陸游の七言律詩「明州」(壺齋散人注)
豊年満路笑歌声 豊年 路に満つ 笑歌の声
蚕麦倶収穀価平 蚕麦 倶に収めて 穀価平らかなり
村歩有船銜尾泊 村歩 船有り 尾を銜んで泊す
江橋無柱架空横 江橋 柱無く 空に架して横たはる
海東估客初登岸 海東の估客 初めて岸に登り
雲北山僧遠入城 雲北の山僧 遠く城に入る
風物可人吾欲住 風物 人に可(よ)し 吾住まんと欲す
担頭純菜正堪烹 担頭の純菜 正に烹るに堪へたり
今年は豊作で道には人々の笑い声がひびき、蚕も麦も収穫が終って価格も安定している、郊外の村に行くには船の便があり、重なり合って停泊している、川にかかる橋には柱が無くそのまま空に架っている(村歩:郊外の村に行くこと、銜尾泊:重なりあうようにして停泊しているさま、江橋:川に架る橋)
東海から来た行商人はいま岸に上がったばかり、北の方の雲の彼方からやってきた山僧は遠い旅を終えて町に入ってきた、これらの風物は皆自分の目に適うので、ここに住みたい気持ちになる、天秤棒の純菜も丁度煮るのによい頃合いだ(海東:東海に同じ、估客:行商人、担頭:天秤棒の先)
淳熙13年(1186、62歳)、陸游は巖州に赴任するのに先立って、明州に遊んだ。明州とは浙江省寧波のことである。寧波は古来重要な港として、日本の遣唐使が向かったところだが、陸游の時代にも繁栄していたようである。そんな繁栄の様子が、この詩から読み取れる。
関連サイト:陸游を読む
コメントする