灰色と緑色:村上春樹を読む

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村上春樹作品の魅力のひとつに、メイン・プロットのほかにサブプロットがいくつかあって、それらが物語の展開に重層的な厚みを加えているということがある。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」にもそんなサブプロットが嵌め込まれている。ひとつは灰田と云う名の青年との交流、ひとつは六本指をめぐる話だ。そしてこれらの話は、物語の展開の中で互いに絡まり合う。

主人公多崎つくるの前に灰田と云う名の青年が現れたのは、共同体から追放されたことで蒙った深い心の傷からやっと立ち直った直後だった。灰田は同じ学校の二年後輩で、学校のプールでよく顔を合わせるうちに親しくなった。この、やはり色彩を持った若い男に向かって、つくるは、「思考とは髭のようなものだ。成長するまで生えてこない」と言ったところ、その男は、「省察を生むのは痛みです。年齢ではなく、ましてや鬚ではありません」と答えたのであったが、その言葉が暗示するように、不思議な感じの男なのであった。

親しく付き合っているうちに、灰田はレコードを抱えてつくるの部屋に遊びに来るようになった。そのレコードの中にリストのピアノ曲「巡礼の年」も含まれていた。その曲を聞かされた時、つくるはどこかで聞いた曲だと感じた。よくよく反省すると、それはシロがよく弾いていた曲なのであった。「その曲を演奏しているシロの姿が彼の脳裏に、びっくりするほど鮮やかに、立体的に浮かび上がってきた。まるでそこにあったいくつかの美しい瞬間が、時間の正当な圧力に逆らって、水路をひたひたと着実に遡ってくるみたいに」

灰田はどんなものごとについても自分の意見を持っていたし、それを論理的に述べることが出来た。その灰田がある晩、つくるの部屋で自分の父親の若い頃の体験について語った。

父親は若い時に一年ほど放浪生活を送ったことがあった。その折に大分県の山中の旅館に住み込みのアルバイトをしていたことがあった。するとそこに不思議な客が泊りに来た。その客は毎日昼ごろに前日分の勘定をきちんとすますのであった。ある朝父親が温泉につかっていると、その男が入ってきて、父親に声をかけ、緑川と名乗った。緑川は父親に興味を持ったようだった。

緑川は東京からやってきたジャズ・ピアニストだと自己紹介し、できたらピアノを弾きたいと言った。そこで父親は近くの小学校のピアノを貸してもらえるようとりなしてやった。緑川はショルダーバッグから小さな袋を取り出してそれをピアノの上に置き、ラウンド・ミッドナイトを弾いた。その小さな袋が気になった父親に緑川は、「俺の分身といっていいかもしれない」と答えた。

父親はその緑川と云う男と率直に話し合うようになった。緑川は、「人間にはそれぞれみな色がついている」と言った。そして「俺の目にはその色がはっきり見える」とも言った。その能力は生まれつき備わっているものかと父親が聞くと、生まれつきではなく一時的な資格だ、と緑川は答えた。「それは差し迫った死を引き受けることと引き換えに与えられる」というのだ。その上で、いまのままでは自分は死ぬべく運命づけられているが、他に自分と同じような資質を持った人間にその資格を引き継げば死なないでもすむのだといった。どうやらその資質は父親にもあったようなのだ。しかし緑川は、その資格を父親に引き継ぐことなく、静かに去って行った。

つくるが灰田からこの話を聞いた夜、不思議なことが起こった。灰田がつくるの部屋の中に入ってきてものもいわずにじっと立っているのだが、その様子が現実のものとは思われず、かといって夢でもない、何とも言いようのない感じなのだ。そうこうするうちつくるは他の夢を見た。その夢の中でつくるは、シロとクロの二人とベッドの中で裸で縺れ合っているのだ。シロもクロもまだ十六.七歳の少女のままだった。

長い愛撫のあとで、つくるのペニスはシロのヴァギナの中に入っていった。彼女がつくるの上にまたがり、つくるのペニスを自分の手でヴァギナの中に導き入れたのだ。ペニスは、「まるで真空に吸い込まれるように、何の抵抗もなく彼女の中に入った」。彼女がつくるの上で腰をくねらせると、「長いまっすぐな黒髪が、鞭を振るうように彼の頭上でしなやかに揺れた」

つくるはついに射精した。しかしその射精を受け止めたのはシロのヴァギナではなく、なぜか灰田だった。気が付くと女たちの姿は消え、灰田がそこにいた。灰田はつくるのペニスを口の中に銜え、その長々とした射精を、一滴の精液もこぼさないようにと、呑み込んだのだった。つくるは訳が分からなくなった。それは夢の続きのようにも思われたし、現実の出来事のようにも思われたのである。

このことがあってからしばらく後、灰田は忽然とつくるの前から姿を消した。何のメッセージも残さないで。それは二人が知り合ってから八か月後のことだった。

灰田が去った後、つくるは若い女性とセックスをした。生まれて初めてのセックスだった。しかしそれは、セックスの喜びを味わうと云うよりも、自分が女性に対して健全な性欲を持っていることを確認するための試練のようなものだった。彼は自分が同性愛者ではないかと、ひそかに疑っていたのである。

六本指をめぐる話は、つくるが就職したあとのことだ。鉄道駅舎を作る仕事に就いたつくるは、地下鉄の改修工事の打ち合わせのために、目下の職員を伴ってある駅を訪れ、そこの職員と会話をしたことがあったが、その際に忘れ物の話題となって、その話題のひとつに指の忘れ物の話が出てきたのであった。人間の指が出てきたというので、その職員はびっくりして警察に届け出たが、どうも犯罪の匂いがしない。どうやら、六本指に生まれた人が、何らかの事情で、成人した後に余計な指を切断し、それを袋に入れたまま捨てたのではないか、というのであった。

そんなことから、人間にとって指を六本持つことがどんな意味を持つのか、延々とした議論になった。この議論は小説の進行とは全く係わりを持たないようにみえるが、だからといって全く意味を持たないというわけでもない。「1Q84」の中での「猫の町」の挿話も、そんな感じのものだったように。

ともあれ六本指の議論がきっかけになって、つくるはあの緑川という不思議な男を思い出した。もしかして、緑川がピアノの上に乗せた小さな袋の中には指が入っていたのではないか。緑川は、生まれつき指を六本持っていたが、その六本目の指を持て余して切断してしまったのではないか。その切断した指を袋に入れて持ち歩き、ピアノを演奏する際には、それを引っ張り出してピアノの上に置いていたのではないか、ととりとめもない連想にふけるのである。

六本指の話題は、「ねじまき鳥クロニクル」の中でも出てきた。だから村上はこのことをよほど気にしていたのではないか、そんな風にも受け取れる。日頃気にしていることを、たとえ小説の中であってとしても、それなりに腑分けするというのは、精神衛生の上では好ましいことだろう。


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