福翁自伝を読む

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筆者は、小学生だった頃、「毎日小学生新聞」というものを母親にとってもらって読んでいた。その中で最も興味をそそられたのは、福沢諭吉の伝記であった。細かいことは大方忘れてしまったが、全体的な印象はいまでも覚えている。昔の日本に生きていた一人の人間の、気骨ある生き方が、まだ小学生であった少年の心に響いた。そんなところだろうか。どんなところが響いたかというと、それは反骨精神のようなものだったと思う。少年の筆者は、福沢諭吉という一人の男に、反骨精神と、その裏返しとしての自尊自立の精神を感じとり、できれば自分もそのように生きたいものだと思ったのだった。

それから60年近くが過ぎ、老人となった筆者は、もう一度福沢諭吉の伝記を読みなおした。読んだのは「福翁自伝」であるから、読みなおしたというのは正確ではない。この本を読むのはじめてだからだ。しかし、書かれている内容は、筆者が小学生時代に、少年新聞で読んだ内容と違いはない。そこで、初めて読むにかかわらず、改めて読みなおした、というような感覚になったわけである。

福沢が豊後中津藩の下級武士の家に生まれ、幼くして父親をなくして、母親の手で育てられながらも、常に自立心を持ち、厳しい身分差別のなかで胸を張って生きていくさま。貧しい中でも勉学に志し、喉から手が出る程欲しい本を買う金がなくて、その本をまるごと筆写したエピソードなど。この本を読むと、少年時代の読書体験の記憶が、まざまざと蘇ってくるのを感じた次第だ。

福沢諭吉の偉大な所以は、西洋列強の圧力に接して、いち早く日本という国についての国家意識にめざめ、日本を世界の中での自立した国へと導いたことにある。それを可能にしたのは、福沢諭吉自身が自立自尊の姿勢を貫いたことだ。福沢は一人の自立した人間として、世界の情勢を曇りのない目で見、日本という国を独立した国家へと導いていった。一身独立して一国独立す、とは福沢自身の言葉だが、彼はまさにこの言葉どおりの生き方をしたわけである。

幕末の日本は、非常にあやうい状態にあった。国内は封建門閥制度が跋扈して、国民は様々な階層に分断されていた。というより、近代的な意味での国民が存在していなかったのである。存在していたのは、もはや正統性の維持のみに汲々としている徳川封建体制であり、てんでばらばら、勝手放題なことをしていた封建諸藩である。しかも、これらは、尊王攘夷といい、佐幕開国といった錦の御旗を掲げて睨みあっていたが、その実は、尊王も佐幕も攘夷を本音としていた。

この時代に攘夷などとはたわけた夢だ。そんなものにしがみついていては、日本は強い国にはなれない。強い国になるためには、世界に向かって国を開き、国を富ますように努めねばならない。国を富ますためには、すぐれた人材が必要だ。優れた人材とは、世界情勢について現実的な認識を持ち、科学的な思考ができるのでなければならぬ。こうした問題意識があったからこそ、福沢は、世論に向かって開国の重要さを解くとともに、自分自身、日本の将来を担う人材の教育にあたったわけである。

つまり、福沢が心がけたことは、まず個人の自立であり、個人の自立に立って国を独立させることであった。福沢の考えた独立国家とは、封建門閥に分断された社会ではなく、明確な国家意識にささえられた統一国家のことである。そしてその国家を構成するのは、色々な身分に分断された人々ではなく、平等の立場で国家にかかわるような自立した人々でなければならない。

こんなわけだから、この本の中で福沢がもっとも強く言っていることは、人間の自立の大切さである。ところがその自立を妨げるような障害が、福沢の生きていた社会ではいたるところに存在した。封建門閥はその最たるものである。したがって福沢の生涯は、この封建門閥と戦うところから始まった。福沢の言葉に「封建門閥は親の仇に御座る」というのがあるが、これなどは福沢の考え方を最も端的に言い現わしたものである。

親の仇と福沢がいうわけは、封建門閥による身分差別が、親から子へ、子から孫へと引き継がれて、個人はそれに拘束されて生きなければならぬからである。どんな才能があっても、身分相応にわきまえることが求められ、それを逸脱することは許されない。家老の子は代々家老の地位を引き継ぎ、下級身分の子に対して威張りかえる一方、下級身分のものは、代々その身分から逸脱できないので、上級武士の前で卑屈になるのが当たり前と心得ている。

そんなわけだから、子どもの遊びの中にまで、身分差別が持ち込まれ、上級武士の子は下級武士の子を卑しみ、下級武士の子は町人に対して威張る、というような事態が生じる。これはおかしいではないか。そう福沢は憤るわけなのだが、それは自分自身が、身分差別のために常に嫌な思いをしたからで、なにがあっても、封建的な身分制度は打破されねばならぬ、というのが福沢の身に着いた信念だったわけである。

福翁自伝は、福沢が60を過ぎて、自分の一生を振り返って口述したものをもとにしたものだが、その内容は、伝記的事実の羅列というよりも、自分自身の日頃の信念の開陳ということが中心になっている。だからいきおい、少年時代から修業時代にかけてのことが中心になる。だいたいのところ明治維新までのことが殆どで、維新以降のことが簡単にすまされているのは、こうした事情による。この自伝は、自分はいかに生きたかを語るよりも、自分はいかにして自己形成をしたかについて語っているのである。

そんな、福沢の自己形成の過程を読むと、人間というものの可能性について、思いを強くする。福沢諭吉は、地方の小藩の、代々下級武士の家に生まれ、幼くして父親を失い、家は赤貧にあえいでいた。そんな環境は、えてして人間を押しつぶしてしまうものだが、福沢の場合には違った。福沢は自分の逆境を跳ね返すようにして、自分を自立した人間に自己形成していった。福沢にできることなら、他の人にできない理屈はない。人間というものは、だれでも無限の可能性を秘めている。その可能性を開花させることは個々人の努力次第だが、その努力は必ず報われるものだ。この自伝を通じて、そう福沢はいっているのだと思う。


関連サイト:日本史覚書 








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