日中で大事なのは一人一人の関係:小沢征爾さん語る

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「冷え込んでいるのは、日中政府間の関係。大事なのは一人ひとりの関係で、ぼくは、中国にいる友人たちを信じている」こんな趣旨のことを、小沢征爾さんが朝日新聞とのインタビューの中で語っているのを読んだ。(9月19日付朝日新聞朝刊)

たしかに、グローバル化が進んでいる今の世界で、一国の指導者同士が互いにいがみ合っているからといって、国民同士までがいがみあわねばならぬ理屈はあるまい。指導者には面子があっていがみあうのかもしれないが、国民までがそれにつられていがみ合うようになれば、健全な国際関係は死滅するだろう。

小沢さんは中国で生まれ、また小沢さんの父親は平和の尊さを息子の小沢さんに叩き込んだそうだ。それだからこんなことをいうのかといえば、それだけでもないようだ。小沢さんは日本人として、世界に羽ばたいて活躍するようになった、いわば日本人の国際化のパイオニアだ。そんな体験があるから、世界中の市民が、政府レベルとは違う次元で互いに結び合うことの大事さを実感しているのだと考えたい。

このインタビューの中で、筆者が気持ちを惹かれたところがあった。日本に戻ってきて、終戦間際に経験した空襲だ。その頃立川に住んでいた小沢少年は、桑畑で遊んでいるところを、米軍の戦闘機に遭遇した。その戦闘機が、地上の人間を標的にして機銃掃射というのをする。地面すれすれに低空飛行してくるので、小沢少年には相手の操縦士の顔が良く見えたという。その顔は機銃掃射を楽しんでいるように見えたという。

小沢少年は逃げようとしたが、体が震えて逃げられなかったそうだ。また、撃ち落とされた爆撃機からパラシュートで脱出した米兵が、日本人によって殺されるところもみた。

小沢少年にとっては、どちらも陰惨な光景だったに違いない。それ以来小沢少年は、「戦争はほんとうにめちゃくちゃだと思った」という。

日本人を機銃射撃した米兵も、パラシュートで降りてきた米兵を殺した日本人も、基本的には、戦争の論理で動かされていたのだろうが、それだけなら何も、無防備な相手を機銃掃射して面白がるようなことにはつながるまい。日本人を機銃射撃して面白がった米兵には、日本人を人間として見る視点がなかったのだろう。

こんな思いがあるから、政府レベルでいがみあっていても、国民同士は日頃から一人一人の人間同士として付き合う。そうすれば少なくとも、敵国の国民だからと言って、藁人形でも叩き潰すように、人間を殺すような真似のできるはずはない。小沢さんは、そう思ったに違いないと思う。

(機銃掃射を楽しんでいる米兵の顔は、東京大空襲の中を逃げ惑った多くの日本人も見たということを、作家の早乙女勝元氏が証言している。「東京大空襲」)









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