茂山千作翁死す

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京都大蔵流の狂言師で人間国宝の茂山千作翁が亡くなった。93歳と云うから大往生といってよい。千作翁は京都を拠点としていたので、関東人である筆者には、他の狂言師ほど身近ではなかったのだが、それでも時折拝見する芸は、まことに心あたたまるものがあった。千作翁はなによりも笑顔が素敵な人だった。その笑顔で、太郎冠者や山伏などを心憎いように演じる。その姿が狂言好きの筆者の瞼の底に焼き付いている。

千作一家は仲の良いことで知られている。家族の仲がよいことは、茂山千五郎家の家風のようなものらしく、先々代の千作の時に親しく接した谷崎潤一郎も、彼らの家族の仲の良さに感心している。その様子を谷崎は「月と狂言師」という小文に記しているが、それを読むと、長老の千作翁を中心に、息子の千五郎、孫の七五三、千之丞兄弟など家族の強固な団結ぶりが伝わってくる。この文の中に触れられている七五三が、後に十三代目の千五郎を経て、四代目の千作となったのである。

谷崎は、既に高名な狂言師であった千五郎一家が、自分のようなもののために芸を尽くして見せてくれたことに感じ入っていたが、この小文に記された出来事があったのは敗戦直後のことで、能楽が大きな打撃を受けていた時であった。それ故、千五郎一家のような著名な狂言師でも、公演の仕事はわずかしかなく、素人門下生たちの稽古で暮しをたてていたらしい。したがって、門下生たちが谷崎のために用意した狂言の催しにも、喜んで出向いたらしいのである。

その折にも、千五郎一家は、家伝の狂言を心行くまで披露して見せた。それを見た谷崎はうっとりとするくらいに感心した。その文章を読んでいると、読者までもが調子に乗せられて、つい大きな笑い声を立ててしまいそうである。

狂言は、日本の伝統芸能のなかではただ一つと言ってよい笑いの芸能だ。その笑いの精神を、千作翁はまさに体全体に体現していた。千作翁が笑うとそれだけで芸になると言われたものだ。

千作翁の笑いの精神が後進たちのうちに永遠に生き続けるよう、翁の冥福を祈りたい。


関連サイト:狂言の世界 





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