日本国憲法を厄介視する自治体の動き

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毎年5月3日の憲法の日には、日本中で憲法をテーマにした集会が催され、それに地元の自治体が共催するといった光景が、一つの年中行事のようになってきたが、今年はそれに顕著な異変が起きているらしい。政治的な中立保持を名目にして、協賛を断る自治体が増えているというのだ。

毎日が伝えている例によると、千葉県の白井市は今年から内規を変えて、「政治的色彩を有するもの」は共催・後援しないとし、従来共催してきた憲法9条に関する講演会が、これに該当するとして、今年は共催を断ったそうだ。他の自治体でも、同じような例が見られるようだ。

白井市の場合には、保守系の市議からの強い申し入れにもとづいて、内規を変更したということだが、市民を名乗る者からの強い要請に屈して共催を断った例も多数あるのではないかと推測される。

筆者にも経験があるが、自治体というものは、市民や市議の抗議には弱いものだ。相手の要求をはねて大騒ぎになるよりは、相手の言い分を聞いて、ことを穏便に収めたい、という考慮が強く働く。相手が複数いて、それが互いに争いあっている場合には、明らかに強いと思われる方につく。これが、自治体大多数の現場の知恵というものだ。

今般、自治体の現場が憲法集会への共催に尻込みしている理由については多言を要しまい。それは、右翼勢力による共催拒否への圧力が高まっているからで、さらにその背景には、日本国憲法を敵視する勢力が国政の舞台を占拠しているという事情がある。

いうまでもなく、自治体を含めて公務員には憲法遵守義務というものがある。これまでほとんどの自治体が憲法を擁護する集会に共催名義を与えて来たのは、この義務への配慮があったからにほかならない。

ところがいまや、その義務はどこかへ消えてしまったといわんばかりの、自治体公務員たちのやり方がまかりとおっている。

やり方という言葉を使ったが、多くの自治体現場では、自主的にこういう動きを積極的にしているわけではないと思う。なんとなく時代の空気が変ってきたことを察知し、それに抗うことが自分たちの生存に不利なようだと、漠然と感じているだけなのだろう。恐ろしいのは、こういう空気が知らず知らず蔓延して、日本国憲法などあって無きが如きもの、と見なす風潮が広がっていくことだ。





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