海辺の光景:安岡章太郎の母

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中編小説「海辺の光景」は、安岡章太郎の代表作という評価が高い。村上春樹もそのように評価している。「ガラスの靴」以来安岡が追及してきた私小説的な世界の一つの到達点としてだ。この小説を境にして、安岡の作風は大きな変化を見せるようになる。

この小説の中で安岡が描いたのは、母の死と、それへ到る最期の日々だ。その日々を安岡は、母が入院している精神病院の中で、死につつある母親と、影の薄い父親と共に過ごす。その期間は10日程のものであったが、それは長くも感じられたし、短くも感じられたし、あるいはそもそも時間と言う概念を超越するようなものにも感じられた。この何とも言えない時間の流れの中で、安岡は息子としての自分と、自分の母親との間柄について、絶え間なく反省するのである。その反省の軌跡がそのまま小説になっているわけだ。だからこれはまぎれもない私小説である。

小説のなかでも触れられているとおり、安岡章太郎の母親は、60歳になる前に器質的な痴ほう症にかかったらしい。今でいえば、アルツハイマー病のようなものと思われる。当時の日本には、器質性の痴ほう症と言う概念などなく、ただたんに気違いの一種とみなされて、ろくな治療もおこなわれなかった。患者は家の中で隔離されるか、あるいは精神病院の中に隔離されるか、どちらしかなかったのである。安岡の母親も病気の初期には家の中にいたが、そのうち異常行動が目立ってきて面倒をみられなくなり、精神病院に入れられたわけである。

そんな母親が危篤になった。その時安岡は両親と離れて東京にいたが、呼び出されて母親のもとに駆け付けた。母親は土佐の桂浜に面した精神病院の一室に入院していた。そこからは海が良く見える。安岡は父親と共にこの病院に起居しながら、母親と最後の日々を共にし、やがて彼女の緩慢な死を看取った。その死の直後、安岡は病院の庭に立って、海辺の光景を眺めるともなく眺めた。すると、凪いで波もない水面には、無数の棒杭が立っていて、それがあたかも死んだ母親への鎮魂のしるしのように受け取られた。安岡はこの時の感情を小説に書きたいと感じ、この小説を構想したのだという。

それ故、この小説の本当のスタート点は母親の死と言う出来事なのである。小説の技法の上では、母親の死はラスト地点にあるが、物語にとってはそこからすべてが始まる端緒なのである。それ故、この小説は回想と言う技法の上に成り立っている。すべては母親の死から遡ってなされる回想なのである。

私小説に回想という技法を持ち込んだのは、ひとつの革新ということができよう。私小説というのは、作家と作品とのあいだに距離がないことが特徴だが、回想という技法を採用することで、この距離が生まれる。それによって、作品の世界がちょっぴり広がる効果が生じる。この小説は、私小説でありながら私小説的でない、不思議な作品と言えるが、その不思議さのよって来る源は回想が介在していることにある。

さて、小説の中の現実の母親は、瀕死の病人として息子や夫に語りかけることはない。殆ど眠ったままで、ときたま眠りから覚めると、痛いと言って褥瘡の痛みを訴えるだけである。そんな母親を見守りながら、息子は母親の生涯が果して幸せだったと言えるのか、自分はそんな母親にとってよい息子だったのか、また父親は一家の主人として母親から頼りにされていたのか、などなどについて次々と反省をする。その息子の反省のなかから、おのずから母親の生涯が浮かび上がってくる。そのおぼろげに浮かび上がったものからすると、どうやらこの母親と、その息子である自分と、配偶者である父親との関係は、必ずしも幸せとはいえないまでも、さりとて不幸ともいえないようだ。

息子は病気になって軍隊から復員すると、鵠沼の借家に母親と共に暮らし始める。その二人きりの生活は、息子にとっては、波風のない平穏な毎日だったと回想される。そこへ軍人だった父親が復員してきて、親子三人の生活が始まる。しかし、この生活は必ずしも安穏なものではなかった。父親は働く意欲を失い、息子の自分も病気がもとで働くことが出来ない。そんななかで母親だけが、生活のために奔走する。彼女が痴ほう症になった理由のひとつは、夫や息子への心配と気苦労ではないか、と息子は思うのだが、そう思っても不思議はないのだ。

親子三人は、結局借家から追い立てを食って、両親は父親の郷里の土佐に引っ込み、息子は東京に残ることになる。そして土佐に移った後しばらくして、母親の挙動がおかしくなり、ついには精神病院へ入れられる羽目になる。

精神病院というのは、病院というよりは、隔離のための施設と言ってよい。実際この病院では、治療らしいことがなされている形跡がない。母親の病気は器質性痴呆症と言うことで、身体上の疾患はないということになっているはずなのに、なぜか不治の病に囚われたように、次第に衰弱していって、ついには心身ともに滅びるように死んでいく。

入院患者の一人が、ここは人を治すところではなく、人を殺すところだといった意味のことを言っているが、実際にそのとおりだったのだろう。だから安岡はそんなところに母親を閉じ込めた罪悪感のようなものを感じたに違いないのだ。その罪悪感は、小説の中ではストレートには表れてこない。罪悪感どころか、母親が死んだ瞬間に息子が感じたのは解放感だったのだ。

その解放感とはどのような内実のものだったのか。何故、悲しみではなく、解放感なのか。母親を失うことは、大事なものを喪失することではなく、面倒なものから解放されることなのか。それは、一人一人の生き方が異なるのにしたがって、異なってあたりまえのことなのだろうか。

そんな答えの出ない問いを投げかけながら、この小説は静かに終わる。物語ではないのだからそれでよいのだ、というように。


関連サイト:日本文学覚書 






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