密教建築2:教王護国寺(東寺)

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(北東側から見た教王護国寺:左が五重の塔、右が講堂(手前)と金堂)

空海の真言密教には、僧侶の修行という面と衆生の救済という面との両面があるが、そのうち僧侶の修行の拠点として作られたのが高野山金剛峰寺であり、衆生の救済及び国家鎮護の場として位置付けられたのが教王護国寺(東寺)である。この寺はもともと、平安遷都に伴い、国家鎮護のための官営寺として計画されたものであった。その計画によれば、平安京の南端に東西二つの寺院が対になって整備されることになっていた。そのうちの東側の寺(東寺)を、空海に深く心服していた嵯峨天皇が、空海に与え造営をゆだねた。そこで空海は、これを教王護国寺と名づけ、国家鎮護の役割を果たさせるとともに、衆生救済の拠点とも位置付けたわけである。

この寺の伽藍の配置等が、金剛峰寺とは違って、奈良時代以来の伝統的な様式にしたがっているのは、官営寺としてすでにあった計画に制約されたためだろうとされる。

南大門をくぐるとその先に、金堂、講堂、食堂が一直線上に並び、その右手手前の東南隅に五重の塔が、その反対側の西南隅に灌頂院が配置されている。

このように、伽藍配置と五重の塔の様式は伝統に従ったものであるが、建物内部は密教の思想に従った仏像配置がなされている。とりわけ重要なのは講堂で、そこには金剛曼荼羅の世界が視覚化される形で諸仏の配置がなされている。すなわち、中央に大日如来と四仏が、そのまわりに菩薩、諸天、明王などが規則的に配置されている。五重の塔の内部には、大日如来を除いた金剛曼荼羅の諸仏が配置されている。

金堂、講堂など主要伽藍は文明十八(1486)年に焼失、五重の塔も度々消失を重ねた。現存するものは、金堂、講堂については慶長年間に豊臣秀頼の寄進によって再建されたもの、五重の塔については、寛永年間に徳川家光の寄進によって再建されたものである。なお五重の塔は高さが約55メートルあり、現存の木造建築としては世界最高である。

関連サイト:日本の美術 






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