権力を振るう人殺したち:エジプトの大虐殺

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「気違いに刃物」という言葉がある。凶暴な人間に武器を持たせたらとんでもないことになるという意味だ。しかし、人殺しに権力を持たせるともっとひどいことになる。刃物なら影響の範囲は限定されるが、権力は無限定に悲惨な影響を及ぼす。いまのエジプトがまさにそうした事態にある。権力を手にした人殺したちが、その権力を振りかざして、同国人を殺しまくっている。

8月14日以降今日(8月17日)までに殺された人々の数は800名以上になる。これは権力側の発表だから、実際はもっと多いだろうと推測される。いずれにしても異常な数字だ。そうした殺害の様子は、ネット上等で徐々に伝わるようになった。それらを見ると、権力側の武力(軍隊や治安部隊)が、無防備の市民を無差別に虐殺している様子が伝わってくる。

虐殺を指揮しているのは、軍の最高権力者シシ将軍だ。この将軍はどうやら、ナセルやムバラクの真似をするつもりのように見える。国内の騒擾に乗じて権力を簒奪し、いずれは自分自身が最高権力者に収まる。その道筋を邪魔する輩は許さない、というわけだろう。クーデターを非難するムスリム同胞団を、根絶やしにしようともしている。

ナセルが権力を掌握した後、最大の敵ムスリム同胞団への大弾圧が展開された。その時にも夥しい血が流され、ムスリム同胞団は非合法化された。しかし、ナセルがそんなことをできたのは、一つには民主主義が未成熟だったこと、もうひとつにはムスリム同胞団が国民のあいだに根付いていなかったことなどによる。

しかし、今は事情が異なる。エジプトは曲がりなりにも民主主義の洗礼を受けた。またムスリム同胞団も多くの国民から支持されている。こうした状態の中でナセルと同じようなことをすれば、いずれ国民が大分裂を起こし、深刻な内乱に発展する可能性もある。

だが、そんなことは分かっているさ、とシシ将軍ならいうかもしれない。何といっても権力を握るというのは、何物にも増して魅力的な誘惑であるし、まさにそれを手にできそうになっている今、自分から進んで手放すなんてナンセンスだ。最高権力を手に入れるためには、今手にしている権力を振りかざして、立ちふさがるものどもを殲滅しなければならない、というのだろうか。(写真はエジプト軍の国民虐殺部隊:APから)






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