岸信介~権勢の政治家

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岸信介は日本の政治家の中でも最もスケールの大きな人物の一人だったと言える。そのスケールの大きさは、いまだに日本の政治に対して大きな影響力を及ぼしていることからも測られる。なにしろ孫にあたる人が総理大臣となり、彼の政治思想の枠組を実現しようとしている。そればかりか、今や日本の保守勢力のプロパガンダの中身は、まさに岸信介が生前主張していたものの延長に過ぎない。今の日本には、岸信介の亡霊が跋扈しているといってもよいほどだ。

しかし、岸信介とはいったい何者なのか。知らない人が多い事だろう。もうとっくの昔に死んでしまった人だから無理もないが、いまだに日本の政治を動かしていることを考えれば、知っておく必要があろうというものだ。そこで、岸信介を紹介した本は色々あるのだろうが、とりあえず筆者が適当だと思うのは、原彬久著「岸信介~権謀の政治家」(岩波新書)だ。岸信介の思想的背景やら、政治家としての業績について、多少ジャーナリスティックではあるが、コンパクトにまとめてある。

まず手始めに、岸が戦後巣鴨プリズンから釈放され、政治の現場に復帰するにあたって、自ら肝に銘じた信念から紹介しよう。原氏によれば、それは次の三点であったという。第一に「国民の自由意思に基づく我々の憲法を持つこと」、第二に「無防備中立論や他国軍隊の駐屯を排して自衛体制を確立すること」、第三に「計画性のある自立経済を打ち立てること」、すなわち「占領下の政治から独立日本の政治への切り替え」を果たすことだった。

岸がこんなふうに思うようになったわけは、自分が刑務所の壁に閉じ込められて自由を奪われていた間に、吉田茂のような輩が勝手放題のことをやり、日本をアメリカの属国のような立場に貶めたという怒りがあったようだ。岸の反米感情と新憲法への敵対心は並大抵のものではなかった。その辺を岸は後に回顧録の中でも触れている。

「米国を中心とした連合国の初期の対日占領政策の基本は、戦争の責任をすべて日本国民に負わせ、日本国民が今日受けている困苦や屈辱はすべて自業自得であると思い込ませる点にあり、その意味で東京裁判も絶対権力を用いた"ショー"だったのである。
「占領初期の基本方針は・・・日本人の精神構造の改革、つまり日本国民の骨抜き、モラルの破壊に主眼があったことは間違いあるまい・・・その集大成が、今の日本国憲法である」(中村政則「戦後史」から孫引)

この文言から容易にうかがえるように、アメリカから押し付けられた日本国憲法を敵視し、日本人自身の手による自主憲法を作ろうという動きは、この岸の言葉から始まっていると考えてよい。岸は日本の保守勢力の一つの巨大な牙城であったし、いまでもあり続けているのである。

岸の思想の根底には、独特な国家観というものが横たわっている。それは国家による統制を重視する考え方である。岸のそうした考え方を原氏は「国家社会主義」と表現している。アメリカ流の自由主義とは反対に、日本社会というものを国家の統制力を通じて、運営していこうとする考えである。そうした考え方からすれば、戦後アメリカから押し付けられた自由主義的な政治・経済体制は、岸の気に入らぬものであった。

岸が国家社会主義的な考え方を強めたのは、若い頃のドイツ出張以降のようだ。岸はドイツが産業の国家統制を通じて復興していくさまを目の当たりにして、日本でも、アメリカ流の自由主義ではなくドイツ流の国家社会主義が相応しいと納得したというのである。

しかし、岸にはそれ以前に国家社会主義的な思想の素地があったと原氏はいう。岸が学生時代にもっとも影響を受けた思想家は、北一輝と大川周明であり、北からは国家社会主義を、大川からは大アジア主義を学び取ったということだ。つまり岸は若い頃から日本ファシズムの信奉者であり、そうした立場をとったことで軍部の理解を得、日本を全体主義的な体制に向けて指導していったというのである。

そんな岸であるから、戦後日本の民主主義体制は、あらゆる点で気に入らなかったとしても不思議ではない。価値観の方向が根本からして違っているわけであるから。

岸にはもうひとつ、権謀術数をたくましくする怪物というイメージがあるが、この本ではその一端も触れられている。岸の最大の特徴は、自分の信念の実現に向けて、下からのエネルギーを組織するところにあったと原氏は言うが、それは日本の政治家としては珍しい資質なのだといえよう。日本の政治家は、権謀術数を弄するといっても、あくまでも同業者同志の内輪もめみたいなものだ。民衆のエネルギーを政権獲得に向けて組織すると言ったやり方は、ヒトラーやムッソリーニの得意としたところであるが、岸にもまたそんなところがある、と原氏は指摘するのである。


関連サイト:非政治的人間の政治的省察 





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