安倍政権の教育委員会改革

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安倍政権が教育委員会制度の改革に乗り出した。報道等によれば、現行法律上執行機関として位置付けられている教育委員会を首長の(審議・勧告のための)付属機関とし、現在は教育委員会によって任免されている教育長を首長による任命に切り替え、教育行政に首長の意向を直接反映できるようにする、ということらしい。

趣旨を表面的に受けとると、現行の教育委員会は、首長からの独立性が高く、選挙で選ばれた首長の意向が反映されない実態があり、また教育行政がとかく無責任に陥りやすい実態もあるから、首長の意向が反映されるような仕組みに改め、それによって教育行政の責任能力を高めたい、というように聞こえる。だが、果してそうか。

現行の教育委員会の委員はすべて首長によって任免されている。よって、首長とは異なった価値観を持った人が教育委員になる可能性は低い。教育長にしても、建前上は教育委員会が任免することになっているが、実体としては、役所の人事の一環として首長サイドで任免しているのが普通だ。したがって、教育委員会の自主性なるものは、ほとんどがないに等しいというのが実態だ。それをなぜ、ことさらに教育委員会の自主性をあげつらい、首長の権限を強化する必要があるのか。

もうひとつの理由、現行の教育委員会のあり方が、教育行政を無責任にしている原因となっているという点についても、わからぬことが多い。たしかに現行の教育委員会は、月に2度程度(それも短時間)開催されるだけで、その実態は行政(教育部局)からの報告にお墨付きを与えるだけのことが殆どだ。しかし、だからといって、それを無責任と決めつけるのはどういうわけか。無責任になりがちなのは、教育委員会が中途半端な行政資源(予算編成権等々)しか持たされていないためではないのか。実際現行の教育行政においても、予算の編成始め教育行政上の方針は首長サイドで決められているのが実態で、教育委員会に自主性があるとは到底言えない状態である。

このように、人事面でも運営面でも、教育行政に対する首長の意向は、現行法下でも十分に貫徹されているわけである(大阪のケースを見ればわかるように)。そこをなぜ、ことさらに首長の権限強化にこだわる必要があるのか。いまひとつ納得できない。

そもそも教育委員会制度は、民主主義教育の土台をなすものとして、アメリカの教育委員会制度を日本の土壌に植え付けたものだった。当初は、教育委員は公選制だったが、すぐに首長による任免性に切り替えられた。その時点で、アメリカの教育委員会制度とは異なる道をたどることが予想されたわけだが、果してそのとおり、教育委員会制度は形式的な扱われ方をされるようになり、行政側(文部省も含めて)による教育行政のコントロールが貫かれてきた。その意味で、現在の教育委員会でも十分に骨抜きになっているわけだが、法律上も骨を抜いてさっぱりさせてやろう、というのが安倍政権の本音なのだろうか。







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