2014年1月アーカイブ

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ピカソがフランソワーズと二人の子供を描く時には、だいたい二人の子供は遊んでいることが多い。そんななかで、母子が記念写真に納まるように、ポーズをとっているこの作品「フランソワーズ、クロード、パロマ(Françoise, Claude, Paloma)」は、珍しい一枚だ。

新たな万能細胞「STAP細胞」の可能性

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理化学研究所のスタッフ(小保方晴子女史ら)が作成に成功した万能細胞「STAP細胞」には、iPS細胞と比較してどんなメリットがあるのか。まず非常に効率よく作ることが出来ること、これはなんといっても決定的メリットだ。その上でiPS細胞と違ってガン化する恐れがないこと、これも非常にすばらしいメリットだ。安全性が高く、しかも容易に作成できるとなれば、今後の再生医学に計り知れない推進力をもたらすだろう。

死者の埋葬4:T.S.エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から「死者の埋葬」4(壺齋散人訳)

  非現実の都市
  冬の明け方の茶色い霧の中を
  群衆がロンドンブリッジに溢れた
  こんなにも沢山の人たちが死神に取りつかれたなんて知らなかった
  短いとぎれとぎれのため息を吐きながら
  どの人もうつむき加減に歩いている
  勾配を上りキングウィリアム通りを下り
  聖ウルノス教会の所に来ると
  沈んだ音が丁度9時の時報を告げ終わったところだった
  そこで顔見知りの男を見つけて声をかけた 「ステットソン!
  君とはミライの海戦で一緒だったね
  去年花壇に植えたあの死体はどうしたかね
  芽を出したかね? 今年は咲くかな?
  それとも苗床が急な霜でやられちまったかい?
  あの犬は近寄せちゃいかん あれは人間の友だからな
  前足の爪で苗を掘り返してしまうよ!
  君 偽善ノ読者ヨ 私ニヨク似タ人ヨ 我ガ兄弟ヨ!」

安倍政権の教育委員会改革

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安倍政権が教育委員会制度の改革に乗り出した。報道等によれば、現行法律上執行機関として位置付けられている教育委員会を首長の(審議・勧告のための)付属機関とし、現在は教育委員会によって任免されている教育長を首長による任命に切り替え、教育行政に首長の意向を直接反映できるようにする、ということらしい。

羅生門:黒沢明の世界

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黒沢明の映画「羅生門」は、日本映画としては初めて三大国際映画祭のひとつ(ヴェネチア)でグランプリを取った作品である。この受賞がきっかけになって、黒沢のみならず日本映画そのものが国際社会に認められるようになり、以後、溝口健二(雨月物語など)、衣笠貞之助(地獄門)、稲垣浩(無法松の一生)らの作品が次々と受賞するようになった。戦後の日本映画の黄金期の到来を飾るに相応しい記念碑的な作品といってよい。

開会したばかりの国会の代表質問で、民主党の海江田代表がNHK籾井新会長の「慰安婦」を巡る「失言」について安倍首相の考えを問いただしたところ、安倍首相は「政府としてコメントすべきではない」と答え、これについて自分が問題視することはないとの考えを示したうえで、「新会長をはじめ、NHKの皆さんはいかなる政治的圧力にも屈することなく、中立、公平な放送を続けてほしい」と述べたそうだ。

当麻寺の塑像と乾漆像

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(当麻寺金堂弥勒仏 塑像 像高約220cm)

奈良県の当麻寺には現存する日本最古の塑像と乾漆像がある。本尊の弥勒仏(塑像)と従者の四天王像(乾漆像)である。塑像は685(天武13)年に開眼し、当初は左右に脇侍を従えていたと推測される。また、四天王像は本尊よりやや遅れて作られた。本尊仏も四天王像も1180(治承四)年の兵火で損傷したため、補修の跡が多く残っている。

地獄谷の温泉を楽しむ日本猿

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写真(EPAから)は、志賀高原地獄谷の温泉につかる日本猿たち。いかにも気持ちよさそうな表情をしている。だが、温泉に浸かっている間は気持ちが良くても、温泉から出たらどうなるのか、われわれ人間としては気になるところだ。濡れた毛が寒気にあたって体が冷えるのではないかとか、湯冷めをして風を引くんじゃないかとか、余計な心配かもしれないが、ちょっと気になるところだ。

NHKの籾井会長が就任会見で慰安婦問題に触れ、「当時の戦争地域には大体つきものだったと思う。(問題は)日韓基本条約で国際的に解決している。それをなぜ蒸し返されるのか」と発言したことについて、本人は適切ではなかったと反省しているらしいが、安倍政権では必ずしもそうは考えていないようだ。サンケイによると、菅官房長官は記者会見の席上、「会長が個人として発言したと承知している。その後『取り消す』と言っており、問題ない」と述べ、国会審議への影響も「全くない」と強調したそうだ。

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ピカソは、クロードとパロマが二人で遊んでいるところ、またはそれにフランソワーズが加わって母子三人で遊んでいるところを好んで描いた。この「遊び(Les jeux)」と題した作品は、クロードとパロマが遊んでいる絵の中で最も初期のものだ。

ウクライナの騒乱

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ウクライナで二か月前に始まったデモ騒ぎがだんだんエスカレートして、ついには死者を出す騒ぎにまで発展している。このデモ騒ぎは、ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの自由貿易交渉を取りやめて、ロシアとの関係強化に舵を切り替えたことに、西欧派の市民が反発して始まったわけだが、最近は、ヤヌコーヴィチ政権がデモを弾圧できる法律を制定したりして、露骨な強圧姿勢を見せてきたことで、一層反対派を煽り立てたということらしい。

ルーヴル美術館中庭

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ルーヴル宮殿の建物はこの字型の配列に立ち並んでおり、建物に囲まれた部分はかなり広い中庭になっている。中庭の中心部にはピラミッド型のガラスの構築物が地下へ到る入り口を兼ねていて、西側の建物の途切れた部分はカルーセル広場につながっている。

内在と超越:キルケゴールの思想

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「おそれとおののき」のなかでキルケゴールは、旧約聖書のアブラハムの物語を取りかかりとして、人が単独者として直接神の前に向き合うことの重要性を強調したのであったが、その時には、アブラハムが直接神に向き合い、自分の最愛の息子であるイサクを生贄に捧げろと言う神の命令を、大きな疑問もなく受け入れたのは、彼の神に対する信仰が然らしめたのである、と説明していた。しかし、ではアブラハムはその信仰を、どうやって身に着けたのか、については一言も述べてはいなかった。だが、これは極めて重大な疑問である。何故ならこの疑問が解消されない限り、アブラハムの行為が正当化される根拠が成り立たないだろうからである。もしかしたらアブラハムは、誤解によって自分の息子を殺そうとしたのかもしれない。もしそうだとすれば、アブラハムはただの殺人者だったということになるではないか。

NHK新会長が従軍慰安婦問題で居直り発言

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NHKの新会長に就任したばかりの籾井勝人氏が、就任記者会見の席上「従軍慰安婦問題」に触れ、「戦時だからいいとか悪いとか言うつもりは毛頭ないが、このへんの問題はどこにもあった」という発言をしたそうだ。あたかも、戦時下の日本軍による従軍慰安婦制度を正当化するような内容で、その点では先日国際社会からも厳しい批判を浴びて、急速に政治力を失った某政党の代表と同じ穴のムジナというしかない。

安倍外交への海外からの視線

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アベノミクスの当面の成功で、欧米諸国始め海外の評判もマアマアだった安倍政権だが、このところ、評判を落とすような失態を、ほかならぬ安倍首相自身がしているとあって、安倍政権下の日本を見る海外メディアの眼が厳しくなってきた。

法隆寺五重塔の塑像

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(法隆寺五重塔の塑像群:釈迦涅槃)

法隆寺五重塔下層の中心部に、一群の塑像が置かれている。これは四天柱を取り囲んで壁を作り、その壁に龕を作り、龕の内部に岩塊をしつらえて、そこに塑像を並べたものである。塑像群は、東面が弥勒菩薩と維摩居士の問答、西面が釈迦仏舎利、南面が弥勒浄土、北面が釈迦涅槃の様子を、それぞれ表現している。

梅:秋瑾を読む

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秋瑾の七言絶句「梅」(壺齋散人注)

  本是瑤臺第一枝  本(もと)是れ瑤臺の第一枝
  謫來塵世具芳姿  塵世に謫來して芳姿を具(あらは)す
  如何不遇林和靖  如何せん林和靖に遇はざるを
  飄泊天涯更水涯  天涯に飄泊して更に水涯
ダヴォス会議での各国メディアとの会合における安倍首相の発言が大きな反響を呼んでいる。首相は、日中間で戦争が起これば両国にとって大きなダメ―ジになるから、偶発的に武力衝突が起こらないようにすることが必要だと述べる一方、今年が第一次世界大戦から100年目にあたることを引合いにだし、1914年以前の英独関係がいまの日中見解が似ているというようなニュアンスの発言をしたからだ。その発言を早速欧米のメディアが取り上げ、安倍首相は中国との戦争を避けられないと考えているのか、といった疑問が広範に湧きあがったというわけなのだ。

パロマ(Paloma):ピカソ、子どもを描く

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ピカソとフランソワーズ・ジローとの間には、1949年に二人目の子供が生まれた。女の子のパロマである。パロマとは、スペイン語で鳩のことであるが、実は、この子が生まれた頃、ピカソは国際平和会議のポスターの図案に鳩を用い、ピカソの作った平和の鳩のイメージがパリの町中にあふれていた。そこでピカソは、ひとつの縁と思って、娘をパロマと名づけたのである。

死者の埋葬3:T.S.エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から「死者の埋葬」3(壺齋散人訳)

  千里眼で有名なマダム・ソソストリスは
  悪い風邪をひいていたが
  ヨーロッパ一賢い女として知られている
  一揃いのカードを持ち出すと
  これがあなたのカードよ 溺死したフェニキアの船乗りなの
  (ほら この真珠は彼の目玉だったのよ!)
  これはベラドンナ 洞窟の淑女
  いろんなことに関わりがあるの
  これは三叉の竿を持つ男 これは車輪
  そしてこれは片目の商人
  この何も書いてないカードは商人が背中に背負うのだけれど
  私は見てはいけないことになってる
  首吊り男が見えないのは 水死の恐れがあるということ
  沢山の人たちが輪になって歩いている
  ありがとう もしエキトーン夫人にお会いしたら
  天球図はこちらで持参しますと伝えて頂戴
  近頃は油断なりませんものね
豊穣たる熟女たちと新年会を催した。場所は本八幡の和食料理屋「うえだ別館」。以前このメンバーで利用したことがある。ほぼ一年ぶりに座を共にするとあって、おのずと話がはずんだ。

野良犬:黒沢明の世界

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刑事たちがこつこつと街の中を歩き回って地道に情報を集め、次第に犯人を追いつめていくという捜査もののサスペンスドラマというジャンルがあるが、黒沢明の映画「野良犬」は、日本映画史におけるその分野での嚆矢となった作品だ。これをひとつの手本にして、以後似たような筋書きの映画やテレビドラマが夥しく作られてきた。内田吐夢の「飢餓海峡」や野村芳太郎の「砂の器」は、その中の傑作と言ってよい。

法隆寺金堂壁画

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(法隆寺金堂壁画のうち阿弥陀浄土図)

法隆寺には五重の塔と金堂にそれぞれ壁画が施されていた。いた、というのは金堂の壁画の大部分が、昭和49年の解体修理中の不審火によって焼失してしまったからである。現在あるものは、その後になって模写物を埋め込んだものである。焼失したのは、金堂外陣にあった12面の壁画と、その上部の小壁に描かれていた18面の山中羅漢図である。内陣の20面からなる飛天の壁画は、火災の際には取り外されて別の所に保管されていたために無事であった。

プーチンのゲイ嫌い

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写真(Guardian から)は、ソチのオリンピック会場を視察中のプーチンと彼を囲む大会ボランティアの人々。ボランティアの女性たちが来ているユニフォームに注目してほしい。これはレインボーカラーといって、ゲイのシンボルカラーとなっているものだ。これをボランティアたちに着せることで、ソチ・オリンピックへの世界のゲイ社会の反発を和らげようというわけだろう。こんな派手なものを着せられたボランティアたちは、最初はとまどったが、その趣旨をプーチンから聞かされて納得したそうだ。

車に乗った子供:ピカソ、子どもを描く

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1947年5月、ピカソとフランソワーズ・ジローとの間にクロードが生まれた。ピカソがジローと知り合ったのは1943年5月、ジローは画家志望の女性だった。三年後の夏には二人は一緒に暮らすようになり、そしてクロードが生まれたというわけだった。

タイとエジプト:支配層の反乱

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タイの情勢をみていると、エジプトとの類似に気づかされる。どちらも、選挙で民主的に選ばれた政府を転覆し、それ以前の体制へと逆戻りすることを意図している。エジプトの場合には軍による秩序の安定、タイの場合には選挙とは無縁の、支配者によって任命された人々が上院議員を選ぶというやり方への復帰だ。どちらの国でも、こうした反動的な政策を追求しているのは、上層階級や中層の比較的豊かな人々だ。彼らが民主主義よりも、自分たちの階級的な利害を優先するあまり、選挙で選ばれた政権を転覆しようとしている。どうもそのように見える。

ノートルダム寺院2

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ノートルダム寺院を裏側から見たところ。セーヌ川を行き交う観光船に乗ると、こんな風景を見ることが出来る。この観光船は非常に優れもので、セーヌ川沿いに立ち並ぶ見事な建築物群が次から次へと目の前を通り過ぎてゆくのを心ゆくまで眺めることが出来る。あなたがパリに旅したら、是非乗ってみることをお勧めする。

(28×38cm、ファブリアーノ、2013年)

おそれとおののき:キルケゴールの思想

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キルケゴールの著作の中でも、「反復」と「おそれとおののき」は一対のペアとして論じられることが多い。いずれも同一の問題意識をきっかけにして書かれた。その問題意識とは、レギーネとの関係について、もう一度自分の考えを整理しておきたいというものだった。キルケゴールは、レギーネとの婚約を解消した後、「あれかこれか」を書くことで、そのことについての自分の立場を弁明するとともに、レギーネが名誉を保ったまま自分と別れられるようにと取り計らったつもりだったわけだが、その後、レギーネから心のこもった挨拶をされたことで、もしかしたらもう一度彼女との愛をやり直せるのではないかという希望を持つに至り、その希望が「反復」を書かせた。「反復」とは、当初は「愛のやり直し」を意味していたのである。ところがこれを刊行する前に、レギーネは他の男と婚約してしまった。そこでキルケゴールは「反復」を書き直すとともに、「おそれとおののき」を書いた。「反復」の決定稿では、愛の反復が不可能だったことを振り返り、「おそれとおののき」では、自分がレギーネを手放さなければならなかった理由を、あらためて論じたのである。

白鳳時代の仏像4:橘夫人念持仏

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(橘夫人厨子)

法隆寺所蔵の厨子には、玉虫厨子の他にもうひとつ、橘夫人厨子と伝えられるものがあって、そのなかに小さな阿弥陀三尊像が収められている。この厨子は藤原不比等の妻で光明皇后(聖武天皇の皇后)の母となった藤原三千代の念持仏を収め、婦人の個人的な信仰に用いられていたと推測されている。

ノンフィクション作家山崎厚子さんの秋瑾伝「秋瑾 火焔の女」を読んだ。中国清朝末の女性革命家として知られる秋瑾は、日本ではあまり紹介されることがなく、竹田泰淳の書いた「秋風秋雨人を愁殺す」などによって、わずかに彼女の生涯の輪郭を知りうる程度だったので、山崎さんのこの本は、日本人が秋瑾を知る上での貴重な手がかりを増やすことになろう。

絞首刑:日本の死刑執行

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「日本の絞首刑」と題する永田憲史、デヴィッド・T・ジョンソンの共同論文が雑誌「世界」の2014年2月号に掲載されているのを興味深く読んだ。死刑というのは刑務行政の究極的な姿を反映するものであり、したがって多岐にわたる問題を含んでいるが、また著者たちの問題意識も多岐にわたるものであるが、とりあえず筆者は、日本の死刑執行形式である絞首刑の、執行の仕方に関心を持った。この問題については、過去にもこのブログで取り上げたことがある。

北京のスモッグ

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上の写真(新華社から)は、昨日(1月16日)の北京市内の様子を写したもの。濃いスモッグのために天安門が霞んで見える。普通ならくっきりと鮮やかに見えるシーンのはずだ。こうなったのは、大気中のPM2.5の濃度が1立方メートルあたり671マイクログラムと、基準値の26倍にも達したためだ。

歩きはじめ:ピカソ、子どもを描く

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「歩きはじめ(Les premiers pas)」と題したこの絵は、ナチス占領下のパリで描かれた。モデルになっているのは、当時ピカソのアトリエで家政婦を勤めていたイネス・サシエと彼女が生んだ子どもジラールだ。

死者の埋葬2:T.S.エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から「死者の埋葬」2(壺齋散人訳)

  このからみつく根っこはなんだ
  この砂利交じりのごみからどんな枝が生えるというんだ?
  人間の息子よ お前には言えない 見当もつかない
  お前が知っているのは壊れたイメージの山だけだ
  太陽が照りつけ 枯れ木には影もなく コオロギの声も聞こえない
  石はかわき 水の音さえしない
  この赤い岩がわずかな日陰を作っているだけだ
  (この赤い岩の日陰に入ってこいよ)
  そうすれば ちょっと変わったものを見せてやるよ
  朝日を浴びて後ろにひきずった影でもなく
  夕日と出会った影でもないもの
  一握りの灰を見せてやるよ
    サワヤカニ 風ハ吹ク
    故郷ノ方ヘト
    我ガアイルランドノ子ヨ
    ドコヲオ前ハサマヨッテイルノカ?
  「あなたが初めてヒアシンスをくれたのは一年前
  それからみんなにヒアシンス娘って呼ばれたわ」
  ―でも そのヒアシンス畑から戻ってきた時
  君が髪を濡らしながら 両手いっぱいにヒアシンスを抱えていたので 
  僕は口もきけず 目も見えず
  生きているのか 死んでいるのか わからないままに
  光の中心を 沈黙を 覗き込んだ 
  海は荒涼として空虚だった
政治家にとってセックス・スキャンダルは、だいたい命取りの結果に終わるものだが、フランスでは必ずしもそうではないらしい。というのも、先日オランド大統領の不倫疑惑が報道されたばかりだが、そのことを多くのフランス人は問題視していないばかりか、かえってオランドの支持率が上昇するという現象まで起きている。これは、どういうわけか。日本人の筆者にはなかなか理解できないことだ。

細川護熙元首相が脱原発を掲げて都知事選に立候補したというので、マスコミは大いに賑わっている。細川さんだけではこんなに盛り上がらなかったもしれないが、なにしろ小泉元首相までが加わって、脱原発をワンイシューにして都知事選を戦うと言うので、俄然面白みを帯びてきたというわけだろう。これに対して安倍政権サイドは、原発問題は国政イシューだとかいって牽制していたが、最近では自分たちだって脱原発と言う方向性では共通しているなどと、訳の分からないことをいうようになった。細川・小泉連合の破壊力を余程恐れていると見える。

酔いどれ天使:黒沢明

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黒沢明の映画「酔いどれ天使」は、戦後の日本映画のひとつのジャンルになったアクション映画の元祖のようなものだ。暴力、犯罪、怒りといったものがアクション映画の基本的要素であるが、この映画にはそれらがまんべんなく盛り込まれている。しかも、その盛り込み方が中途半端ではない。暴力ひとつとっても、人間たちの怨念が息づいた実に人間的な暴力なのだ。三船敏郎という稀有な俳優がそうした人間臭さを発散させていたということもある。とにかく日本人はこの映画で初めてそうした人間的な暴力を見たといってもよい。

魚が鳥を食う

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鳥を食う魚がいるのだそうだ。それも空中を飛んでいる鳥に水中から魚が襲い掛かり、見事に生け捕るのだそうだ。南アフリカの研究者がその様子をビデオに収め、ネット上で公表した。

白鳳時代の仏像3:夢違観音

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(法隆寺夢違観音、銅像、高さ87cm)

白鳳時代も後期になると、仏像の人間臭さが目立ってきて、豊満な肉体を感じさせるものが多く現れる。その代表的なものは、法隆寺宝蔵にある夢違観音だ。ふっくらとした顔、肉付きのよい体つきが、いかにも人間的な地上性を感じさせる。

ネズミの語源

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ネズミという言葉は、「根の国に住むもの」だと新井白石がいったそうだ。それを指摘したのは池澤夏樹氏。読書誌「図書」に寄稿した小文「詩と散文、あるいはコロッケパンの原理」の中でそう書いていた。根の国とは「根の堅州国」ともいって、古事記では異界あるいは地下の世界として描かれている。そこに住む動物だから「根に住む」となり、更に「ねずみ」になったというわけだ。

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映画関係者を中心に「ノリウッド(Nollywood)」という言葉が流行っているそうだ。ハリウッドに対抗する映画文化を作り上げたインド映画が「ボリウッド」と呼ばれたことに範をとって、いまや一大映画産業を作りつつあるナイジェリア映画を指してノリウッドというわけである。

タイで反政府勢力が大規模デモを重ね、ついには首都封鎖という過激な行動をとっているようだが、その背景にはいまひとつよくわからないところがある。今回のデモのそもそもの発端は、昨年11月に恩赦法が下院で強行採決され、タクシン元首相がその対象に含まれることに、反タクシン派が反発したことだ。その際には、反タクシン派の反発を考慮したインラック首相が上院での可決を(多数派を抑えているにかかわらず)あきらめて、法案を廃案にしたが、それに勢いづいた反タクシン派が、(タクシン派である)インラック政権の打倒を目指して引き続きデモを続けているということだ。

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「おもちゃの馬と人形を持ったマヤ(Maya au cheval et à la poupée)」と題するこの絵は、マヤの一連のデフォルメ像のうち第二作目のものである。一作目の「人形を抱くマヤ」より、わずか一週間後に描かれた。この頃のピカソが、マヤに夢中になっていたことを物語っている。

体重500キロの女性

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写真(Huffington Post から)は、体重500キロの女性を写したもの。体重が500キロというと、ダービーに出てくるような馬の体重と同じだが、人間にそれだけの体重があると、こんな具合になるわけだ。

キルケゴールのヘーゲル批判

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キルケゴールは、マルクスやニーチェ同様ヘーゲルを乗り越えることによって自分なりの思想を構築し、新しい時代の導き手の一人となった思想家である。マルクスは、ヘーゲルの思想の観念論的性格を問題にし、それがいわば頭で立っている状態を足で立たせることによって、つまり姿勢を逆にしてやることによって、観念論から唯物論への転化を図った。つまりマルクスは、ヘーゲルをひっくり返すことによって、自分の思想を構築したわけである。これに対してニーチェは、ヘーゲルに集約されるような西洋的な知の全体に対して異議を唱え、それがもはや意味のない念仏でしかないことを暴露した。彼の言う「神は死んだ」という言葉は、ヘーゲルに集約される西洋的な知がもはや意味を持たなくなったという事態を意味しているのである。

犬は南北の方向にそって排便する

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このほど物好きな学者たちが、犬の排便の様子を根気よく観察した結果、犬は南北の方向軸に沿って排便する傾向があると結論付けた。この研究を行ったのはチェコとドイツの研究チーム。37種類、70匹の犬を対象にして、その排便の様子を何と二年間も観察し続けたというから、たしかに物好きの至りである。

白鳳時代の仏像2:中宮寺半跏思惟像

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(中宮寺半跏思惟像、木造、高さ133cm)

白鳳時代から天平時代にかけて多くの半跏思惟像が作られた。これらの像は今ではいずれも弥勒菩薩像と言うことになっているが、中には如意輪観音と呼ばれていたものもあった(中宮寺ではいまでもそう呼んでいるようである)。しかし、大阪野中寺の半跏思像の台座銘に明確に弥勒菩薩とあるところから、ほぼ似たような形の半跏思惟像はいずれも弥勒菩薩だと断定されるようになった。

不幸な結婚:魯迅「傷逝」

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魯迅の短編小説「傷逝」は、男女の結婚の破綻とそれがもたらした不幸を描いたものだが、それには魯迅自身の個人的な事情もいくらか盛り込まれていると考えられる。この小説の中の主人公は、魯迅自身と重なりあう部分をある程度持っていると推測されるのである。

「我が闘争」がベスト・セラーに

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アドルフ・ヒトラーの悪名高い著作「我が闘争」が、2013年のベストセラーになったそうだ。ただし、プリント版ではなくデジタル版でだ。この本がKindle から販売されるや、ものすごい勢いで売れ続け、遂にはベスト・セラーになったということのようだ。

満州国化する日本?

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「『満州国化』する日本」という聊かショッキングな題名のインタビュー記事が今朝(1月10日)の朝日に載っていた。話し手は法政思想史家の山室信一氏。氏は今の日本を評して「日本の満州国化」だというのだ。

人形を抱くマヤ:ピカソ、子どもを描く

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ピカソは、1938年1月から翌年にかけて、おもちゃを持ったマヤの肖像を、あわせて10点ばかり描いた。いずれも、ピカソ独特のデフォルメの手法を存分に発揮した作品で、ある意味では最もピカソらしい作品群である。

ヨーロッパのロマ人

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ヨーロッパ諸国には合計1000-1200万人のロマ人(ひと)たちが存在している。彼らは一千年前からヨーロッパ諸国に住みつき、差別と虐待にさらされてきた。彼らが最も多く分布しているのはルーマニア、ブルガリア、ハンガリーといった東欧諸国だが、それらの国のロマ人たちがもっとも厳しい境遇にさらされている。そんな境遇からの脱出を図ろうとして、近年西欧の豊かな国に移動するロマ人たちが増えている。そのことで、西欧諸国でも新たなロマ問題が噴出するようになったようだ。

死者の埋葬1:エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から、「死者の埋葬」1。(壺齋散人訳)

  四月は一番残酷な月だ
  不毛の土地からリラが芽生え
  記憶が欲望とごっちゃになり
  根っこが春雨を吸ってモゾモゾする
  冬はあたたかく包んでくれた
  気ままな雪が大地を覆い
  球根には小さな命がやどっていた
  夏にはみんなびっくりした
  シュタルンベルガー湖の向うから雨と一緒にやってきたので
  我々は柱廊で雨宿りし 日が出てからホーフガルテンに入り
  コーヒーを飲んで一時間ばかり話した
  ワタシハロシア人ナンカジャアリマセン 
  リトアニア生マレノレッキトシタドイツ人デス
  まだ子供だったころ 従兄の大公の邸で過ごしたわ
  あの人 橇に乗せてくれたけど
  わたしは怖かったの するとあの人は
  マリア マリア マリア しっかりつかまってて
  そういいながら 下っていったっけ
  山の中では 気持ちがいいものよ
  わたしは夜通し本を読み 冬には南の方に行くの

日中の駐英大使が誹謗合戦

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日中それぞれの駐英国大使が、英国の新聞紙上を舞台に誹謗中傷合戦を繰り広げたそうだ。毎日新聞によると、事の発端は、1月2日のデーリー・テレグラフに寄せられた中国大使の寄稿。この中で中国大使は、安倍首相による靖国参拝を批判し、「軍国主義が日本におけるヴォルデモート卿だとすれば、靖国神社は、(ヴォルデモート卿が自らの魂を保管する)魔法の箱であり、日本の魂の最も暗い部分を代表するものだ」と指摘。これに日本の駐英大使が反論し、6日付同紙上に「アジアのヴォルデモート卿になりかねない中国」と題した文章を寄稿し、中国側が挑発行為を繰り返していると指摘した上で、東アジアで軍拡競争を行い緊張を高めれば、ヴォルデモート卿の役割を演じることになると警告した。

素晴らしき日曜日:黒沢明の世界

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黒沢明が戦後間もなく作ったいくつかの作品は、ヴィットリオ・デ・シーカなどイタリアのネオ・レアリズモの作品とよく比較される。たしかに両者ともに敗戦国の苦い現実を赤裸々に描き出している。生活基盤を失って途方に暮れる人々や、破壊されて無残な姿をさらす街の風景、そういったものをありのままに映し出すところが非常によく似ている。しかし、ネオ・レアリズモと黒沢とではひとつ違ったところがある。デ・シーカらの映画には、世の中の不条理を告発する社会的な視点が感じられるのに対して、黒沢の映画にはそういう告発的なところはない。彼は告発的な動機から映画を作ったのではなく、見る人々に感動して欲しいという思いから映画を作った。だがそれらの映画はたまたま戦後の焼跡を舞台に展開し、その焼跡で生きる人々の懸命な表情を映し出していた、ということなのだ。

似たもの同志? 習近平と安倍晋三

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中国の習近平国家主席と日本の安倍晋三首相との間には類似点が多い、という趣旨の文章をAFPが配信していたのを興味深く読んだ。(対立する日中首脳に多い類似点、専門家らが指摘)

白鳳時代の仏像1:百済観音像

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(法隆寺百済観音像、木造、像高179.9cm)

7世紀後半から8世紀初頭にかけてのいわゆる白鳳時代は、飛鳥時代と天平時代に挟まれた時代だが、その意味で過渡期と位置付けることもできる。飛鳥時代の仏教美術が朝鮮半島を経由しながら北魏の強い影響(深い精神性)を受けているのに対して、天平時代は隋・唐の影響を受け、地上的・現世的な特徴が強い。したがって両者はほとんど共通するところがないほど、対立的な関係にあるといえるが、白鳳時代の日本の美術は、この対立を包み込んで、雑多な要素が混在している。単に過渡期と言うよりは、対立しあう雑多なものが共存した時期と言い換えることが出来る。

古代エジプト人醸造家の華麗な墓

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写真(APから)は、エジプトはテーベの谷の墳墓群の一角から発見された壁画の一部。いまから3000年前に死んだエジプト人醸造家の墓のなかから発見されたものだ。古代エジプト人の信仰や生活の一端が伺われるので、非常に貴重な価値を持つ資料といえる。

赤子のマヤ:ピカソ、子どもを描く

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1935年9月、ピカソとマリー・テレーズとの間に女の子が生まれた。その子をピカソは、幼くして亡くなった自分の妹の名をとって、マリア・デ・ラ・コンセプションと名づけた。マヤはその愛称である。

瀬戸内寂聴さんの死に支度

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読書誌「図書」の最新号(2014年1月号)に、瀬戸内寂聴さんの「これまでの100年、これからの100年」と題する講演記録が載っていて、興味深く読んだ。というのも冒頭で寂聴さんは、「毎日毎日が私にとっては、まさに死に支度ということです」と宣言されているからだ。寂聴さんは今年91歳になられるということなので、失礼な言い方かもしれないが、いつ往生しても(つまり死んでも)おかしくない年だ。凡俗はそれでも、自分はまだ簡単には死なないぞと思うものだが、寂聴さんの場合にはいつ死んでもよいように心の準備ができているという。これを俗に「お迎えの来るのを待っています」ともいうが、こういう心境になれるということは、ある意味素晴らしいことはなかろうか。

キルケゴールの審美的著作

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キルケゴールの実質的な処女作は「あれかこれか」である。この中に含まれている「誘惑者の日記」が世間の話題となり、これをキルケゴールは仮名で出版したにかかわらず、たちまちその著者であることがばれて、忽ちデンマーク一の有名人になってしまった。無論文学者としてである。この作品は、思想的な作品などとは到底言えないし、文学作品としても奇妙な作品なのであるが、とにかく人の心をつかんで離さない迫力がある。であるから、筆者のようなものまでその魅力のとりこになったとしても不思議ではないだろう。筆者がこれを始めて読んだのは大学一年生の時のことだったが、読んでいる最中から感激に包まれ、読み終わったあとでは深いため息をついたものだ。というのも筆者には、この日記の作者のことが他人事のようには思えなかったからだ。これを読んだとき、筆者は恋が破れた直後のことであり、その不幸な恋の切ない思い出が、この作品によって掻き立てられて、筆者は心が二重に痛手を負うのを感じないではいられなかったのだ。

張成沢は犬に食われた?

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先日死刑判決を受けて即処刑された張成沢について、彼がどのような方法で絶命したかについて様々な憶測が流れていたが、香港の親共産党政権紙文匯報は、張成沢は犬に食われて死んだというショッキングなニュースを配信した。それによれば張成沢は、5人の腹心と共に、真裸にされた状態で檻の中に放り込まれたが、そこには120匹の飢えた犬どもが待ち構えていて、彼らに襲い掛かり、その肉を引き裂き、一時間ほどで食い尽くしてしまったということだ。この現場には金正恩も立ち会い、叔父の張成沢の断末魔を子細もらさず見ていたということだ。

法隆寺玉虫厨子:日本の美術

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(法隆寺玉虫厨子、木製、高さ232.7cm)

法隆寺の玉虫厨子は7世紀の半ばごろ、すなわち飛鳥時代から白鳳時代への過渡期に、日本で作られたと思われる。厨子とは仏像を安置する容れ物のことをいう。この厨子が玉虫と名付けられたわけは、柱、桁、台座などの縦横材の装飾の一部に玉虫の羽(五色に光るとされる)を用いていることにある。

野次馬根性:魯迅「引き回し」

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魯迅の短編小説「引き回し」は、中国の民衆のもつ野次馬根性を正面から描いたものだ。中国人の野次馬根性を魯迅は、あの有名な幻燈事件のさいに、いやというほど思い知ったのであったが、そのときに感じたであろういやな思いを、この小説の中で吐き出した。そんなふうに思わせる一篇である。

鄱陽湖が干上がる

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洞庭湖とともに中国江南地方の豊かな湖として知られた鄱陽湖の、その水がとうとう干上がってしまったそうだ。原因は、干拓の進行と長江上流に作られた三峡ダムの影響らしい。(江西省の分省地図で見ると、鄱陽湖は巨大な湖であるし、流れ込む川の数は数多くあるというのに、それが干上がってしまうというのは、なかなか信じがたいことだ。)

EU内では、人の移動の自由の原則に従い、貧しい国から豊かな国への人の移動が大規模に行われてきた。その大部分は出稼ぎ労働者だ。ドイツやイギリスなどには、主として東欧の貧しい国から出稼ぎ労働者が大量に流入し、地元の若者たちが嫌う重労働などに従事してきた。そのことで受け入れ側は安い労働力を使うことができ、送り出す方では雇用の確保を図ることが出来たわけだ。いってみればウィンウィンの関係であったわけだが、最近は必ずしもそう言ってばかりいられなくなってきたようだ。受け入れ側の国に、外国からの出稼ぎ労働を規制する動きが見られるというのだ。

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ピカソは、1925年に息子のパウロを描いて以降子供の絵から遠ざかっていたが、1934年になると、またもや子どもをモチーフにした絵に取り組む。しかも、かなりユニークなモチーフだ。盲目になったミノタウロスの手を引いて導く少女、がそれである。

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八景島シーパラダイスのオタリアが、観客の前で書初めを披露しているというのでちょっとした話題になっている。筆者がこのニュースに接したのはワシントン・ポストのWEB版で、そこには自力で書き初めをしているオタリアの写真がアップされていた(上の写真)。そこで、ほんとかいなと思ってシーパラダイスのサイトに直接あたって真偽を調べてみた次第だ。

T.S.エリオット「荒地」を読む

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T.S.エリオットの「荒地」は現代詩の幕開けを飾る記念碑的な作品だということになっているが、決して読みやすくはない。というより(特に我々非ヨーロッパ人にとっては)難解である。エリオット自身が原注の中で、この詩はアーサー王物語と聖杯伝説とのかかわりについてのウェストン女史の研究「祭祀からロマンスへ」に触発されたと書いているので、その方面の物語を連想させるのかと思えば、そう単純なことではない。確かに、詩の舞台はロンドンに始まり、テムズ川から地中海へ、そして東ヨーロッパからインドを経由して再びロンドンに戻って来るといった具合に壮大な旅を連想させないことはないが、旅がこの詩のテーマだとはとうていいえない。したがってこれは、聖杯伝説の物語のような、旅がテーマの叙事詩とはいえないし、他のどんなジャンルの詩とも似ていない。

乱れる:成瀬巳喜男の世界

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成瀬巳喜男の「乱れる」は、かなりな時代性を感じさせる映画だ。まず、十代の時に結婚した男の家に、男の死後十八年間も残りつづけ、男の家族のために自分の青春を犠牲にして尽くしたという話が、いまの時代には理解しがたいことだ。また、嫁入り当時はまだ7歳の少年だった夫の弟が25歳の青年になって愛を打ち明けてきたことに対して、女はそれを正面から受け止められない。その愛を受け入れることは絶対に許されないと考えているからだが、何故そんな風に考えるのか、これもいまの時代には理解しがたい事だろう。そうした理解しがたいことが、1960年代の日本ではごく普通に起こっていた。そういうことを、この映画は教えてくれる。

平成廿六年元旦を迎えて

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今年は午年ということで馬の絵を水彩で描いてみた。馬のモデルは北斎漫画から借用した。これを見た人の中には、性的なニュアンスを嗅ぎ取った人もいたが、あくまでも北斎漫画からの借用なので、筆者自身には責任はない。もっとも筆者はこの馬の図柄がエロティックなどとは毛頭思っていないのだが。

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