ぶつかりあう心情倫理:安倍首相と朴大統領

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日本の安倍首相と韓国の朴大統領が、アメリカのオバマ大統領の仲裁で顔をあわせた。日韓関係は、日本のみならず東アジアの政治地図にとっても重大な意義を持っている。それなのに両国の指導者は互いにいがみ合い、顔をあわせることすらしてこなかった。今回ようやく顔合わせにまで至ったのも、当事者同士の合意によるというより、第三者たるアメリカの大統領の仲裁によるものだ。果してその場は、両首脳の折角の顔合わせの場というのに、和やかな雰囲気には程遠く、ギクシャクした雰囲気が漂ったと伝えられている。

両者が対立してきた背景には、両者とも心情倫理にこだわったということがあげられよう。安倍首相は、対外的な波紋を引き起こすことを十分にわかっていながら、靖国に参拝したり、いわゆる従軍慰安婦をめぐる河野談話を否定しようとする動きを見せてきた。それが、彼特有の倫理観に基づく行為だったことは、本人も認めているところだ。そういう行為をマックス・ウェーバーは心情倫理を優先した行為だといい、政治にとって有害なものだといった。政治にとって大事なのは、心情倫理よりも責任倫理である、と。

一方、朴大統領のほうも、必要以上に日本を避けてきた背景には、やはり同じような心情倫理があったものと考えられる。しかし、彼女の場合には、心情倫理もさることながら、安倍首相に対する生理的嫌悪感があるのではないかと、思わせられるふしがある。今回の会談でも、安倍首相がわざわざ韓国語で呼びかけたのに対して、安倍首相の視線を避けるようにうつむいたままだったという。これでは、安倍さんをそうとうに嫌っているな、という感じが如実に伝わってくるばかりだ。

一国の指導者が、心情倫理にかられて、外交課題を冷静に(つまり責任倫理にもとづいて)とらえられないのでは、国民は不幸というほかはない。今回の会談をきっかけに、両者があらためて責任倫理の重さを自覚し、是非理性的な行動をとってもらいたいと、関係する日本国民のひとりである筆者などは、願わずにはいられない。







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