解放の悲劇(The Tragedy of Liberation):ディケッターの中国革命史

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「毛沢東の大飢饉(Mao's Great Famine)」で知られるオランダ生まれの中国革命研究者フランク・ディケッター(Frank Dikötter)が、中国革命研究の第二弾「解放の悲劇(The Tragedy of Liberation)」を刊行した。筆者はまだ読んでいないが、Economist の書評によれば、中々の力作で、中国革命について有益な情報が得られるようだ。

前作の「毛沢東の大飢饉」は1958年から62年までの、いわゆる大躍進時代をカバーしていたが、この著作はそれに先立つ時代、すなわち1945年の対日戦勝利から1949年の共産党革命を経て1957年に至る時代をカバーしている。

この時代は共産党のもとで中国の社会主義革命が成功し、中国が新しい国作りに向かって邁進した時代として、中国共産党のみならず、多くの歴史学者によっても、いまだに肯定的にとらえられているのだが、ディケッターは、肯定的な部分よりも否定的な部分の方が目立ったという評価を下している。その否定的な部分が中国社会に深刻な影響をもたらし、大躍進時代における大飢饉を引き起こすことにつながった、というのである。

ディケッターが力を込めて叙述しているのは、共産党による旧体制の破壊である。共産党が旧体制の破壊に務めたのは、ある意味当然のことであったわけだが、それが非常に過酷で人間性に反したものだったこと、またそれを通じて古い社会関係が破壊される一方、新しいプログラムとしての集団化が必ずしも成功しなかったために、中国の生産構造は深刻なダメージを受け、生産力の減退と飢餓の拡大をもたらした、というのが彼の基本的な認識である。

凄惨を極めたのは、古い支配層への攻撃であった。地主や都市資産家を中心としたこれらの旧支配層が、攻撃のやり玉に挙がった。厳密な数字は明らかではないが、ざっと200万人もの人が1949年から1952年までの間に殺された。また強制収容所に放り込まれた人々も200万人に上った。

こうしたやり方は、毛沢東がスターリンから学んだのだとディケッターはいう。地主から土地を取り上げ、それをもとに集団農業を確立するというのがスターリンの基本的なやり方だったわけだが、中国の場合には、最初は地主から取り上げた土地を貧農に分け与えるというやり方を取った。だがそれで生産力があがらないのを見た毛沢東は貧農から土地を取り上げて集団農業に切り替えようとした。しかし集団化も意図通りにはうまく運ばない一方、農民を土地に縛り付けることで、新たな矛盾を生み出すことにもつながっていった。現在でもよく言われる、都市の農村との間の戸籍体系の相違などは、この時代に淵源するわけである。

これで、ディケッターによる中国革命史は1945年から1962年までをカバーすることになったわけだが、これにつづいて文化大革命をカバーするつもりだという。それが成就すれば、三部作が完結するわけだが、そのあかつきには、中国革命についてのもっとも包括的な研究となるはずだ。

中国革命史については、E.H.カーの「ロシア革命史」に匹敵するような通史がなかっただけに、その完結が期待されるところだ。

(参考)The road to serfdom A new history lays bare the violent heart of Mao's revolution Economist


関連サイト:中国を語る 






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