2013年6月アーカイブ

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どの国の国民にも、隣国についてのステロタイプなイメージがあるらしいが、ドイツ人は隣国についてどんなイメージを抱いているか。ブルガリア人デザイナーのヤンコ・ツヴェツコフ(Yanko Tsvetskov)が、そんなイメージ・マップを作成して、出版した。本の題名は「偏見の地図」という。

エミリー・ディキンソンの詩から「頭の中で葬式を感じた(I felt a funeral in my brain)」(壺齋散人訳)

  私は頭の中で葬式を感じた
  会葬者たちがあちこちと
  歩き回り、歩き回って とうとう
  意識がぼやけてしまった
先日の都議選結果に関連して、大量の棄権が出たのは有権者が今の政治状況に不信感を抱いている表れで、自民党は必ずしも勝利を喜んでばかりもいられない、という趣旨のことを筆者は述べたところだが、この結果について筆者とは異なる解釈をする人もある。例えば、冷泉彰彦氏などは、棄権は自民党への消極的な支持だととらえている。(参院選の「基本的な構図」とは何か?:WEB版ニューズウィーク)

熊の爪

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写真(ロイターから)は、爪のついたままの熊の足、全部で213個ある。ロシアから中国へ密輸される途中、内蒙古で押収された。
淳熙13年(1186、62歳)、陸游は臨安に召し出されて権知巖州事(巖州の知事代理)を拝命した。実に6年ぶりの任官だった。その背景には皇帝考宗の計らいがあったという。すでに名が高くなっていたこの詩人を、文人皇帝である考宗はいたく気に入り、ご褒美に官職を与えてやろうと考えたようなのである。
朴槿恵韓国大統領が、就任後日本を差し置いてまず中国を訪問し、習近平国首席との間で韓中間の緊密な関係を演出した。これについて感想を聞かれた菅官房長官は、「日韓は・・・重要な隣国同志だ」と答えたが、その重要な隣国同志が、いまだ首脳会談を開けていない状態については、コメントしなかった。
自民党は今や保守政党ではなくヤンキー政党だと言ったのは、精神科医の斎藤環氏だが、最近の自民党は更に変化してブラック政党になりつつあるようだ。というのも、ブラック企業の代名詞にもなっている「ワタミ」会長渡辺美樹氏を、来る参議院選挙の比例代表候補にノミネートしようとしているからだ。
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デューラーは水彩で動物や植物を多く描いたが、それらは対象を写真で写し取ったように精細なことが特徴だ。特に1500年前後に描かれた作品がそうである。この時期デューラーは人体比例の研究をしており、人間をそのままに写しとることに意を注いでいたわけだが、そうした態度が動物画や静物画にも表れていたのだと考えられる。
安倍政権が原発再稼働にむけて大きく舵を取っている姿を見ると、福島の事故などまるで存在しなかったかのような振る舞いぶりだ。電力各社もそんな安倍政権の姿勢に元気づけられたか、原発再稼働を声高に主張し、原発の見直しを求める世論には、背を向けるばかりだ。

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四日目(6月17日)は、8時前にホテルを出発し、まず堀切峠というところを訪ねた。海岸に突き出たような高台で、日南海岸が一望出来る。この海岸には、鬼の洗濯板とよばれる奇妙な形状の岩が点在している。海中の岩が波の浸食を受けて、あたかも洗濯板のような形状を呈しているのだ。

谷崎潤一郎の書いた随筆というのは、自分の日頃思っていたことを、何の工夫もなくストレートに表現したものが多いので、深みと言うか、教えられるところは殆ど何もないが、しかしそれなりに読ませるところがある。その面白さは、小説と同じく、これはあくまでも作り物だよということを、読者に納得させたうえで、いわば了解づくで語りかけてくることの、無責任さから生まれるのだといってよい。そんなこともあって谷崎が随筆に手を染める時、そのテーマはおよそ肩の凝らない性格のものが多いのである。

ハビタブル・ゾーン(温度などが生命存在に適した環境にある領域)にある惑星が新たに三つ確認されたそうだ。確認したのは米ワシントン大学の天文学者ロリー・バーンズ(Rory Barnes)氏を中心とする研究グループ。地球から22光年の距離にある赤色矮性グリーゼ(Gliese)667Cの周囲のハビタブル・ゾーンに三つの惑星があることを確認したという。

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食後、バスは東へ向かって走り、午後2時半頃都城の霧島酒造という醸造所に到着した。イモ焼酎を作っている工場である。ここで焼酎の試飲をし、湧水をペットボトルに汲み取ったりした。この湧水は焼酎の醸造に使われているのと同じ水で、軟水ながらうまいのだそうだ。たしかにそんな感じがする。

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「晩春」、「麦秋」と、季節感に満ちた題名の作品を作った小津安二郎は、「お茶漬けの味」と「東京物語」を挟んで、「早春」を作った。しかし「晩春」と「麦秋」とがある種の青春映画であったのに対して、これは夫婦の危機の物語である。その点では、「晩春」や「麦秋」の延長ではなく、「お茶漬けの味」と同じ系列に属する作品だ。「お茶漬けの味」でも夫婦の危機と和解が描かれていたが、この作品でもそれがテーマになっているからである。

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三日目(6月16日)は8時前にホテルを出発し、まず長崎鼻を訪ねた。小さな灯台があるところだが、海幸山幸伝説で有名なところなのだそうだ。海幸山幸といえば、古事記に出てくる話だが、その舞台となったのがここだというのである。海幸に借りた釣針を失った山幸は、ここから亀の背中に乗って竜宮城に赴き、三年そこで遊び暮らした後に、釣針を取り戻したうえ、トヨタマヒメを妻にして、無事地上の世界に舞い戻ったのだった。その後、トヨタマヒメはウガヤフキアエズノミコトを出産するが、その折にワニの姿となったところを夫の山幸(ヒコホホデミ)に見られたのを苦にし、海底の実家へと戻ってしまうのである。

南方熊楠は小論「月下氷人」の第一節を大正2年11月1日発行の雑誌の「不二」に掲載したところ、大阪府警より風俗壊乱の容疑で告発され、罰金百円を課せられた。熊楠によれば、警察が問題としたのは、兄が自分の実の妹と知りながらセックスしたことを書いた部分で、近親婚を是認するが如きは怪しからぬということのようだった。熊楠はこの時の警察の態度がよほど腹に据えかねたらしく、第二節以降の中で、警察の朴念仁ぶりを散々おちょくっている。もっともその部分が公表されることはなかったが。

二日目の投宿先指宿シーサイド・ホテルに到着したのは7時近くのことになってしまった。文字通り、海岸沿いにあるホテルだ。指宿温泉というのは、だいたいが海岸に沿って展開しているようだ。そのほうが、砂蒸しをするのに都合がよいからだろう。この砂蒸しというのは、温泉を含んで熱くなっている砂の中にもぐって、湯に浸かるというのでなく、砂に蒸されるというものだが、全国の温泉で他には滅多にないとあって、非常な人気を呼んでいるそうだ。何しろ、ガイドによれば、ここ以外で砂蒸しが楽しめるのは、別府温泉にしかないというのだから。
2013東京都議選は自公完勝に終わった。自民党は59名、公明党は23名擁立した候補者全員が当選し、合わせて127議席中82議席を獲得した。文字どおり完全勝利である。自民党がこんなに多くの議席を獲得したのは、平成になって以降初めてのことだ。一方、従来の都議会第一党だった民主党はたったの15議席で、17議席の共産党にも及ばなかった。まさに壊滅的な敗北だ。

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デューラーは「聖母伝説」の木版画を1502年に作り始め、そのうちの17枚を1505年のイタリア旅行出発までに仕上げ、その後1510年に2点を追加作成、その翌年扉絵を加えて、書物として出版した。

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4時近く、知覧特攻平和会館というところに到着す。知覧は陸軍の特攻基地があったところで、ここを拠点に訓練された若者が、沖縄戦に特攻攻撃を命じられて死んだ。この施設は、国のために死んでいった若者たち1300余柱の写真を掲示するとともに、彼らの残した遺品や彼らが搭乗した戦闘機などを展示したものだ。戦闘機は一式戦闘機で俗に隼と呼ばれたものだ。あの潔い軍歌で有名になった隼だ。いまでも右翼の街宣車が好んで流している軍歌だ。

エミリー・ディキンソンの詩から「この世で終りにはならない(This world is not Conclusion)」(壺齋散人訳)

  この世で終わりにはならない
  あちらにももうひとつある
  音楽のように目に見えないけど
  音のようにたしかに
  それは手招きするがはねつけもする
  哲学にもわからない
  結局謎の中を
  智慧は通らねばならないのだ
  それを想像しようとして学者は悩み
  それを得ようとして人々は
  幾世代にわたってさげすまれ
  十字架を演じてきた
  信仰はつまづいたり、笑ったり、持ち直したりする
  誰かが見ていれば赤面し
  証拠の小枝をもぎり取り
  風見に道を聞いたりする
  祭壇からは大げさな身振りが見え
  はでなハレルヤがこだまする
  麻酔剤でもしずめられない
  魂をむしばむ歯の痛みを

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二日目(6月15日)は、早朝6時頃起床して朝風呂を浴び、食事を済ませて後バスに乗り込む手筈だったのだが、このバスが予定時刻を過ぎてもなかなかやって来ない。ガイドが携帯電話で連絡を取ると、どうやら道を間違えたということらしい。地元の、しかもプロの運転手が、名高い観光地の道を間違えるというのもお粗末な話だ。結局バスは予定よりも一時間近く遅れて出発した。そのおかげというのもなんだが、反面いいこともあった。というのは、横、今の二子が財布を部屋の金庫に入れたまま取り忘れていたのを、バスがやってくる寸前に気づいたのだった。予定通りバスが出発していたら、一騒ぎもちあがっていたところだ。

安倍政権が、来る参議院選挙向けの目玉政策として、成長戦略を打ちだし、その柱として、世界で一番企業が活動しやすい国というスローガンを打ち上げた。どういうことかといえば、企業減税を通じて外国資本の呼び込みを図る一方、労働力の規制緩和を進めて、企業活動をしやすくしてやろうということらしい。
日本維新の会の石原慎太郎共同代表が、川崎市での講演会の席上、社民党の福島瑞穂代表を中傷する発言をし、「バカみたいな社会党の生き残りの女」と酷評したうえで、「『憲法を変えると戦争を始める』とキャッキャと言う。まだ生きているのが不思議なくらいの化石みたいな人だ」といったそうだ。(朝日新聞6月22日朝刊による)


陸游の七言絶句「朱元晦が武夷精舎に寄題す」(壺齋散人注)

  身閑剰覺渓山好  身閑にして剰(な)ほ覺ゆ 渓山の好しきを
  心静尤知日月長  心静かにして尤も知る 日月の長きを
  天下蒼生未蘇息  天下の蒼生 未だ蘇息せず
  憂公遂與世相忘  憂ふ 公の遂に世と相ひ忘るを

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平成25年6月14日から四日間、横、今の二子と南九州を旅してまわった。旅行会社のツアーを利用したもので、羽田から鹿児島空港に飛んで、そこから霧島温泉、指宿温泉、宮崎のシーガイアにそれぞれ一泊し、鹿児島空港に戻るというコースだった。

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ヨハネの黙示録の木版画シリーズを完成させたのち、デューラーがあらたに取り組んだものの一つに、聖母子の連作がある。聖母子は中世以来、絵画の大きなテーマとなってきたが、デューラーの時代になると、これまでとは異なったイメージで、民衆に迎えられるようになった。それまでの神秘性を帯びた聖母子のイメージから、民衆にとって近づきやすい聖母子のイメージへの転化、すなわち聖母子のイメージの世俗化が起こった。デューラーはその世俗的な聖母子のイメージを、一連のシリーズとして描き、1510年に、書物(聖母伝木版画)として出版したが、そのほとんど(17点)は、第二次イタリア旅行(1505-07)以前に完成した。

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ブラジルの各都市で燃え上がったデモ騒ぎが世界中の耳目を集めている。テレビで映し出されたデモのプラカードには、ワールドカップはいらない、FIFAは出ていけ、などと書いてあるから、ワールドカップ反対デモかと思えば、そうではないようだ。デモ参加者たちが怒っていることは明らかに伝わってくるのだが、彼らが何に対して怒っているのかが、いまひとつわからないのだ。

谷崎潤一郎は、永井荷風の評価によって文壇に認められたと自覚していたこともあり、生涯荷風に敬意を払った。その谷崎が荷風の文学を正面から論じたものがある。一応褒めているといえるので、往年の借りを返したということかもしれないが、それでいてなかなか辛辣な批評を述べてもいる。「つゆのあとさきを読む」と題した小文のことである。

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「お茶漬けの味」は、夫婦関係の危機と和解を描いた映画である。家族関係を描き続けた小津安二郎にとっても、夫婦関係に焦点を当てた映画はこれが初めてだ。

中央公論最新号(2013年7月号)に、田原総一郎氏による安倍首相へのインタビュー記事が掲載されていて、その中で、靖国神社に対する安倍首相の認識が開陳されていたが、それを読んだ筆者はオヤッと思った。
「鷲石考」と「燕石考」は姉妹論文のような関係にある。「燕石考」が、燕と関連付けられた燕石が子燕の盲を治療することから発して広く医療的な効果を持たされるに至ったことの民俗学的な背景を論じているのに対して、この論文は、鷲と関連つけられた鷲石が何故出産とそれにかかわるもろもろのことがらと結び付けられるに至ったかについて考察している。そしてその両者の考察を通じて熊楠は、人間の想像力が自然に働きかける際の、普遍的なパターンを摘出するわけなのである。

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ヨハネの黙示録第12章は、「女と竜」と題して、太陽を身にまとった一人の女が出産し、生まれてきた子供を龍が食べようとする話である。その話の途中に、大天使ミカエルとその天使たちが、竜とその眷属を相手に戦う場面がある。テクストは次のとおりである。

エミリー・ディキンソンの詩から「コマドリたちがやってきたときに(If I should n't be alive)」(壺齋散人訳)

  コマドリたちがやってきたときに
  もしも私が生きていなかったら
  赤いネクタイをしたやつに
  記念にパン屑をあげて下さい

陸游の七言絶句「貓(ねこ)を贈る」(壺齋散人注)

  裹鹽迎得小狸奴  鹽を裹んで迎へ得たり 小狸奴
  盡護山房萬卷書  盡く護る 山房萬卷の書
  慚愧家貧策勳薄  慚く愧ず 家貧しくして勳に策ゆること薄く
  寒無氈坐食無魚  寒に氈坐無く 食するに魚無きを

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小石川の旧教育大の跡地は、現在放送大学と教育の森公園になっているが、その北側に隣接する斜面沿いにちょっとした庭園が広がっている。占春園だ。都市公園に指定されているわけではないが、一般の人々も散策することが出来る。池を囲んで鬱蒼とした森が広がり、都心のオアシスといった雰囲気を醸し出している。

村上春樹の「若い読者のために短編小説案内」は、表題にあるとおり、若い人たちを対象に日本の作家たちの短編小説の魅力について語ったものだ。この本の序文の中で書いているとおり、村上は若い頃から日本文学の良き読み手ではなかったが、アメリカに暮し、プリンストン大学やタフツ大学でアメリカの学生を相手に日本文学について担当することになったのをきっかけに、日本の現代作家たちを集中的に読み、その中から感銘を受けた作品を材料にして、学生たちと一緒に読み解くことになった。その時に村上が選んだのが、第三の新人と呼ばれる作家たちと、その前後に現れた作家なのだという。

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麦秋とは、麦の穂が実る頃、季節でいえば初夏である。この題を冠した小津安二郎の映画「麦秋」はだから、前作「晩春」を強く意識した作品だと感じさせる。事実この映画は、色々な面で、「晩春」のバリエーションといえるのである。

南方熊楠の小論「燕石考」は、ロングフェローの次のような詩の一節を引用しながら、燕石の寓話の起源について、「ネイチャー」誌(1880年刊題21巻)に載ったある人の質問に答える形で展開される。

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七つの封印が解かれた後、七人の天使たちが次々とラッパを吹いた。ラッパが吹かれるたびに、この世には禍々しい事がおこった。そして第六のラッパと第七のラッパの間に、一人の天使が地上に下りてきて、ヨハネに書物を差し出した。そしてヨハネは命じられるままにその書物を食べるのだった。この部分のテクストは次のとおりである。

寺島実郎氏が「世界」7月号に寄稿した小論「アベノミクスの本質と日本のイスラエル化」を興味深く読んだ。この小論の中で氏は、安倍政権の右翼的な本質が東アジアでの日本の孤立の原因となり、それが及ばす政治的な影響を、ほかならぬ同盟国のアメリカが心配している、と指摘している。

エミリー・ディキンソンの詩から「私が死のために停まることができないので(Because I could not stop for Death)」(壺齋散人訳)

  私が死のために停まることができないので
  死の方で親切にも停まってくれた
  馬車の中には私たち二人と
  永遠がいるだけだった

陸游の七言律詩「九月三日、舟を湖中に泛ぶるの作」(壺齋散人注)

  兒童隨笑放翁狂  兒童隨って笑ふ 放翁狂すと
  又向湖邊上野航  又湖邊に向って 野航に上る
  魚市人家滿斜日  魚市の人家 斜日滿ち
  菊花天氣近新霜  菊花 天氣 新霜近し
  重重紅樹秋山晚  重重たる紅樹 秋山晚れ
  獵獵青帘社酒香  獵獵たる青帘 社酒香し
  鄰曲莫辭同一醉  鄰曲 辭する莫かれ 同(とも)に一醉するを
  十年客裡過重陽  十年 客裡 重陽を過ごす

日頃率直な物言いで知られる経済学者の浜矩子女史が、「アベノミクス」を「アホノミクス」と言い換えて、世間の失笑を買ったのはつい最近のことだが、その折、「アベ」がどんなわけで「アホ」になるのか、得心のいかない人もいたことだろう。そういう人たちのために、女史自らが「アベ」の「アホ」たる所以を解説してくれた本がある。「アベノミクスの真相」と題した本だ。文字の数はそんなに多くないし、わかりやすいときているので、読むには手ごろな本だと思う。
先稿「ブラック企業と自民党 http://blog2.hix05.com/2013/06/post-479.html」で、若者の間で「ブラック企業」ナンバーワンと評判の飲食店チェーン「ワタミ」について言及し、「自分の会社は『ブラック企業』ではない」と反論している当該企業の会長の言い分を批判したところだが、その言い分を覆すような証拠が、一週刊誌によってすっぱ抜かれたそうだ。

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小石川湯立坂の途中に立っている銅御殿をスケッチしたのは2006年2月のことだったが、その時には邸内に入って、身近から見上げた御殿の様子を描いたものだった。今回は、放送大学の敷地内から、横ざまに見えるところを描いてみた次第。季節が変って新緑が勢いよく延び、勢い眺めは樹木に遮られる形になるのだが、そこのところは工夫して、建物がよく露われるようにした。

いま安倍政権の規制改革会議で議論されている限定正社員制度の問題点については、筆者も先稿で言及したところだ。(規制改革会議に場を移した労働破壊論議 http://blog2.hix05.com/2013/05/post-475.html
安倍首相が成長戦略の目玉として「一人あたり国民総所得(GNI)を、10年後に150万円増やす」と約束したが、これがあの池田内閣の国民所得倍増計画を思い出させるというので、国民の間には、自分たちの所得がそれだけ増えるのではないかと早合点する向きもあったようだ。無理もない、池田内閣の約束は、実際に国民一人一人の所得倍増につながったわけだから、安倍さんに同じようなことを期待するのは人情というものだ。
村上春樹の短編小説集「レキシントンの幽霊」は、表題作ほか6篇の短編小説を収めているが、そのうち表題作と「七番目の男」は、「ねじまき鳥クロニクル」を書いた後に、その他は、「めくらやなぎと、眠る女」を別にすれば、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いた後にそれぞれ執筆したという。そこには五年のブランクがあるわけだが、だからと言って、短編小説集として、まとまりがないという印象は受けない。というより、それぞれの作品がかなりユニークなので、相互の比較を論じることをナンセンスなものにしてしまうのである。これはのちの短編集「神の子どもたちは皆踊る」や「東京奇譚集」に比べての、この作品集の特徴である。前二者が統一したテーマのようなものを感じさせるのに、これにはそれがないのだ。
知日派の社会学者として知られるロナルド・ドーアさんが、80歳を超える高齢で、「金融が乗っ取る世界経済」という本を著し、金融と云う虚業が実体経済の犠牲の上で繁栄している有様を分析してみせたが、今度は、「日本の転機」という本を書いて、日本の将来についてアドバイスしてくれた。

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晩年の小津安二郎は、家族間の人間関係に焦点を当てたホームドラマをもっぱら作るようになるが、「晩春」はその嚆矢となる作品である。この作品の中で小津は、父と娘との関係を、心憎いまでの繊細さを以て描き出している。こんなタイプの映画は、世界中どこを探しても見つからないし、日本の映画史上でも珍しいものだったのではないか。

或る民族の間に流布していた話が次々と伝播して様々な民族に伝わっていくうちに、話の筋はほとんど変わらぬが、話の重要な要素となっているものが変ることがある。例えば鼠をめぐる物語だったものが猫をめぐる物語に変ったりする例である。そのような場合には、鼠や猫といった要素を巡って民族の間に好みの相違があって、それが鼠を猫に転換させる要因として働くのではないか、南方熊楠はそのように考えた。「猫一匹の力によって大富となりし人の話」は、そういう考えを裏付ける一例として書いたものである。

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メドヴェージェフの政治生命がそんなに長くは続かないだろうと、事情通は見ているそうだが、そのメドヴェージェフの後継者として取りざたされているのがクドリン(Алексей Леонидович Кудрин)前財務相だ。

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七つの封印が次々と解かれた後、それぞれにラッパを持った七人の天使が登場し、ひとりずつラッパを吹き鳴らす。すると、この世界が破滅し、犯した罪を悔い改めない人間たちが殺されていく場面が語られる。

飲食店チェーンを展開する「ワタミ」は、若者の間でブラック企業の代表格になっているそうだ。ところがその会長の某氏を、安倍自民党が参議院選挙の比例代表候補にするという。どういうつもりなのか、不可解なところが多いが、某氏が前回の都知事選に立候補し、一定の投票を得たことを評価しているのかもしれない。

エミリー・ディキンソンの詩から「苦悩の表情(I like a look of agony,)(壺齋散人訳)

  私は苦悩の表情が好きだ
  それが本当だと知っているから
  人々はわざと痙攣して見せたり
  苦しんでるふりをしたりはしない

潜水する犬

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犬が泳ぐことは知っていたが、潜るとまでは知らなかった。もっともよく考えれば、泳げるものが潜れないという理屈はないのかもしれない。

淳熙7年(1180、56歳)の暮に、提挙江南西路常平茶塩公事の職を解かれた陸游はいったん故郷へ戻って次のポストを待命した。そして翌年の3月には提挙淮南東路常平茶塩公事に任命されるのだが、提挙江南西路常平茶塩公事在職中に上司の許可を得ずに官倉を開いたことを弾劾されて取り消されてしまう。

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