狩野川の花火を見る:伊豆長岡の旅その二

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夜八時過ぎに狩野川の河川敷で花火大会があるというので、旅館の送迎バスで見に行った。河川敷に着くと、土手の上に大勢の人々が集まっていて、銘々に寛いでいる。我々もその輪に加わって花火の始まるのを待っていると、八時十五分頃に一発目が上がった。続いて、スターマインの花火玉が次々と打ち上げられる。主催者の案内だと、三十分ばかりの短い時間に数千発があがるので、時間は短いが見どころは多いという。たしかにその通りだった。スターマインは休む間もなく打ち上げられる。隅田川の花火より密度が濃いといってもよい。

終る間際には仕掛け花火があって、その後スターマインが夜空いっぱいに広がるように打ちあげられて花火大会は終了した。わずか三十分間の出来事だったが、密度が濃かったおかげで、数時間もの間見ていたような錯覚にとらわれる。

旅館に戻った後もう一度湯に浸かり、静ちゃんが持参した泡盛を飲みながらおしゃべりの続きを楽しんだ。とにかく遠慮のない間柄だから、つぎから次へと面白い話題が飛び出すのだ。

ところで横ちゃんはカンボジアに行くとかいっていたけど、もう行ったのかい、と筆者が聞くと、今年の暮に行くのだという。何故そんなわけのわからない危険の多い所に行きたがるの、と静ちゃんが口を挿むと、いや、現地精通者の案内だから安心していけるさ、と横ちゃんが応える。でもカンボジアって治安が悪いんでしょ、なぜそんなところに好んで行きたがるのか理解できないわ、と静ちゃんが返すと、理解できなければ理解しなくてもいいよ、と横ちゃんが言い返す。この二羽はときたまこのように喧嘩するのだ。

少尉さんは奥さんがお亡くなりになって独り暮らしが大変でしょ、もう慣れましたか、と静ちゃんが話題を変える。いいや、この年になって慣れるも何もあったものではありません、炊事洗濯から家の中の掃除まで、何から何まで自分でするほかに、お勤めにも出なけりゃなりませんし、息を継ぐ暇もありませんよ。そう少尉が応えると、他の者はみな納得する。たしかに男が一人残されるのはつらいかもしれないね、と筆者はいう。何としてでも家内には長生きして貰って、自分の死ぬのを看取って欲しいですな、と筆者は続ける。

男の一人身になっても、娘がいればまだ救われるかもしれない、と今ちゃんが珍しく口を挿む。娘なら親を大事にしてくれて、老後の慰みになるばかりか、片親が生き残っても情け深く面倒を見てくれるような気がする。ところが男ではそういうわけにはいかない。男の子はいったん結婚して外へ出てしまうと、二度と親のほうには目を向けない。だから、女の子を持つべきですよ。そんな理屈を今ちゃんはいうのだが、今ちゃん自身には、女の子も男の子もいないのだった。

ところで、泡盛を飲むのは久しぶりだけれども、なかなかおいしいね、と筆者がいうと、そうでしょ、その泡盛は古酒なのよ、だから飲み口がまろやかでおいしいの、と静ちゃんがいう。ふうん、と筆者も相槌を打つ。僕も昔沖縄で古酒を飲んだことがあるけど、その時もすごくうまく感じたよ。沖縄の古酒は独特の作り方をするから、あのまろやかさが出るんだそうだね。通常の酒の場合は、樽なり壺なりに入れてそのまま保存するだけだけど、沖縄の古酒は寝かせたままにするのではなく、毎年少しずつ入れ替える。つまり、一定年限が過ぎた以降は毎年、中身の一部を飲んで、その後に新しい酒を加える。毎年この過程を繰り返すうちに、古酒と新酒のバランスがうまく働いて、あの独特なまろやかさが生まれるんだそうだ。こんな風にして百年も飲み継ぐ酒もあるんだそうだよ。

こんな調子でおしゃべりをするうちに、夜は次第に更けていった。さあ、明日も歩かなくてはならないからもう床に入ろう、というわけで、日付の変る頃には皆枕を並べて床についた次第だった。


関連サイト:あひるの絵本 





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