磔刑図:クラナッハの宗教画

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クラナッハの若い頃の修行の様子は、デューラーの場合とは違って、あまりよくわかっていない。わかっているのは、彼が1500年から1505年までの約5年間ウィーンで創作に励んだということだ。この時代の作品としては、宗教をテーマにした数点の油絵と若干の木版画が残っている。それらの作品は、ゴシック絵画の影響を色濃く残していることから、ウィーン時代のクラナッハは、当時のドイツ絵画の強い影響力のもとにあったと推測される。このドイツ風の荒々しい画風が、イタリアの影響を取り入れたデューラーの画風と大きく異なるものとなったのは、自然のことだったかもしれない。デューラーには、イタリア仕込の優雅さがみられるのに、クラナッハはあくまでも無骨なのである。

それでも、ザクセン選帝侯の宮廷画家に迎えられたことを思えば、クラナッハの名声はそれなりに高かったのではないか。そうでなければ、三代にわたる選帝侯の宮廷に長く座を占めることはなかったはずだ。

ウィーン時代の絵については、おおむね、後期の作品よりも評価が高い。評者によっては、ウィーン時代のクラナッハこそ偉大な画家と言えるのであって、後期のクラナッハは堕落したのだと極端なことをいうものもある。

ウィーン時代に、クラナッハは2点の「磔刑図」を描いている。これは、そのうちの早い時期のもので、1500年頃に描かれた。

中央にキリスト、その左右に二人の泥棒がそれぞれ十字架に張り付けられている。興味深いのはキリストの描き方だ。痩せ衰えた体は全身が傷だらけで、顔は苦痛にゆがみ、枯れ枝のような細い腕で十字架にぶら下がっている。このような表情のキリスト像は、イタリア絵画の伝統には見られないものである。

キリストに比較すると、二人の泥棒は肉付きよく描かれている。キリストの左側(向かって右側)の泥棒は、不敵な面構えでキリストの様子を伺う余裕すらある。

三本の十字架の脚下には、大勢の人々が描かれている。このように、大勢のひしめき合う人々で画面を埋めるのは、後期ゴシック絵画の特徴である。その人々の顔つきは、現実離れしており、独特のデフォルメを感じさせる。馬でさえ悪意のある表情をしているようだ。

ゴルゴダの丘に向かって十字架を担いで歩くキリストは、ボスも好んで描いたところで、そこに描きこまれた人々の表情も邪悪さに満ちたものであったが、この絵の中の人々の表情も、ボスの場合ほどではないが、やはり邪悪さを感じさせる。

(1500年頃、カンヴァスに油彩、58.5×45cm、ウィーン、美術史博物館)


関連サイト:壺齋散人の美術批評 







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