STAP細胞をめぐる大騒ぎ

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STAP細胞の論文をめぐる疑惑について、理研が問題となっていた画像を調査した結果、それが改ざん、ねつ造されていたとして、研究リーダーである小保方晴子女史の責任を厳しく指摘した。これに対して小保方女史は、「単純なミスで、不正の目的も悪意もない」とし、これではSTAP細胞の存在自体が疑われることになり、受け入れられないとして、争う姿勢を見せている。

筆者などの部外者で、かつ専門的な知識に乏しい者には、その是非をうかがうすべもない。しかし、この研究が公開された当初の日本中の熱気を思い、自分もその熱気に感染して、小保方女史の業績をたたえていたことを思いかえすと、狐につままれたようで、なんとも情けない気持ちになる。

今回の理研の発表は、巷間指摘されてきた画像の不具合についての調査結果であり、STAP細胞の存在そのものを否定したわけではないという。しかし、STAP細胞存在の根拠を示すデータがねつ造だったということになれば、自づからSTAP細胞の存在も主張できなくなるわけで、事実上、その存在を否定したと同じことになる。理研では、今後時間をかけて、細胞の有無をゼロから検証するとしているが、その検証は、理研内部だけではなく、広く外部の研究者の参加を得て、透明かつ公正に行ってもらいたいものだ。

というのも、今回の理研の行動には、この問題に早く幕引きをして、文科省による新法人指定に間に合わせたいとする意向が働いているのではないか、との憶測が伝わって来るからだ。そうだとすれば、科学上の問題に政治的な思惑が絡んでいるということになる。政府の予算を獲得するために、科学上の問題についていい加減に幕引きするというのでは、科学の振興を旗印にする理研のような組織にとっては、本末転倒ではないか。

この問題は、一部の科学マニアがツイッター上で疑問を表明したことに始まった。そしてその疑問がツイッター上で拡散する中で、それにメディアが群がって問題をどんどん拡大させ、一種の社会現象にしたという経緯がある。それに煽られる形で、理研や文科省が反応したという側面もあるわけで、言ってみれば、ある種の社会的ヒステリーのようなものだった。そんなヒステリーのただなかで、今回の理研の発表がなされたといえなくもない。

ともあれ、科学的な真理というものは、人間社会の思惑を超えて、その姿を自づから表すものだ。その時になって、理研の幹部がこの問題の取り扱いについて拙速であったと弁解することがないように、期待したいものだ。それは、この問題に振り回された筆者のような大勢の日本人たちに対する、最低の礼儀だろう。





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