妹(高峰三枝子)が、日頃自分が親しくしていて、兄も知っているはずの一人の女性を、結婚相手として薦める。兄もそれを承諾する。用意周到にも、妹はこの友達の女性をあらかじめ招いていたのだ。女性の到着を知らされた兄は大いに照れる。そうして照れる余りにその場を逃げ出し、鵠沼の海岸に逃れ去るところでこの映画は終わるのである。

粗筋から読み取れるようにこの映画はホームドラマである。家族の崩壊を描いている点では、後の東京物語に共通するところがあるが、東京物語よりもはるかにどぎつく崩壊の過程を描いている。東京物語においては、両親をもてなす子どもたちに多少の善意が感じられたのに対して、この映画では、子どもたちのむき出しのエゴが前面に出ている。その点ホームドラマの形をかりた姨捨物語だともいえる。もっとも姨捨は母親の死で終わるが、この映画では次男が母親を拾う話になっている。だから姨拾物語だともいえる。

ところで、この映画が作られたのは昭和16年だ。昭和16年と言えば、12月8日には日米戦争に突入している。日本中が戦争気分に沸き、軍国主義が謳歌していた時代だ。映画監督の中には軍部に同調して、戦意高揚を目的とした戦争映画を作る者が多かった。そんな時代にこのようなホームドラマを小津がとったということは意味深長なものがある。

小津は「一人息子」を取った後、1937年秋から二年間下級兵として従軍し、中国戦線で戦うという経験をした。だから戦争というものについて、それなりの感慨なり見方と言うものをもっていたはずだ。ところが復員後最初に作ったこの映画においては、戦争の影はまったく見られない。この映画は、戦争などないかのように、淡々とした日常生活を描写するばかりなのである。そこが小津の戦争観が逆説的に現れていると言える部分かもしれない。世の中がこぞって戦争騒ぎをしている真っただ中に、あたかも戦争などどこにも起きていないかのような描き方をするということは、まかり間違えば自分を危険にさらすことにつながったかもしれない。実際、小津はこの映画に先立って、「お茶漬けの味」の脚本を書いているが、こちらは「戦時下の非常態勢に相応しくない」という理由で検閲を通らなかった。題名からしてあまりにも日常的であり、たしかに戦意を高揚させるものではない。しかし「お茶漬けの味」がだめで「戸田家の兄妹」はよいという、その辺の基準がどうなっているのかはわからない。

この映画の中で、二男は新天地を求めて天津にいくことになっている。天津は第一次大戦終了以来、日本の影の濃かった土地だ。そこへ勇躍しようとするのだから、日本がその分だけ景気のいいことを物語っているといえなくもない。そんなところが検閲者を油断させたのでもあろうか。

もっともこの映画では、戦争はパスされているだけで、批判や怨嗟の対象にはなっていない。小津は自身の戦争体験をも含めて、戦争というものへのかかわりを一切封じ込んでしまったといえる。そこが、丸山真男などと大きく違うところだ。丸山の場合には、日本の軍国主義への烈しい批判を、自分自身の戦争体験が更に助長したというところがある。

ともあれこの映画は時代背景を頭に入れながら見るべきだと思う。時代背景と言えば、二男が友人二人と小宴を催す場面で、三人が一つの盃を回し飲みしている場面が出てきた。いまではすっかり廃れてしまったこうした風習も、筆者が若かった頃にはまだ完全には廃れておらず、宴会の席上盃を回したことを思いだし、なつかしい気分がした。回し飲みが完全になくなったのは、B型肝炎やエイズの予防がうるさく言われるようになってからだったように思う。

戦争と並んで問題となるのはこの時代の家族のあり方だ。これに関しては、小津はかなり突っ込んで問題にしているのだと思う。特に母親の描き方だ。この映画の中では、母親は子どもたちに対して全く受け身で従順だ。それは「老いては子に従え」という封建道徳を小津が揶揄していることの現れだと筆者などは感じた。こういう描き方は非常に両義的で、見方によっては、封建道徳の批判とも受け取れるし、崩れゆく良き道徳への哀惜とも受け取れる。この映画が検閲に通ったということは、後者として理解されたからだろう。


関連サイト:小津安二郎の世界 





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