2013年6月アーカイブ
三日目(6月16日)は8時前にホテルを出発し、まず長崎鼻を訪ねた。小さな灯台があるところだが、海幸山幸伝説で有名なところなのだそうだ。海幸山幸といえば、古事記に出てくる話だが、その舞台となったのがここだというのである。海幸に借りた釣針を失った山幸は、ここから亀の背中に乗って竜宮城に赴き、三年そこで遊び暮らした後に、釣針を取り戻したうえ、トヨタマヒメを妻にして、無事地上の世界に舞い戻ったのだった。その後、トヨタマヒメはウガヤフキアエズノミコトを出産するが、その折にワニの姿となったところを夫の山幸(ヒコホホデミ)に見られたのを苦にし、海底の実家へと戻ってしまうのである。
デューラーは「聖母伝説」の木版画を1502年に作り始め、そのうちの17枚を1505年のイタリア旅行出発までに仕上げ、その後1510年に2点を追加作成、その翌年扉絵を加えて、書物として出版した。
4時近く、知覧特攻平和会館というところに到着す。知覧は陸軍の特攻基地があったところで、ここを拠点に訓練された若者が、沖縄戦に特攻攻撃を命じられて死んだ。この施設は、国のために死んでいった若者たち1300余柱の写真を掲示するとともに、彼らの残した遺品や彼らが搭乗した戦闘機などを展示したものだ。戦闘機は一式戦闘機で俗に隼と呼ばれたものだ。あの潔い軍歌で有名になった隼だ。いまでも右翼の街宣車が好んで流している軍歌だ。
エミリー・ディキンソンの詩から「この世で終りにはならない(This world is not Conclusion)」(壺齋散人訳)
この世で終わりにはならない
あちらにももうひとつある
音楽のように目に見えないけど
音のようにたしかに
それは手招きするがはねつけもする
哲学にもわからない
結局謎の中を
智慧は通らねばならないのだ
それを想像しようとして学者は悩み
それを得ようとして人々は
幾世代にわたってさげすまれ
十字架を演じてきた
信仰はつまづいたり、笑ったり、持ち直したりする
誰かが見ていれば赤面し
証拠の小枝をもぎり取り
風見に道を聞いたりする
祭壇からは大げさな身振りが見え
はでなハレルヤがこだまする
麻酔剤でもしずめられない
魂をむしばむ歯の痛みを
二日目(6月15日)は、早朝6時頃起床して朝風呂を浴び、食事を済ませて後バスに乗り込む手筈だったのだが、このバスが予定時刻を過ぎてもなかなかやって来ない。ガイドが携帯電話で連絡を取ると、どうやら道を間違えたということらしい。地元の、しかもプロの運転手が、名高い観光地の道を間違えるというのもお粗末な話だ。結局バスは予定よりも一時間近く遅れて出発した。そのおかげというのもなんだが、反面いいこともあった。というのは、横、今の二子が財布を部屋の金庫に入れたまま取り忘れていたのを、バスがやってくる寸前に気づいたのだった。予定通りバスが出発していたら、一騒ぎもちあがっていたところだ。
陸游の七言絶句「朱元晦が武夷精舎に寄題す」(壺齋散人注)
身閑剰覺渓山好 身閑にして剰(な)ほ覺ゆ 渓山の好しきを
心静尤知日月長 心静かにして尤も知る 日月の長きを
天下蒼生未蘇息 天下の蒼生 未だ蘇息せず
憂公遂與世相忘 憂ふ 公の遂に世と相ひ忘るを
平成25年6月14日から四日間、横、今の二子と南九州を旅してまわった。旅行会社のツアーを利用したもので、羽田から鹿児島空港に飛んで、そこから霧島温泉、指宿温泉、宮崎のシーガイアにそれぞれ一泊し、鹿児島空港に戻るというコースだった。
ヨハネの黙示録の木版画シリーズを完成させたのち、デューラーがあらたに取り組んだものの一つに、聖母子の連作がある。聖母子は中世以来、絵画の大きなテーマとなってきたが、デューラーの時代になると、これまでとは異なったイメージで、民衆に迎えられるようになった。それまでの神秘性を帯びた聖母子のイメージから、民衆にとって近づきやすい聖母子のイメージへの転化、すなわち聖母子のイメージの世俗化が起こった。デューラーはその世俗的な聖母子のイメージを、一連のシリーズとして描き、1510年に、書物(聖母伝木版画)として出版したが、そのほとんど(17点)は、第二次イタリア旅行(1505-07)以前に完成した。
ブラジルの各都市で燃え上がったデモ騒ぎが世界中の耳目を集めている。テレビで映し出されたデモのプラカードには、ワールドカップはいらない、FIFAは出ていけ、などと書いてあるから、ワールドカップ反対デモかと思えば、そうではないようだ。デモ参加者たちが怒っていることは明らかに伝わってくるのだが、彼らが何に対して怒っているのかが、いまひとつわからないのだ。
「お茶漬けの味」は、夫婦関係の危機と和解を描いた映画である。家族関係を描き続けた小津安二郎にとっても、夫婦関係に焦点を当てた映画はこれが初めてだ。
ヨハネの黙示録第12章は、「女と竜」と題して、太陽を身にまとった一人の女が出産し、生まれてきた子供を龍が食べようとする話である。その話の途中に、大天使ミカエルとその天使たちが、竜とその眷属を相手に戦う場面がある。テクストは次のとおりである。
エミリー・ディキンソンの詩から「コマドリたちがやってきたときに(If I should n't be alive)」(壺齋散人訳)
コマドリたちがやってきたときに
もしも私が生きていなかったら
赤いネクタイをしたやつに
記念にパン屑をあげて下さい
陸游の七言絶句「貓(ねこ)を贈る」(壺齋散人注)
裹鹽迎得小狸奴 鹽を裹んで迎へ得たり 小狸奴
盡護山房萬卷書 盡く護る 山房萬卷の書
慚愧家貧策勳薄 慚く愧ず 家貧しくして勳に策ゆること薄く
寒無氈坐食無魚 寒に氈坐無く 食するに魚無きを
小石川の旧教育大の跡地は、現在放送大学と教育の森公園になっているが、その北側に隣接する斜面沿いにちょっとした庭園が広がっている。占春園だ。都市公園に指定されているわけではないが、一般の人々も散策することが出来る。池を囲んで鬱蒼とした森が広がり、都心のオアシスといった雰囲気を醸し出している。
麦秋とは、麦の穂が実る頃、季節でいえば初夏である。この題を冠した小津安二郎の映画「麦秋」はだから、前作「晩春」を強く意識した作品だと感じさせる。事実この映画は、色々な面で、「晩春」のバリエーションといえるのである。
七つの封印が解かれた後、七人の天使たちが次々とラッパを吹いた。ラッパが吹かれるたびに、この世には禍々しい事がおこった。そして第六のラッパと第七のラッパの間に、一人の天使が地上に下りてきて、ヨハネに書物を差し出した。そしてヨハネは命じられるままにその書物を食べるのだった。この部分のテクストは次のとおりである。
エミリー・ディキンソンの詩から「私が死のために停まることができないので(Because I could not stop for Death)」(壺齋散人訳)
私が死のために停まることができないので
死の方で親切にも停まってくれた
馬車の中には私たち二人と
永遠がいるだけだった
陸游の七言律詩「九月三日、舟を湖中に泛ぶるの作」(壺齋散人注)
兒童隨笑放翁狂 兒童隨って笑ふ 放翁狂すと
又向湖邊上野航 又湖邊に向って 野航に上る
魚市人家滿斜日 魚市の人家 斜日滿ち
菊花天氣近新霜 菊花 天氣 新霜近し
重重紅樹秋山晚 重重たる紅樹 秋山晚れ
獵獵青帘社酒香 獵獵たる青帘 社酒香し
鄰曲莫辭同一醉 鄰曲 辭する莫かれ 同(とも)に一醉するを
十年客裡過重陽 十年 客裡 重陽を過ごす
小石川湯立坂の途中に立っている銅御殿をスケッチしたのは2006年2月のことだったが、その時には邸内に入って、身近から見上げた御殿の様子を描いたものだった。今回は、放送大学の敷地内から、横ざまに見えるところを描いてみた次第。季節が変って新緑が勢いよく延び、勢い眺めは樹木に遮られる形になるのだが、そこのところは工夫して、建物がよく露われるようにした。
晩年の小津安二郎は、家族間の人間関係に焦点を当てたホームドラマをもっぱら作るようになるが、「晩春」はその嚆矢となる作品である。この作品の中で小津は、父と娘との関係を、心憎いまでの繊細さを以て描き出している。こんなタイプの映画は、世界中どこを探しても見つからないし、日本の映画史上でも珍しいものだったのではないか。
メドヴェージェフの政治生命がそんなに長くは続かないだろうと、事情通は見ているそうだが、そのメドヴェージェフの後継者として取りざたされているのがクドリン(Алексей Леонидович Кудрин)前財務相だ。
七つの封印が次々と解かれた後、それぞれにラッパを持った七人の天使が登場し、ひとりずつラッパを吹き鳴らす。すると、この世界が破滅し、犯した罪を悔い改めない人間たちが殺されていく場面が語られる。
エミリー・ディキンソンの詩から「苦悩の表情(I like a look of agony,)(壺齋散人訳)
私は苦悩の表情が好きだ
それが本当だと知っているから
人々はわざと痙攣して見せたり
苦しんでるふりをしたりはしない
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