燕石考:南方熊楠の世界

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南方熊楠の小論「燕石考」は、ロングフェローの次のような詩の一節を引用しながら、燕石の寓話の起源について、「ネイチャー」誌(1880年刊題21巻)に載ったある人の質問に答える形で展開される。

  納屋の中、垂木の上の、雛鳥がひしめいている燕の巣まで
  何回もよじ登っては、熱心に探したものだった。燕たちが
  雛の盲を治すため、海辺から運んでくる不思議な石を。
  燕の巣でこの石を見つけた者は、果報者とされているのだ。

南方熊楠の民俗学的想像力が如何なく発揮され、彼の業績の中でももっとも精彩を放っているこの小論を、熊楠は英文で書き、日本語にはしていない。しかし岩村忍が翻訳したものが河出文庫版の選集(南方熊楠コレクションⅡ)に収められているので、それによってこの小論を読むことが出来る。

さて、ロングフェローのこの詩では、燕が雛の盲を治療する目的で海辺から不思議な石を運んでくること、その石を見つけた人間は果報者になれること、という二つのことが述べられている。質問者はこの二つのことが、どのようないきさつから語り伝えられるようになったか、その起源を訪ねたわけであるが、それについて熊楠自身が自分なりの回答を試みた、というのがこの小論の成り立ちなのである。

熊楠はまず、燕石についての伝承を世界中から拾い出してくる。ロングフェローの詩の内容と最も似ているものはブルターニュ地方の伝承であり、そこでは、燕は失明を回復する力のある石を浜辺で見つける知識を持つと信じられている。

これほど典型的ではないが、燕を連想させるような物質に、医療的効用ないしは吉兆を認める伝承はあちこちにある、と熊楠は続ける。そのうち燕石とよばれるものについて、癲癇に大きな薬効をもったり、頑固な頭痛を鎮めたり、四日熱を治したり、肝臓病を治したりする効用があるとしている例を紹介している。

日本の竹取物語の中でも、燕を連想させる逸話として「燕の持たる子安の貝」をめぐる話がある。この話の中で、子安貝は幸運をもたらすものとして描かれている。この物語の起源が「陀羅尼経」などの仏典にあることは疑いえないことのようであるが、子安貝と言うものは、その特殊な形態(女陰を連想させる)からして、大昔から様々な民族によって、珍重されてきた。たとえば、ギリシャ人はアフロディテへの捧げものとし、トルコ人やアラブ人たちは邪視に対するお守りとし、日本人や中国人は安産のお守りとし、ヨーロッパ人は子宮潰瘍の治療薬に用いた、といった具合である。

燕石と呼ばれるものをよく見ると、二枚貝の蔕のような形をしている。これは石のように非常に硬く、かつ、燕の巣のなかから出てくるので、燕石と呼ばれるようになった。これを瞼の下に挟んでおくと、目に入った小さなゴミを取り除く効用があることから、燕石には広く眼病を治す効果があると信ぜられ、ただ単に目の中に入れるのみばかりか、それを粉末にして服用するような習慣も生まれた。だが、それによる効用が実際にあるのかどうかについては疑問が多い。

燕石を逆さまにした石燕というものがある。これはある種の腕足類の化石が燕の形に似ているところから、そう名付けられたものらしい。中国人などは、この化石は燕が変身したものだと信じているが、それは形の共通性からアナロジーが働いたのだろう。ただ単に似ているというだけではなく、一方が別の方に変身したに違いないと信じるようになったのである。そういう考え方を俗信といってさげすんではならない。たしかに誤謬に基づく推理には違いないが、そこには人間の認識にかかわる深い事情が働いているのだ。日本人もかつては、かいつぶりという水鳥が変身して鳥貝になると信じていたし、またスコットランド人は藤壺が雁に変身すると信じていたのだ。

この石燕を酸性溶液につけると伸びたり縮んだりして、あたかも運動しているようにみえる。石燕には雌雄ふたつのタイプがあるが、これらを同時に酸性溶液につけると、互いにまとわりついて、あたかも性的結合をしているように見える。実際には酸性溶液に触れることで炭酸ガスが発生し、その圧力で石燕が動くのであるが、それが古代の人々の目には、生き物の動きのように映った。その動きがセックスの動きを思わせると言うので、この石燕には豊かな繁殖のイメージが結びついたのである。

燕石は、石のように固い物質をめぐる連想の例だが、この連想が植物と結びつくこともある。そういう場合には、燕草のような伝承が生まれる。

西洋の伝説では、燕草は燕が子燕の視力を回復させるのに用いたという。中国では草の王とよばれる植物に、視力を回復し、様々な眼病を治す効力を認めているが、この草と燕との結びつきはないことから、燕草の伝承は西洋で独自に発展したのだろうと熊楠は推測している。

燕石と言い燕草と言い、燕に薬効や吉兆が結びつくのはどういうわけからだろうか。そこのところが気になるのは自然なことだ。熊楠はそれを、古代の人々がとらえた燕の習性と結びつけた。燕は渡り鳥の一種で、春に北の地方から飛来して、秋には戻っていくのであるが、古代の人は、燕は冬眠するのだと考え、春冬眠から覚めた燕は秋になると眠りにつくのだと誤解していた。そのように考えた人々にとっては、燕の登場は眠りからの覚醒であり、したがって生命の息吹の現れであり非常にめでたい出来事として映った。そのめでたさの感情が、燕を生命の豊かさのシンボルと考えさせ、燕をめぐる上述のような伝承を生み出したのではないか。そう熊楠は考えたのである。

熊楠によれば、人間というものは、世界に存在する様々な物質や、世界でおきる様々な出来事を観察して、それらの間に類似したところがあれば、その間に連想を働かせる自然な傾向を持っている。その連想は主として隠喩と言う形をとるので、その隠喩を通して、異なった事物の間にある関係が生じると考える。燕をめぐる連想の体系はその典型的な例と言えるものだ。

こう解釈したうえで熊楠は、連想のもととなった様々な原因は複雑なもので、単純化できるものではないという。ところが世の中の学者たちは、縺れ合った原因をそのままに受け取らず、そこに取捨選択を加えて単純化しようとする誘惑に陥る。それは必ずしも学問的な態度とは言えないとして、熊楠は次のようにいっている。

「伝説はその原因があまりにも多様で複雑な点で、またそのために、先行するものをあとになって追加されたものから解きほぐしにくいという点で、まさに夢に匹敵するものである。ところで原因となるものは、くりかえし果となり因となって、相互に作用しあう。そして原因の他のものは、組み合わされた結果の中に解けこんで、目に見えるような痕跡を全く遺さないのである」

我々人類の間に伝承を生んだものが夢と同じような心理のプロセスだと看破したのは、おそらく熊楠が最初であったのではないか。夢も伝承も、人類の無意識的な心理作用に密接にかかわっていることは、ユングの心理学など、今日の学問が見出したところであるが、熊楠はそれを、彼特有の立場から看破したわけなのである。そこに熊楠の世界史的な意義があると言える。


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