所得税納税額に上限:安倍政権のちぐはぐ税制

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安倍政権が、所得税の納税額に上限を設けることを検討しているそうだ。現行の税制では、所得税は一定の金額を超えると最高税率の40パーセントを課税され、その金額に上限はない。それを、2億円を上限として、それ以上の所得税は課税しないというものだ。これが実現されると、(ごく単純化していうと)5億円以上の所得がある金持ちたちは、2億円以上税金を取られることがなくなるわけで、かれらにとっては最高のプレゼントになるはずだ。

でも、何故そんな金持ちたちにプレゼントの追い銭をやる必要があるのか。安倍政権は、この政策は、国内の金持ちたちを優遇するのが目的ではなく、海外の金持ちたちを日本に誘致するのが目的だといっている。というのも、日本は相対的に所得税の税率が高く、そのことで、海外の金持ちたちに敬遠されがちである。かれらは日本の所得税の高さを嫌って、日本より所得税の安い香港やシンガポールに投資している。日本も、所得税を安くすれば、海外の資本がもっと流入し、その結果日本の経済もよくなるに違いない。そんな説明をしている。

たしかにそんな一面はあるかもしれない。しかし、よく考えてもらいたい。いまや、グローバル資本主義が地球を制覇しつつある中で、金持ちたちの行動はいよいよ無国籍化しつつある。金持ちたちは、自分にとって少しでも条件のよいところに、自分の金を投資する。投資した金は安全に運用され、税金はなるべくかからず、余分な規制は一切ないようにしてほしい。これがかれらの基本的なスタンスだ。かれらにとっては、いまや民主主義などというものは、金儲けにとっての邪魔でしかなく、時代遅れのシステムだ。今や世界標準の思想は、金を儲ける自由だ。金を儲けるためにはどんなことでも許されなければならない。安倍政権は、そうしたことしか考えていない連中を、最大限のおもてなしで誘致しようとしているかに見える。

ところで、安倍政権といえばアベノミクスが一枚看板だ。アベノミクスはいろいろ雑多な色合いをしているように見えるが、要するに政府による財政出動で経済を下支えしようとする政策だ。つまり、大きな政府を目指しているわけである。ところが、グローバル資本主義というのは、一国内での大きな政府という考え方の対極にあるものだ。それはできれば国とか政府というようなものは解体して、グローバルな資本が勝手気ままに金儲けできるようにしようとする思想だ。

安倍政権は、一方ではナショナリズムを鼓吹しておきながら、もう一方ではナショナリズムの基盤を掘り崩そうとする流れに掉さしている。これは、どう見ても矛盾なのだが、安倍政権にとっては、それは矛盾とは映らないらしい。そこがどうも不可思議に聞こえる。すくなくともちぐはぐに見える。

ともあれ、この政策でもっとも恩恵を受けるのが日本国内の新富裕層といわれる連中であることは、安倍政権のどんないいわけを以てしても、隠しようがないだろう。この連中は、ブラック企業を運営するなどして巨額の利益を上げているわけだが、安倍政権はかれらのブラックなやり方を放置する一方、追い銭まで差し上げようというのだから、そのやり方は、ブラック同士の助け合いといわれても無理はあるまい。







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