キリストと七つの燭台:デューラー「ヨハネの黙示録」

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「ヨハネの黙示録」連作のスタートは、黙示録の最初のエピソード「天井におられるキリストの姿」である。「序文と挨拶」の直後に置かれ、黙示録の始まりを物語る部分である。その部分のテクストは以下のようになっている。

「わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人のこのような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、足は炉で精錬された真鍮のように輝き、声は大水のとどろきのようであった。右の手には七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

「わたしは、その方を見ると、その足元に倒れて、死んだようになった。するとその方は右手を私の上に置いて言われた。恐れるな、わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、代々限りなく生きて、死と黄泉の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。あなたは、私の右手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である」(日本聖書協会訳)

ここでは、ヨセフの見たヴィジョンが語られている。ヴィジョンの中でヨハネの前に現れたのはイエス・キリストである。絵は、そのキリストの姿と、その前にひれ伏すヨハネの姿を描いている。

キリストはアーチの上に坐し、左手には聖書、右手に七つの星を持っている。キリストの前には七つの燭台が置かれているが、それらはテクストが言うように、七つの教会(エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキア)を現している。つまり七つの教会は世界を、そこに君臨するキリストは最後の審判に臨んでいるのである。

キリストの前に膝まづいているヨハネは、キリストの命令に従い、自分が見たことを、今あることを、そして今後起ころうとしていることを書き留めるであろう。それが「ヨハネの黙示録」となって、代々人々に伝えられていくことになろう。

(1497-1498年、木版画、39×28cm、カールスルーエ国立美術館)


関連サイト:デューラーの芸術 





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