2014年2月アーカイブ

アンネ・フランク関連本への蛮行をめぐって

最近東京各地の図書館で、「アンネの日記」を始めとしたアンネ・フランクの関連本数百冊が、何者かによって切り裂かれたり破り取られたりする事件が相次いで起きたが、それに対して海外のメディアも強い関心を示している。それらに共通して窺われるのは、これが日本の右傾化を反映する出来事だとする見方である。ここではその一つの例として、TIMEの論調を紹介しておきたい。Hundreds of Copies of Anne Frank's Diary Vandalized in Japan By Kirk Spitzer

不安と絶望:キルケゴールの思想

キルケゴールにとって、主体的実存に生きる人間の本来的なあり方とはキリスト者としてのあり方である。それも世間一般で当然のこととして考えられているように、キリスト教会の一員として、日曜日には牧師の説教を聞き讃美歌を歌うようなあり方ではなく、単独者として神と直接向き合うようなあり方である。しかしそのようなあり方は、世間一般が考えている程簡単なことではない。世間一般は教会で洗礼を受けさえすれば真のキリスト者になれると考えているがそうではない。人が真のキリスト者になるためには飛躍が必要である。そしてその飛躍を成し遂げるのには強い意思が必要である。人間というものは、この強い意志によって飛躍することにより単独者となり、そのようなものとして神と直接向き合うようになれるのである。

天平時代の仏像6:東大寺法華堂執金剛神像

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(東大寺法華堂の執金剛神像 塑像 167.0cm)

東大寺法華堂の執金剛神像は、「日本霊異記」によれば、東大寺の前身金鐘寺の像として、金鷲行者という者の発願によって作られたということになっている。金剛力士とは、仁王の原初の姿であり、釈迦のボディガードのような存在だった。金剛杵を振りかざしている姿から、執金剛神像とも呼ばれるようになった。

ウクライナのネオナチ

今回のウクライナの政変においては、様々な反政府勢力がゆるやかな連合を形成したと言われているが、その中のもっとも活発で攻撃的な勢力に「スヴァボーダ(自由)」という極右団体がある。世界ユダヤ人会議によって「ネオナチ」と認定されている団体だ。実際この団体は、「反ユダヤ、ファシズム」を標榜すると言われているが、日本は無論、国際的にもほとんど報道されてこなかった。

北朝鮮の夜は真っ暗

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写真はNASAが公開した映像。国際宇宙ステーションから見た朝鮮半島の夜景だ。中国や韓国が光に覆われているのに対して、北朝鮮は海岸線との境界も識別できないほど、暗く映っている。唯一明るいのは平壌だが、これも韓国の地方都市程度の明るさに過ぎない。

米議会調査局が日本の安倍首相を批判

米議会調査局が、日米関係に関する報告書をまとめ、安倍晋三首相の歴史観について「第二次世界大戦やその後の日本占領で米国が果たした役割に関し、米国人の認識と衝突する危険性がある」と懸念を述べた。また、米政府が靖国参拝に「失望した」と声明を出したことは「異例だった」と指摘し、「首相が米国の忠告をあえて無視して靖国を突然参拝したという事実は、両政府間の信頼関係を一定程度損ねた可能性がある」と批判した。

闕題:秋瑾を読む

秋瑾の七言絶句「闕題(題を欠く)」(壺齋散人注)

  黄河源溯浙江潮  黄河の源は溯る 浙江の潮
  衞我中華漢族豪  衞れ我が中華を 漢族の豪よ
  莫使滿胡留片甲  滿胡をして片甲を留めしむる莫かれ
  軒轅神冑是天驕  軒轅の神冑は是れ天驕なり

自画像:ゴッホの自画像8

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この自画像は、前作とほぼ同じ時期に描かれ、やはり点描の真似事が伺える。この作品では、点の打ち方はいっそうぞんざいになっていて、むしろ作品の印象を妨げているほどだ。ゴッホがなぜこんなぞんざいなことをしたのか、その意図がよくわからない。

習近平政権の暴走する反日政策

中国習近平政権の反日政策が暴走気味を呈している。安倍首相の靖国参拝について、それを批判する記事を世界各国の中国大使に書かせ、日本がゆがんだ歴史認識に基づいて戦後の世界秩序に挑戦し、軍国主義を復活しようとしていると非難しているが、今度は、習近平自ら反日キャンペーンに加わる様子を見せている。三月末に世界の首脳が集まる「核安保サミット」へ参加するにあたって、習近平はドイツを訪れ、ドイツによる「第二次世界大戦への反省」に敬意を表すると同時に、日本はドイツに見習えとのメッセージを出すつもりなのだという。主要な国際舞台で、日本の首相に恥をかかせようという魂胆だろう。

火の説教1:T.S.エリオット「荒地」

T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」1(壺齋散人訳)

  川辺のテントはこわれ 最後の葉っぱの切れ端が
  からみあいながら ぬかるんだ土手に沈んでいった
  風が音もなく茶色い地面を吹き渡り ニンフたちもいなくなった
  いとしいテムズよ 静かに流れよ 俺が歌い終わるまでは
  川面には空き瓶も サンドイッチの包み紙も
  絹のハンカチも 段ボールも たばこの吸い殻も浮かんではいない
  夏の世を忍ばせるものはなにひとつ ニンフたちもいなくなった
  ニンフの友達 市のお偉方のドラ息子たちも
  挨拶もせず いなくなってしまった
  レマン湖の水辺で 俺は座って泣いていたっけ
  いとしいテムズよ 静かに流れよ 俺が歌い終わるまでは
  いとしいテムズよ 静かに流れよ そんなにうるさくは歌わないから
  だが背後の方で 冷たい風にまじって
  骨のこすれる音が聞こえ 張り裂けた口から忍び笑いが漏れてきた

どん底:黒沢明の世界

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黒沢明の映画「どん底」は、マクシム・ゴーリキーの同名の戯曲を映画化したものである。「どん底」を映画化したものとしては、フランスの映画作家ジャン・ルノワールが1936年に作った作品が有名だ。ルノワールの映画は筆者も若い頃に見たことがあるが、主役格のジャン・ギャバンはともかくとして、男爵を演じたルイ・ジューヴェの演技が印象的だった。黒沢の映画では、男爵に相当するのは千秋実演じる元旗本の「殿さま」だが、映画の中でもっとも印象的なキャラクターは、主役格の三船敏郎を別にすれば、左卜全が演じる巡礼風の旅人の方だ。これは原作の中でのルカという巡礼に相当する者で、原作では最も光って見える人物だ。したがって黒沢の作り方は、ルノワールよりも原作に近いと言える。

なにかと物議を醸しているNHKの籾井会長が、理事たちから日付を入れない辞職願を提出させていたことが、国会審議のなかで明らかになった。

天平時代の仏像5:日光・月光菩薩像

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(東大寺法華堂、日光・月光菩薩像)

東大寺法華堂の不空羂索観音像の前に置かれている一対の塑像は、寺伝では日光・月光菩薩といわれ、脇侍のように見えるが、もともとこの寺にあったものではなく、他から移転してきた客仏である。初めて文献に見えるのは江戸時代のことであるから、その当時に移転してきたものであろう。

ウクライナのヤヌコーヴィチ政権が、おどろくほどあっけなく崩壊した。キエフなどでの反政府運動が激化し、百名近い死者を出すに至り、警察部隊が政権のいうことを聞かなくなり、それに伴って政権幹部が相次いで離反する事態が生まれ、ヤヌコーヴィチが孤立に追い込まれたことが原因らしい。ヤヌコーヴィチと少数の腹心は、飛行機で国内脱出を図って成功しなかったともいわれ、現在行方不明中だとされている。ともあれ、彼が大統領職に復帰することは、現実的ではなくなった。

自画像:ゴッホの自画像7

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巴里にやってきたゴッホが影響を受けた画風にスーラやシニャックの点描画があった。スーラとは個人的にも親しくしていたようで、互いに絵の批評をしあった間柄だった。しかし、ゴッホはスーラの画風を評価するのにやぶさかではなかったが、それをすんなり受け入れることはできなかったようだ。弟テオ宛の手紙の中で、「僕はよく彼の方法について考える。もちろん僕にはそれをやる気は全くないが」と書いている。(岩波文庫版ゴッホの手紙)

アベポリティクスの本質は富国強兵にあり

安倍首相の独走ぶりが眼を引く。アベノミクスの成功で国民の一定の支持を勝ち取ったことを最大の政治資源にして、自分の政治信念の実現に向けて突っ走っているかに見える。その手法はいかにも安倍首相らしい。力まかせの正面突破作戦ともいうべきか。筆者はそれを、仮にアベポリティクスと名づけてみた。今から思えば、アベノミクスもこのアベポリティクスの一環だったようだ。では、そのアベポリティクスの内実とはどんなものか。今日版の富国強兵政策と言えるのではないか。

真理は主体性にあり:キルケゴールの思想

真理は哲学にとっての大きなテーマのひとつであるが、哲学史上の主流(多数)意見においては、真理とは存在と認識との一致ととらえられてきた。存在とは対象世界のことであり、認識とは我々人間の主体的な作用である。その両者が一致するとは、主観的な認識作用が客観的な対象と一致するということである。したがって、この場合の真理とは、対象が"なにであるか"があきらかになることである。

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(不空羂索観音像)

東大寺法華堂に安置されている不空羂索観音像は、東大寺の前身金鐘寺の本尊として作られた。乾漆材を用い、仏としては最も本格的とされる周丈六(十二尺、約3.6メートル)の大きさに作られている。写実を基本とした唐の様式を踏まえながら、仏の気高さ美しさを理想的に表現した傑作との評価が高い。不空羂索観音とは、「慈悲の羂索を以て衆生を愛護引接し、その心に願うところをして空しくせしめず」との意である。

勉女權歌:秋瑾を読む

秋瑾の歌「女權に勉むる歌」(壺齋散人注)

  吾輩愛自由      吾輩は自由を愛す
  勉勵自由一杯酒  勉勵せよ自由一杯の酒を
  男女平權天賦就  男女平權 天賦に就く
  豈甘居牛後      豈に牛後に甘居せん
  願奮然自拔      願はくは奮然として自拔し
  一洗從前羞恥垢  一洗せよ從前羞恥の垢を
  若安作同儔      若(なんじ)安じて同儔作(た)れ
  恢復江山勞素手  江山を恢復するに 素手を勞せよ

本田内閣参与のWSJへの抗議は空振り

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)のインタビュー記事が、自分の本意と違ったことを書いているというので、本田内閣参与がWSJに抗議したうえで、その結果を菅官房長官に報告したところ、菅官房長官の口からメディアへ経緯の説明がなされ、その中で、WSJは記事を訂正してもよいといっている、と言及した。

安倍首相が立憲主義の否定に向けてまた一歩踏み込んだ。集団的自衛権についての憲法解釈の変更について、閣議で決定の上、自衛隊法の改正など必要な法改正手続きに入りたいと、国会の質疑の場で明言したのだ。いままでは、安保法制懇などの議論を踏まえ、国会に図ったうえで解釈変更するというような趣旨のことを言ってきたのが、一挙に考えを翻して、内閣(行政権)だけの判断で、憲法解釈を変えると言い換えたわけだ。これでは立法機関である国会が無視されるばかりか、憲法の規定も形骸化される。立憲主義を全面否定するものだといってよい。

舛添都知事が立憲主義を擁護

舛添都知事が憲法改正をテーマにした新刊を刊行し、その中で立憲主義を擁護している。氏は、自民党の憲法草案について、「憲法は国家権力から個人の基本的人権を守るためにあるという立憲主義を理解していない人が書いている」と批判し、また、良き伝統を子孫に継承するとした前文や、家族の助け合いを求める条文などについて、「価値判断を憲法に入れるべきではない」と指摘している。

自画像:ゴッホの自画像6

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前作「グレーのフェルト帽の自画像」より少し遅れて描かれた作品。無帽であることを除けば、全く同じものを着ているのだが、服の色彩は違っているし、顔の雰囲気もかなり異なっている。斜め前を向いているせいかもしれないが、こちらの絵の方が表情が険しい。

このところ、いわゆるチーム・アベのメンバーによる失言騒ぎが続いているが、今度は安倍政権のブレーンともいうべき内閣参与から、失言と言うべきか、率直な意見と言うべきか、とにかく物議をかもしそうな意見が飛び出た。場所はアメリカのメディア、ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューの場。そこで氏は、安倍首相の靖国参拝を擁護する一方、アベノミクスの目標は、賃金上昇と生活向上のほかに、(力強い経済力を持つことで)より強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにするためだと語ったそうだ。

米大使館のNHK取材拒否は安倍政権への牽制か

NHKがキャロライン・ケネディ米大使への取材を申し込んだところ、米大使館側から断られたという。理由は、NHKの百田経営委員による先日の反米発言にあるらしい。そのほか、籾井会長の言動に対する批判も含まれているらしい。米大使館が独自の判断で行ったとは考えがたいから、オバマ政権もこれを容認していると思った方が良い。また、ことは一NHKのみに留まるというより、NHKに象徴的に表れている日本政治の右翼的傾向への、米側の強い懸念を反映したものと考えた方が良いのではないか。

チェス遊び3:T.S.エリオット「荒地」

T.S.エリオットの詩「荒地」から「チェス遊び」3(壺齋散人訳)

  リルの亭主が除隊になったとき
  わたし彼女にいってやったのよ 率直に
  急いでください もう時間です
  アルバートが帰ってくるんだから ちゃんとしなさいよ
  あの人知りたがるわよ 自分のやった金であなたが
  ちゃんと入歯を入れたかどうかって だってあの人言ってたでしょ
  リル その歯を全部抜いて 総入歯にしろよって
  たしかにいってたわ もうそんな顔見たくないって
  わたしだって見たくないわ アルバートの身になってみなさい
  四年間も兵隊暮らしで いい思いをしたいはずよ
  もしあなたがさせてあげないなら 他の人にとられるわよ
  へえ そうなのと彼女はいった そんなものよと私は答えた
  どんな女か見てみたいと彼女は言って 私の顔をまっすぐに見つめた
  急いでください もう時間です
  いやならそのままでもいいよ とわたしは言ってやった
  そうしたら他の人が彼の面倒を見るようになるわよ
  アルバートに捨てられても それはわたしのせいじゃないわよ
  そんなに老けた顔じゃ仕方がないじゃないの
  (彼女はまだ31なのに)
  どうしようもないわと彼女は言った 浮かぬ顔つきで
  堕ろそうとして飲んだ薬のせいよ
  (彼女はもう五人も子供を産んでいて 六人目を生むのはこたえた)
  薬剤師は大丈夫だと言ったけれど おかげでこんなになっちゃった
  あんたは馬鹿よ と私は言ってやった
  アルバートがあんたとしたがるのは当たり前じゃないの
  結婚したら子供が生まれるのは当たり前よ
  急いでください もう時間です
  そこで アルバートが帰ってきた時 あの夫婦はホットギャモンを食べた
  わたしにも熱い奴を食べに来いよと誘ってくれた
  急いでください もう時間です
  急いでください もう時間です
  お休みビル お休みルー お休みメイ お休み
  さあ さあ お休み お休み
  お休みみなさん みなさんお休みなさい お休みなさい お休みなさい

首相補佐官が靖国問題で米を批判

安倍首相の腹心である衛藤首相補佐官が、今回の靖国問題で米政府が「失望した」との声明を出したことについて、「むしろ我々のほうが失望だ」と逆批判と言うか、逆切れしているそうだ。

蜘蛛巣城:黒沢明の世界

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黒沢明が「七人の侍」の三年後に公開した映画「蜘蛛巣城」は、よく知られているように、シェイクスピアの悲劇「マクベス」を下敷きにしている。マクベスがイギリスの太古の昔に実際に行われた王位簒奪の殺人劇を描いているのに対して、これは日本の戦国時代に行われた架空の主殺しの劇である、という点を除けば、かなり忠実に原作をなぞっている。マクベスにあたるのは戦国時代の武将鷲津武時(三船敏郎)であり、バンクォーにあたるのは彼の同僚三木義明(千秋実)であり、マクベス夫人に相当するのが武時の妻浅茅(山田五十鈴)である。そしてマクベスに予言した三人の魔女たちは、この映画では物の怪の妖婆(浪花千栄子)ということになっている。

国会の質疑(衆議院予算委員会)の中で、派遣労働の規制緩和についての野党の質問に対して、安倍首相は、一方では派遣労働についての規制を大規模に緩和し、ほとんど規制なしの状態に改めようとしながら、派遣で働く人々を「増やすべきだとはまったく考えていない」と答弁した。

天平時代前期の仏像3:興福寺の阿修羅像

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(興福寺の阿修羅像 脱活乾漆 153cm)

興福寺の阿修羅像を始めとする八部衆像は、天平五(733)年から翌年にかけて造営された興福寺西金堂の群像32体の一部として作られた。この造営を推進したのは光明皇后直属の皇后宮職であり、彼らは遣唐使のもたらした文物等をよりどころにして、最新の唐の様式を採用したとされる。

グレーのフェルト帽の自画像:ゴッホの自画像5

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ゴッホの絵に顕著な変化が生じるのは1887年の年初の頃である。それまでの暗い色調から明るい色調への劇的な変化が現れる。ゴッホはパリで様々な画家と交流し、また先人たちの業績を自分なりに貪欲に研究することを通じて、明るい色調の絵を模索するようになったのだと思われる。1837年2月頃の作品「カフェ・タンブランの女」は、その最初の成果であろう。

台北忠烈祠の儀仗兵:水彩で描く台湾風景

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忠烈祠とは、国民党のために戦死した兵士のための慰霊施設。いってみれば、台湾版靖国神社のようなものだ。日本の靖国神社には、儀仗兵はいないが、ここには儀仗兵がいて、毎日交替で戦士の霊に敬意を表している。

JR北海道の安全管理と道州制特区

片山善博氏が、JR北海道の不祥事とそれに対する国土交通省の居丈高な断罪ぶりに触れて、興味ある提言をしている。(「JR北海道の安全管理と道州制特区」世界3月号)

キルケゴールの実存概念

キルケゴールの実存概念は、シェリングの「現実存在」という概念をヒントにしたものだ。シェリングはこれを、ヘーゲルのいう「存在」の概念と対比させながら持ち出したのであるが、それがヘーゲルの「存在」のような抽象的な概念なのではなく、具体的な存在についての現実的な概念だというだけで、中身は必ずしも明らかではなかった。そこでキルケゴールは、自分なりにヘーゲルの存在概念を徹底的に批判することを通じて、「実存」概念を充実させていったのである。

キリンの死の波紋:動物園の使命とは何か

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先日、動物園がキリンを殺してライオンに食わせたことについては、このブログでも紹介したところだ。その舞台となったのは、コペンハーゲン動物園。動物園では、1歳6か月になるキリン(マリウスという名前だ)を殺処分する方針を固めたあと、それを公表したのであったが、思いもかけず多くの意見が寄せられた。意見の多くはマリウスの助命を嘆願するものだった。ところが動物園サイドでは、こうした嘆願を無視するかのように、マリウス殺害の方針を変えずに、そのまま実施した。

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(薬師寺東院堂の聖観音像)

薬師寺東院堂の聖観音像については造立の経緯に諸説あって定まらない。寺伝の一節に、孝徳天皇の后であった間人皇后が亡き夫のために作らせたとあるが、もしそうだとすれば白鳳時代盛期の作と言うことになる。しかし、この仏像には薬師三尊像の脇侍同様に唐の様式の影響も認められ、それらとあまり違わない時期に作られたとする説もある。そうだとすれば、平城遷都の直前に作られた可能性が高い。

臨江仙:秋瑾を読む

秋瑾の詞から「臨江仙」(壺齋散人注)

  把酒論文歡正好  酒を把って文を論ぜば 歡正に好し
  同心況有同情    同心 況んや同情有るをや
  陽關一曲暗飛聲  陽關 一曲 暗に聲を飛ばせば
  離愁隨馬足      離愁 馬足に隨ひ
  別恨繞江城      別恨 江城を繞る

安倍首相が国会論戦の場(衆議院の予算委員会)で、集団的自衛権の行使の容認について聞かれ、「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と答弁した。これは、内閣法制局長官ではなく、首相こそが憲法解釈の責任をもっているのだ、ということを主張したかったようなのだが、実際には、違った風にうけとられた。選挙で勝ちさえすれば、いかようにも憲法解釈を変更できるというように受け取られた。与党の自民党でさえそう受け取ったものが多かったらしく、総務会では安倍首相を批判する意見が多数出たそうだ。

自画像:ゴッホの自画像4

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この作品の制作時期は1886年の秋だろうと考えられている。主な理由は、オランダ時代の色遣いがまだ残っていることだ。この年の春に描いた自画像に比べれば色調は明るくなっているが、かといって印象派の影響はまだ見られない。というわけで、ゴッホの技法の発展段階からして、1886年の秋だろうと推測されるわけである。

ツイン・トイレ:ロシア式生活

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ソチ・オリンピックの開会式に欧米の政治的指導者がほとんど参加しなかったことは、いまのロシアに対する欧米市民の評価を象徴するものだったが、そうした評価は、ネット空間の中で、ロシア・バッシングとでもいうべき現象に、増幅した形であらわれている。たとえば、上の写真(ロイターから)だ。このツイン・トイレは、ロシア式生活を象徴するものとして、つまりあざけりの対象として、欧米のネット空間を渡り歩いている映像のひとつである。

チェス遊び2:T.S.エリオット「荒地」

T.S.エリオットの詩「荒地」から「チェス遊び」2(壺齋散人訳)

  "今夜は気が滅入るの とても だから一緒にいて
  話しかけてよ なぜ話さないの? 話してよ
  何を考えてるの?なんなのよ? なによ?
  あなたの考えてることなんてわからないわ 考えてるなんて"

  俺たちはけもの道にいるんだと思う
  死者たちが骨を失ったところだ

世界一醜悪な街では困る:舛添都知事への提案

新たに都知事になった舛添氏が、東京を「世界一の街」にすると意気込んでいるそうだ。筆者もその意気ごみには賛成だ。そこで舛添氏の意気を買って、ひとつ提案したいことがある。東京の景観を、世界一とは言えないまでも、世界一流のレベルまで引き上げて欲しい。というのも今の東京の景観は、歴史と文化を誇る国の首都としては、あまりにもお粗末だからだ。

七人の侍(2):黒沢明の世界

勘兵衛たちは村の中を見回って、防衛のための周到な準備をする。そうこうするうち、いよいよ野伏が物見に現れる。それは、勝四郎が山の中で男の姿に変装した村娘志乃(津島恵子)と出会うシーンのなかでだ。二人がもみあって倒れたところで人の気配を感じる。三人の野伏が偵察にやってきたのである。

七人の侍(1):黒沢明の世界

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黒沢明の映画「七人の侍(1954年公開)は、小津安二郎の「東京物語」や溝口健二の「雨月物語」と並んで、日本映画を代表する作品だとの評価が高い。しかもそれは、単に作品として素晴らしいというにとどまらず、世界の映画に与えた影響という点でも、桁違いのスケールを誇っている。映画評論家の四方田犬彦によれば、ハリウッド映画の「荒野の七人」を始め映画先進国で次々とリメークされたほかに、最近では東アジアなどの発展途上国でもリメークされている。つまり「七人の侍」ものといったジャンルが成立し、それがいまだに世界中の映画ファンによって支持されているというのだ。(四方田「『七人の侍』と現代」岩波新書)

動物園がキリンを殺してライオンに食わせる

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デンマークの動物園が飼育していたキリンを殺したうえに、その遺骸をライオンに食わせたというので、動物を愛する人々の間で大騒ぎになっているそうだ。

天平時代前期の仏像1:薬師寺薬師三尊像

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(薬師寺薬師三尊のうち薬師如来像)

薬師寺金堂の薬師三尊像は、680(天武天皇八)年に発願されて藤原京に作られた元薬師寺の本尊として作られ、平城遷都後の寺院の移転に伴って現在の薬師寺に伝わったものと考えられている。そうだと考えれば、この仏像が初唐の様式をよく伝えていることが納得される。

パイプをくわえた自画像:ゴッホの自画像3

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「パイプをくわえた自画像(Self-Portrait with Pipe)」と題するこの絵は、1886年の秋に描かれた。この年の3月にパリにやってきて、すでに半年になり、印象派の画家たちとの交流もあったにかかわらず、まだ印象派風の明るい画面は現れず、依然としてオランダ時代の暗い画面のままである。

国父記念館の孫文像:水彩で描く台湾風景

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国父とは、中華民国の創始者孫文のこと。台湾は孫文の後継者を自任していた蒋介石が、大陸に対立する形で中国の正統政府として建てた国だ。よって、孫文の権威は圧倒的といってよい。なにしろ、蒋介石のモニュメントが、政治抗争のあおりを受けて撤去されることはあっても、孫文のモニュメントは、中国の星としていつまでも尊敬を集める。

キルケゴールにおける生成の概念

キルケゴールは生成の概念をおそらくヘーゲルから学んだのだと思う。だが、その概念の用い方はヘーゲルとは全く異なる。ヘーゲルにおいては生成とは変化に関わる概念であったのに対して、キルケゴールはそれを無から有への移行、すなわち発生あるいは出現のようなものとしてとらえたのである。


安倍首相の肝いりで任命されたNHK経営委員の一人である某氏が、東京都知事選に立候補した某極右候補の応援演説の中で、対立候補を「人間のくず」と罵倒する一方、「南京大虐殺はなかった」と主張し、また、原爆投下と東京大空襲を大虐殺と位置付け、東京裁判は「これをごまかすための裁判だった」と主張したことで、大きな波紋を呼んでいる。

天平時代の寺院建築

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(薬師寺東塔)

平城京への遷都直後には、飛鳥や藤原京にあった大寺院が次々と移転してきた。四大官寺のうち、飛鳥寺は移転して元興寺となり、大官大寺は大安寺となり、薬師寺は名を変えずに移転した。また藤原氏の氏寺であった雁坂寺は移転して興福寺となった。これらに遷都前からあった寺を加えると、遷都間もない平城京にはかなりな数の寺があったことになる。続日本紀養老四(720)年の記述には、藤原不比等が病になったため,京内の四十八寺に命じて薬師経を読ませたとあるから、実際にはそれ以上の寺があったと思われる。

杞人憂:秋瑾を読む

秋瑾の七言絶句「杞人の憂」(壺齋散人注)

  幽燕烽火幾時收  幽燕の烽火 幾時にか收まる
  聞道中洋戰未休  聞道(きくならく)中洋戰ひ未だ休まずと
  漆室空懷憂國恨  漆室の空懷 憂國の恨み
  難將巾幗易兜冒  巾幗を將(も)って兜冒に易(か)ふること難し

黒いフェルト帽の自画像:ゴッホの自画像2

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「黒いフェルト帽の自画像(Self-Portrait with Dark Felt Hat)」と題するこの絵も、パリにやってきた直後の1886年春に描かれたものである。前作同様明暗対比を強調しているが、画面はこちらのほうが明るい。特に顔が明るく目立つように描かれており、したがって顔の表情が一層よくわかるようになっている。

代表教育委員:教育長が教育委員長を兼ねる

先日、教育委員会を首長の諮問機関に格下げする案を自民党が出したところ、教育への政治介入の拡大を憂慮した公明党が難色を示したために、自民党は新たに、代表教育委員なるアイデアを出してきた。これは、執行機関としての教育委員会の位置づけは従来のままで、教育委員長と教育長を一体化させた代表教育委員なるもの設置しようというものだ。こうすれば、教育委員会の自主性は保証されつつも、教育行政への知事の関与も強化され、教育委員会の責任ある運用が期待できる、と自民党は説明しているようだが、果してそうか。

立憲主義は過去の遺物:安倍首相の憲法観

国会の質疑で野党議員から自身の憲法観について聞かれた安倍首相が、「考え方の一つとして、いわば国家権力をしばるものだという考え方がある」として立憲主義の考え方に触れたうえで、「しかし、それは王権が絶対権力を持っていた時代の主流の考え方であって、いま憲法というのは日本という国の形、理想と未来を、そして目標を語るものではないか」と述べたそうだ。

チェス遊び1:T.S.エリオット「荒地」

T.S.エリオットの詩「荒地」から「チェス遊び」1(壺齋散人訳)

  彼女の座っている椅子は 磨きあげられた玉座のように
  大理石の台座の上で輝いている その台座の上には鏡もあって
  その鏡を支える柱にはブドウの模様が施されて
  その陰からこちらを伺っている黄金のキューピッドが見えた
  (もうひとりのキューピッドは羽根で両目を隠していた)
  その鏡に映った七本枝の燭台の炎が
  テーブルの光を反射して二重に照り返ると
  彼女の宝石の輝きもその光と交わろうとして
  サテンのケースからどっとあふれ出てきた
  象牙や色ガラスの小瓶は栓が抜かれ
  その中には彼女が使う奇妙な合成香料が潜んでいた
  練り油やら粉末やら液体の香料が さまざまな匂いで
  感覚を乱し 惑わし 溺れさせる
  そして窓から吹き込む新鮮な空気に煽られて
  その匂いは蝋燭の炎を太らせながら立ち上り
  煙を天井に吹き付けるや
  天井の模様はゆらめき動いて
  銅でできた海草の模様が緑やオレンジ色に燃えあがる
  その模様は色つき石に縁どられ
  その悲しい色合いの中でイルカが泳いでいる
  古風な暖炉の上の方には
  窓越しに見える森の景色のように
  フィロメラ姫がナイチンゲールに変身した絵が架っていた
  姫は野蛮な王によって荒々しく凌辱されながら
  犯しがたい声を砂漠に響かせたのであった
  そう 彼女は叫び それに続いて世界も叫んだ
  "ジャグ ジャグ"と 汚い耳に向けて
  また壁には古びた切株の絵も架っていて
  物語を語っていた その人物たちは
  目を見開き 身を乗りだし 沈黙で部屋を満たした
  階段に足音が響いた
  暖炉の光を浴びながら 梳られた彼女の髪が
  炎のように広がったかと思うと
  熱せられて言葉となり 野蛮な沈黙へと沈んでいった

生きる:黒沢明の世界

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黒沢明には時折、ヒューマニズムに目覚めたような映画を作る癖があった。もっともそれらの映画が、映画として成功することはまれだった。滝川事件に題材をとった「わが青春に悔いなし」、医者の良心を描いた「静かなる決闘」、そしてドストエフスキーのヒューマニズムの傑作小説「白痴」の映画化、といった一連の作品を見ると、観念性が先走って、上滑りしている、というふうに感じるのは、筆者のみではないだろう。そんな中で、ひとつだけ例外的な作品がある。「生きる」だ。この映画は、黒沢のヒューマニズムへの志向が前面に現れた、それこそ「ヒューマン」な作品だと言ってよいのだが、観念性に陥らず、人間の自然な生き方を描いたものとして、見る者の心に素直に訴えかけてくる。その意味で、日本のヒューマニズム映画の傑作といってよい。

天平時代の美術

710(和同三)年の平城遷都から784(延暦三)年の長岡京への遷都を経て794(延暦十三)年の平安遷都に至るまでの80数年間を、美術史上では天平時代と呼ぶ。聖武天皇治世下の天平時代(729-749)に花開いた華麗な仏教美術を以てこの時代を代表させた形である。

ゴッホの自画像

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ゴッホは生涯に40数点の自画像を描いた。こんなに多くの自画像を描いた画家は、ほかにはレンブラントがあるくらいである。レンブラントは、10代の駆け出し時代から63歳で死ぬまで、生涯の節目節目に描いたのだったが、ゴッホの場合には晩年のわずか3年半ほどの期間に集中している。すなわち、パリに出て来た1886年の春から、サン・レミの病院に入院していた1889年秋までの間である。この短い期間にゴッホは、それこそつかれたように、鏡に映った自分の肖像を描き続けたわけである。


ヴェルサイユ宮殿

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ヴェルサイユ宮殿はパリから地下鉄で一時間ほどのところにある。更にその先には有名なシャルトル寺院があるから、この二つの名所をセットにして見物する人が多い。筆者がパリに行った時には、まず中距離電車でシャルトルに行き、その帰りにヴェルサイユに立ち寄った。

キルケゴールにとっての神の存在証明

キルケゴールは「哲学的断片」の一節で、「一般に、何かが存在することを証明しようということは困難なことである」(矢内原伊作訳、以下同じ)と言っている。これは、神が疑いもなく存在することを証明しようとしてやっきになっている人々を念頭においた言葉である。キルケゴールにとって、そういう人々の思惑は理解できないのであった。

寧都雑感:奈良観仏記(その二)

 十月廿一日(土)晴。この日は一日強行軍なりき。ホテルにて朝餉をなしチェックアウトを済ますや、JR奈良駅まで歩みてそこに荷物を預け、まず法華寺に向ふ。寺内閑散として他に誰も見物客を見ず。朝気すこぶる爽快に感ず。堂内に入るに、目当てにしをりし十一面観音は非公開の由にて、代りにそっくり似せて作られたるという分身仏を拝まさる。良く出来たりといへど、どことなくありがたみに欠けるやうに覚えけり。法華寺を出でて後、平城駅まで歩む。この間の道は古代諸皇族の古墳群連なり、森と水とが深き緑に溶け合ひ、森閑たる趣をたたへてあり。朝の清々しき空気の中悠久の歴史に思ひを馳するには格好の散歩道なりき。

  (古墳をつなぐ道にて)
  碧なす水面に近く飛ぶ鳥はありし舎人の魂にやあるかも

寧都雑感:奈良観仏記(その一)

元号が昭和から平成へと変わった年の秋、筆者は奈良へ一人旅をしたことがあった。目的は仏像を見ることだった。和辻哲郎の古典的著作「古都巡礼」を懐にしながら、古寺の内陣の奥に保存されている仏像たちを一つひとつ訪ね歩いては、その魅力を肌で感じとったものである。その折の体験がもとになって、日本の美の伝統について、筆者なりの見方を模索してきた。

對酒:秋瑾を読む

秋瑾の七言絶句「酒に對す」(壺齋散人注)

  不惜千金買寶刀  千金を惜しまず寶刀を買ひ
  貂裘換酒也堪豪  貂裘 酒に換ふれば 也(また)豪たるに堪へん
  一腔熱血勤珍重  一腔の熱血 勤めて珍重せば
  灑去猶能化碧濤  灑ぎ去りて猶ほ能く碧濤に化すが如し

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