ベルリンとウィーン:美術史の二都物語

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上の絵は、クリムトが1917-18年に描いた未完の肖像画、モデルはヨハンナ・シュタウデという女性である。今ベルリンで開催中の美術展「ウィーン・ベルリン:二都の美術展」に展示されている。この美術展は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのベルリンとウィーンを舞台に活躍した画家たちの作品をとりあげることによって、この二つの都市がコラボレートすることで、ドイツ圏の美術を高めていった過程をクローズアップさせている。

19世紀末におけるドイツ美術はリアリズムを基底にしていた。これを受けた形で、20世紀初頭のドイツ美術をリードした分離派は、日常生活のこまごまとした眺めをリアリスティックに描くことにこだわった。それに対してウィーンでは、装飾的な絵が流行した。クリムトやシーレの絵はそうした装飾的な流れの延長線上にあるものといえる。

ところが、第一次大戦の結果ハプスブルグ家が没落してオーストリアが小国に転落すると、ウィーンの美術空間での地位も後退した。それまでのウィーンは巨大帝国の首都としてきらびやかさに取り囲まれていたのだが、一夜にしてヨーロッパの一地方都市に転落したのである。

そこでウィーンを根城にしていた多くの画家たちがベルリンに移った。ベルリンならウィーンよりはるかに巨大な美術市場を控えており、したがってアーチストとしての成功の見込みも大きかったからである。ウィーンとベルリンとがこうして結びつくと、ドイツの美術も新しい展開を迎えるようになる。表現主義の運動はその一つの成果である。

こんなわけでこの美術展は、ドイツとオーストリアの美術について、歴史的なパースペクティブを与えてくれそうである。





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