火の説教3:T.S.エリオット「荒地」

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T.S.エリオットの詩「荒地」から「火の説教」3(壺齋散人訳)

  すみれ色の時刻 
  目と背中がデスクから起き上がり
  人間という発動機が客待ちのタクシーのような音を立てる
  わしティレシアスは 目が見えぬのじゃが
  しわだらけの女の乳房をつけたおとこおんなで
  すみれ色の時刻には
  海からあがってくる船乗りたちや
  ティータイムに帰宅するタイピストが見えるのじゃ
  その女は朝食の後始末をし ストーブに火を入れ
  缶詰の中身を出してテーブルに広げる
  窓の外には半がわきの下着が危うそうにかかっていて
  太陽の残り陽に照らされている
  ベッド兼用の長椅子の上に積み重なっているのは
  ストッキングやスリッパやキャミソールやコルセット
  わしティレシアスは しわくちゃのおっぱいをしておるが
  この女を見ると その後の展開がわかるんじゃ
  わしも こいつを訪ねてくる男を待っておったんじゃ
  そいつは ニキビ面の若いヤツじゃが
  小さな不動産屋に勤めておって
  下層階級の生まれじゃが 不敵な面がまえで
  自信たっぷりな様子は
  ブラッドフォードの金持ちの頭に乗っかったシルクハットのようじゃ
  良い頃合だとそいつは思ったんじゃろう
  食事はすんだし 女は退屈そうだし
  そこで女といちゃつきにかかると
  乗り気でもないが いやでもなさそう
  顔を赤らめながら 両手を伸ばすと
  女は何の反応もみせない
  別に反応して貰わなくたっていいし
  無視されたって構わないのじゃ
  (わしティレシアスにはわかってたんじゃ
  この長椅子で行われるすべてのことが
  テーベの城壁のもとに坐し
  身分卑しき死者たちの間を歩いたわしじゃ)
  男は最後にキザなキスをくれると
  暗い階段を手探りで降りて行った

  女は振り返って鏡の中をちょっとのぞく
  恋人がいなくなったことなどもう忘れておる
  女の脳みそなどほんの少しのことしか覚えてられないのじゃ
  "ああやっと終わったわ 終わってうれしいわ"
  かわいい女というもんは 遊び終わったあとでは
  部屋の中を一人で歩き回るもんじゃ
  この女も手でスムーズに髪をもみしだきながら
  蓄音機にレコードをかけるってわけじゃ

この部分はティレシアスという不思議な老人が独り言をいっているという体裁になっている。この、女の乳房を持って、目の見えない老人のことについて、エリオットは原注の中で詳しく言及している。それによると、ティレシウスとはオヴィディウスの変身物語に出てくるキャラクターだという。

ある時、暇を持て余したユピテルが妻のユーノーに向かって、セックスの快楽は男より女の方が大きいといった。ユーノーはそれを否定したが、結局物知りのティレシウスに聞いてみようということになった。というのも、ティレシウスは男女両性を具有した人間であって、両性の喜びに通じていたからだ。それには、次のような訳があった。

ある時彼は、森の中で交尾していた二匹のヘビを杖で激しくなぐった。すると不思議なことに男であったティレシウスが女に変身して、そのまま7年が過ぎた。8年目にティレシウスはもう一度あの二匹の蛇にあったので、お前たちを殴ると性が変るというのなら、もう一度殴って、女から男に戻ろう、そういって二匹のヘビを殴ったところが、元の通りの男に戻った。こんなわけで、ティレシウスは男女両性の喜びがわかるのであった。

そこでティレシウスは、ユピテルの言うとおりだと答えた。その答えにユーノーは気を悪くして、ティレシウスを盲目にしてしまった。ユピテルはそんなティレシウスに同情して、彼が視力を奪われたかわりに、未来を予知する能力を与えた。

こんなわけだから、盲目で両性を具有したティレシウスの言葉は重いのである。エリオットは、このティレシウスは、この詩の中の最も重要な人物で、詩の残余の部分をすべて結び付けているといっている。


  At the violet hour, when the eyes and back  
  Turn upward from the desk, when the human engine waits   
  Like a taxi throbbing waiting,   
  I Tiresias, though blind, throbbing between two lives,   
  Old man with wrinkled female breasts, can see   
  At the violet hour, the evening hour that strives  
  Homeward, and brings the sailor home from sea,   
  The typist home at tea-time, clears her breakfast, lights   
  Her stove, and lays out food in tins.   
  Out of the window perilously spread   
  Her drying combinations touched by the sun's last rays,  
  On the divan are piled (at night her bed)   
  Stockings, slippers, camisoles, and stays.   
  I Tiresias, old man with wrinkled dugs   
  Perceived the scene, and foretold the rest--   
  I too awaited the expected guest.  
  He, the young man carbuncular, arrives,   
  A small house-agent's clerk, with one bold stare,   
  One of the low on whom assurance sits   
  As a silk hat on a Bradford millionaire.   
  The time is now propitious, as he guesses,  
  The meal is ended, she is bored and tired,   
  Endeavours to engage her in caresses   
  Which still are unreproved, if undesired.   
  Flushed and decided, he assaults at once;   
  Exploring hands encounter no defence;  
  His vanity requires no response,   
  And makes a welcome of indifference.   
   (And I Tiresias have foresuffered all   
  Enacted on this same divan or bed;   
  I who have sat by Thebes below the wall  
  And walked among the lowest of the dead.)   
  Bestows one final patronizing kiss,   
  And gropes his way, finding the stairs unlit...

  She turns and looks a moment in the glass,   
  Hardly aware of her departed lover;   
  Her brain allows one half-formed thought to pass:   
  "Well now that's done: and I'm glad it's over."   
  When lovely woman stoops to folly and   
  Paces about her room again, alone,   
  She smoothes her hair with automatic hand,   
  And puts a record on the gramophone.


関連サイト:英詩と英文学 







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