シリアで8月21日に使われた毒ガスについて調査していた国連の専門機関は、これをサリンだったと断定した。サリンは非常に高い殺傷能力を持つことから、化学兵器禁止条約によって製造・保有が禁止されている。今回の調査では、誰が使用したかまでは判明しなかったが、もし使用者が判明すれば、そのものは明らかな戦争犯罪者ということになる。
日本人にとってサリンといえば、1995年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件が思い起こされる。この際には12人の死者と5500人の負傷者が出たが、場合によっては、その被害はもっと大きかったかもしれないと指摘されている。それほどこの神経ガスは威力が大きいのだ。
1930年代後半にナチスドイツによって開発され、1938年に完成した。サリンという名前は、開発に携わった科学者たち、Schrader, Ambros, Ritter, Van der Lindeの頭文字をとったものだ。普通、科学者は、自分のかかわったものに自分の名が冠せられることを喜ぶものだが、これらの人々はどう思ったか。彼らにとって幸いだったかどうか、このサリンが連合国を対象にして使用されることはなかった。
彼らは戦後連合国によって懲役刑に処せられたが、1952年に、アメリカはソ連との冷戦に備えて、化学兵器の開発に乗りだし、アンブロスを豚箱から引っ張り出してアメリカに連れて来て、サリンの開発・製造にかかわらせた。
サリンは有機リン剤の一種で、神経の機能を破壊する。通常(華氏150C以下)では液状だが、これをガス状にすると、呼気や皮膚を封じて体内に入り、ごく短時間で神経系統を破壊する。逆に言うと、20分以内に死亡しなければ、死亡確率が大幅に減少するといわれ、治療上は最初が肝心だとされている。
サリンが戦略上使用された例としては、イラクのサダム・フセイン政権がクルド人に対して1988年に行った毒ガス攻撃が有名だ。この時には二日間にわたる毒ガス攻撃で5000人のクルド人が死んだ。
1993年に科学兵器禁止会議が立ち上がったのは、このフセインの毒ガス攻撃への対応としてだった。これで、サリンを含む強力な毒ガスは、開発・製造・保管が禁止されたわけだが、オウムはその過渡期の混乱を突く形でサリンの製造・使用をすすめたというわけだ。(写真は1995年の地下鉄サリン事件:Guardian から)
(参考)Sarin: the deadly history of the nerve agent used in Syria By Ian Sample : The Guardian
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