想像ラジオ:死者たちのメッセージ

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先日NHKのニュース番組を見ていたら、いとうせいこうさんという人の小説「想像ラジオ」が取り上げられていて、なかなか面白そうだったから、早速アマゾンで取り寄せて読んで見た。読んでの印象を手短に言うと、アイデアは秀逸だが、ちょっと筆が追い付いていない、といったところだが、損をしたということではない。それなりに読んだ甲斐はあると思う。

これは3.11の被災者たちの魂の交流を描いた作品だ。魂の交流というのは、文字通りの意味でいうのであって、震災で死んでしまい、まだ浮かばれないでいる魂たちの交流が描かれているのである。

被災者の一人である僕は、大きな杉の木のてっぺんに、仰向けの状態で引っかかったまま、動けないでおり、傍らにはなぜか一羽のハクセキレイが、これもまた動かないまま枝に引っ付いているのだが、その僕が、なんとはなくディスク・ジョッキーを始めようと思う。僕は自分をDJアークと名乗り、音楽をかけながら、取り留めもないおしゃべりを始める。すると、いろんな人たちから反響が届いてくる。そんなリスナーたちとやりとりをしているうちに、僕も含めてこのディスク・ジョッキー番組の出演者たちは、みな震災で死んだ人々なのだということに気が付く。僕の情報発信は僕の想像の中でなされるのであるし、それに反応する人々も、想像のなかで感応するのである。だから、僕が出演するDJ番組のタイトルも「想像ラジオ」というのだ。

そのうちに、僕の親父と兄貴が僕を訪ねてくる。ということは、彼らもまた死んだ人たちの一員なのである。しかし僕が一番会いたいのは、妻と息子である。僕は妻と息子をつれて生まれ故郷に戻って来たばかりで、まだ引っ越し荷物も片付かないうちに、津波に飲まれてしまったのである。だから、僕は妻や息子がどうなっているのか、心配で心配でたまらない。しかしどんなに心配しても、消息がわからない。そのうち僕は、彼らと交流できないのは、それぞれの生きている世界が違うからだと納得する。つまり、僕は死んでしまった人たちの世界にいるのだし、妻や息子は生きている人たちの世界にいるわけだ。だから、魂が交流できないのも無理はないのだ。でもそれは悲しむべきことではない。なぜなら最愛の人々がまだ生きていることを実感できるからだ。

この小説には物語といえるようなものはない。DJとリスナーたちがかわしあう会話が延々と続くだけだ。その会話の中には多数同時中継システムというのもあって、大勢の人々が同時に意見を交わし合う場もある。そんな多数同時中継システムの放送中に、僕は多数の人々に見送られながら(あくまでも想像の中での話だが)天国へと昇天していくのである。

これは死んでしまった人々が、死んでしまった人々の目線から、同じく死んでしまった人々に対して発する鎮魂の言説ともいえるし、また、死んでしまった人々がまだ生きている人々に向かって発する思いやりのメッセージでもある。

日本の確固たる伝統の中では、鎮魂というものは、生きている人から死んでしまった人へ向かって発せられるメッセージであり続けてきた。それがこの小説では逆転して、死んだ人からのメッセージが取り上げられている。冒頭で「アイデアが秀逸」だといったのは、そのことをさしていったのである。


        花は咲く 





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