仰げば尊し

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今日(3月18日)、木下恵介監督の名作といわれる映画「二十四の瞳」をDVDで見ていたら、「仰げば尊し」のメロディが何度も流れていた。時あたかも卒業式のシーズンで、日本中の学校でいまだこの曲が歌われていると聞き、この歌の息の長さを感じた。かくいう筆者も、小学校、中学校、高校と、卒業式を迎えるたびにこの歌を歌ってきた。それゆえ、これを聞くと身に染みて懐かしい感じをさせられる。最近は歌詞が古風だとか、内容が封建的だとかいって、敬遠する学校もあるようだが、根強く支持されていることの背景には、日本人の歴史の厚みのようなものを、この歌が感じさせるからだろう。

いうまでもなくこの歌は、卒業して旅立っていく生徒が、自分を育ててくれた恩師に向かって感謝の意を表する歌である。その感謝の念は「仰げば尊し、我が師の恩」という冒頭の歌詞に熱く込められている。だが面白いことにこの歌詞は、生徒たちが作ったものではない。作ったのは明治時代初期の文部省の役人たちだ。そのなかには「大言海」の著者として不朽の名声を残した大槻文彦も含まれていたという。大槻らは、作った歌詞を西洋風のメロディに乗せて子どもたちに歌わせるべく小学校唱歌に取り入れたのだとされる。爾来この歌は、日本人の心の琴線に触れたらしく、世代を超えて歌い継がれてきたわけである。官製の歌がこれほど国民の感性に訴えた例は他にはないのではないか。

官製の歌としてもうひとつ重要なのは、いうまでもなく「君が代」である。これは、近代国家には「国歌」というものが必要だとする問題意識から、明治政府の役人によって採用され、下々も折節これを歌うように領導されたというのが始まりのようである。採用された歌詞は、古今集にある古い歌で、天皇の御世をたたえるものである。そんな歴史的な因縁があるのか、日本国民の中には、これを国歌として認めたくない人も多くいるらしい。ところが、それはけしからぬという人々もいて、なにかと紛争の種になってきたことは、よく知られるとおりである。





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