白鳳時代の仏像1:百済観音像

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(法隆寺百済観音像、木造、像高179.9cm)

7世紀後半から8世紀初頭にかけてのいわゆる白鳳時代は、飛鳥時代と天平時代に挟まれた時代だが、その意味で過渡期と位置付けることもできる。飛鳥時代の仏教美術が朝鮮半島を経由しながら北魏の強い影響(深い精神性)を受けているのに対して、天平時代は隋・唐の影響を受け、地上的・現世的な特徴が強い。したがって両者はほとんど共通するところがないほど、対立的な関係にあるといえるが、白鳳時代の日本の美術は、この対立を包み込んで、雑多な要素が混在している。単に過渡期と言うよりは、対立しあう雑多なものが共存した時期と言い換えることが出来る。

現在法隆寺の法蔵殿に安置(鎌倉時代に安置)されている百済観音像は、白鳳時代に作られた仏像としては、やや特殊な地位を占めている。異様に細長い体系、目鼻の小さな顔立ち、うねりを感じさせるようなリズミカルな姿勢といったこの像の特徴が、他に例を見ないのである。百済観音と名がついたのは、異国の風情を思わせるからかもしれないが、本体がクスノキ材、水瓶と蓮華座がヒノキ材でつくられていることから、日本製であることは確かだとされる。

寺伝では虚空蔵菩薩と呼ばれたとあるが、宝冠に化仏があることからも、観音像であることは間違いない。

蓮華座の上にすっくと立って前方をまっすぐ見据え、右手を水平に差し出して受け、左手で水瓶を持っている。宝冠は首飾り同様金属製の刺繍だが、大きな宝髷に比較して貧弱な印象を与える。光背は彫刻ではなく彩色である。彩色は本体にも施されている。胡粉で下塗りした上に色を塗り重ねている。

仏像は、偏袒右肩といって、内衣の襟は左から右にかけて下がっているのが基本だが、この像は逆になっている。髪は両側から垂れ下がって肩に密着している。


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