天平時代前期の仏像3:興福寺の阿修羅像

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(興福寺の阿修羅像 脱活乾漆 153cm)

興福寺の阿修羅像を始めとする八部衆像は、天平五(733)年から翌年にかけて造営された興福寺西金堂の群像32体の一部として作られた。この造営を推進したのは光明皇后直属の皇后宮職であり、彼らは遣唐使のもたらした文物等をよりどころにして、最新の唐の様式を採用したとされる。

いずれも脱活乾漆の技法で作られているが、それには高価な漆の原料を大量に必要とするとあって、強固な財政基盤が要求される。当時の政権が仏教文化にかけていた比重の重さが推し量られようというものである。

八部衆像のうちもっとも有名なのが、この阿修羅像である。阿修羅というのは六道の一である阿修羅道の主であり、闘争的とされているが、この阿修羅像の表情には闘争的な雰囲気というよりは、求道者の雰囲気が伝わってくる。

細身の体で直立し、裸の上半身の左肩から衣を垂らし、下半身は下裳をつけている。両手を胸の前で合わせて正面を見つめているが、左右それぞれ二本ずつ別の腕が伸び、また頭部の両側にもそれぞれ別の顔がついている。正面の顔は幾分憂いを孕んでいるのに対して、側面の顔の表情はやや曖昧である。

全体的な印象としては阿修羅道の主と言うよりは、若い女性の、それも憂いを含んだ表情のように受け取れる。この像が現代人の間でも特別の人気を誇っているのは、宗教的な雰囲気と言うよりは、人間的な雰囲気のほうに理由があるのだろう。


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