小沢一郎という政治家

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小沢一郎という政治家は、1980年代以降の日本の政治に大きな影響力を及ぼし、ついには民主党による政権交代の影の立役者ともみなされまでになったわけだが、その民主党内での権力闘争に敗れ、今や風前の灯ともいえる状態だ。彼の率いる勢力はもはや物の数にも入らず、彼自身の政治的影響力が復活する見込みもない。それには年を取りすぎた。だから小沢一郎は、過去の政治家になりつつあると言ってよい。

こうなったことの理由は、小沢一郎自身にあるといってよい。この政治家は、言っている事とやる事とが違う場合が多すぎる。要するにマヌーバリストだ。政治的信念よりも、その場の駆け引きで動く。だからどこまで信用してよいよいかわからない。こんな印象が国民の間にようやく広まってきたおかげで、彼の政治的な影響力も終わりを迎えたのではないか。そんなふうに思うのだ。

小沢一郎の政策の原点は新自由主義的なものだ。政府はできるだけ小さくして、国民の経済活動の自由を最大限尊重する。それが彼の政策の柱であったはずだ。彼は自分の政治信念上の先輩として中曽根康弘をあげ、中曽根を師とまで言っていたそうだが(大竹秀夫「日本政治の対立軸」)、それは中曽根のレーガン流の新自由主義路線を自分の政治信念に親和的なものとして認めていたからにほかならない。

小沢は、政府による無駄使いを追求することを基本に据えた政治家だったわけで、それが反官僚の国民マインドに訴えた側面もあった。しかし、小沢の場合には、政府の無駄を吐き出させると言いつつ、その吐き出させた余裕で別の政策を実施しようとも言った。そこが普通の小さな政府論者とは違ったところで、また、わかりづらいところでもあった。小さな政府の対場から国の無駄使いを攻撃しながら、他方では大きな政府を思わせるような福祉拡大政策を訴えたからだ。

実際、民主党時代の末期に小沢がとった姿勢は、まるで社民路線そのものだったといってよい。もともと小さな政府を目指す新自由主義者として出発した男が、何故社民的な財政拡大政策を主張するようになるのか。そこに多くの国民は矛盾を見たはずだ。

小さな政府には。それなりに関連しあった政策ミックスがあるし、大きな政府にも、それなりの政策ミックスがある。しかし、小さな政府と大きな政府とでは、基本的に政策の方向が異なるのであって、小さな政府の政策ミックスを用いて大きな政府を実現することは邪道である。その邪道を小沢一郎という政治家は行なおうとした。そういうことではないだろうか。

筆者のようなものにとって最もわかりづらいのは、晩年になって小沢が、民主党内の小さな政府論者と対立してまで、ますます社民色を強めたことだ。これが彼一流のマヌーバーであることは容易に見てとれるが。それではあまりに身も蓋もないのではなかろうか。小沢の宿命のライバルといわれた橋本竜太郎が、心情的には社民主義者だったことは知られている。そんな男なら、世界の新自由主義的な傾向に抗ってまで社民路線にこだわるのも理解できる。だが小沢は、もともと新自由主義者として出発した男だ。そんな男が、いくら政治的なマヌーバーとしてではあれ、社民路線にしがみつくというのは、尋常な眺めではない。


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